監督の器
野球チームにとってのリーダーとは誰だろうか?
プレイヤーとしてのキャプテン、エース、4番バッター、現場指揮官としての監督、コーチ、またフロントとしての球団社長、オーナーに至るまで、それぞれがある面でリーダー的な役割を果たしています。
それでも1人だけリーダーを選ぶとしたら、選手の起用やコーチの人選、試合の戦略や戦術に対してもっとも決定権を持っている"監督"がもっとも相応しいでしょう。
本書は選手としてはもちろん監督としても実績を残してきた野村克也氏が監督論、つまりプロ野球チームという組織を率いるリーダー論という視点で執筆した1冊です。
普段、野球評論家として活躍する野村氏が言及するのは現役選手が中心ですが、本書の醍醐味は歴代の名監督たちを評論している点です。
まずは1950年代に三大監督と呼ばれた鶴岡一人、三原脩、水原茂の3人を取り上げています。
いずれも強烈な個性をもった監督であり、野村氏はその中でも選手に厳しく当たることで有名な鶴岡監督の下でプロ野球選手として出発します。
学ぶことが多かった反面、苦い思い出も多かったらしく、次のような野村氏ならではの評価がされています。
戦後の名将も、必ずしも人間的に尊敬できるとは言い難いが、人心の掌握や用兵などでは名将と呼ばれるにふさわしい監督だった。
続いて巨人のV9時台を築いた川上哲治、また阪急、近鉄の監督を歴任した西本幸雄を取り上げます。
とくに川上監督へ対しては、自身が南海の兼任監督時代に対戦してその実力を肌で感じていたこともあり、"名監督の全ての条件を兼ね備えた真の名監督だった"という野村氏らしからぬ手放しの称賛をしています。
続いて長嶋茂雄、王貞治、広岡達朗、森祇晶、上田利治といったほぼ同世代の監督たちに言及しています。
とくに西武の黄金時代の監督として活躍した森氏とは同じ捕手出身ということで現役時代から交流があり、監督になったのちも盟友であり、ライバルであり続けました。
もちろん森氏の実力をある程度評価しつつも、最後にひと言付け加えずにはいられない野村氏らしさは健在です。
森は与えられた組織戦力の采配には秀でているが、私のような弱者の戦略、少ない戦力でやりくりしたり、若い選手を育てたり、あるいは再生してなんとか活路を見出す、といったことはあまり得意でなかったようだ。
そして最後に星野仙一、落合博満といった年下世代の監督へ対しても野村氏なりの評価をしています。
後輩ということもあり、幾分その評価が辛口に感じるのは私だけではないはずです。
たとえば落合監督には私も一目置くと持ち上げならも、急転直下の落としぶりです。
ただ、私は、落合にはふたつの足りない点があったように思う。ひとつは人望。
~ 中略 ~
もうひとつ、私が物足りなく、惜しいと思ったことがある。それは「オレ流」などといって、自分の個性を必要以上に強調しすぎる傾向があったことだ。
本書の後半では真の監督(リーダー)に必要な知略や人材育成術といったものを解説していますが、私自身はここで紹介した前半の歴代監督への評論が抜群にお勧めです。