石をうがつ
著者の鎌田慧氏はルポライターとしての多くの作品を世に送り出していますが、もう1つ社会活動家としての顔を持っています。
若い頃には三里塚闘争に参加し、またいくつかの冤罪事件に関しても本を執筆すると共に被害者の名誉回復のための運動に参加してるようです。
そして鎌田氏が近年もっとも力を入れ、また大規模に繰り広げているのが脱原発運動です。
私自身も原発の建設、稼働には反対の意見を持っていますが、たとえばチェルノブイリ事故を扱った「終わりのない惨劇」を読んだ時の衝撃などが少なからず影響しています。
すでにチェルノブイリ事故で1つ間違えば核が人類にとっての悲劇となる教訓があったにも関わらず、IAEAの方針に追随し続けた日本が福島原発事故によって同じ運命を辿ってしまったことに怒りと悲しみを感じます。
本書は自らも中心になっている「さようなら原発運動」のなかで書いた文章や講演内容を1冊の本にまとめたものです。
放射能によって汚染された警戒区域はテレビなどで何度も取り上げられていますが、著者もルポライターとして足を踏み入れています。
町並みがそのまま取り残されているにも関わらず無人となった風景が活字で表現されているのを読むと、映像とはひと味違った不気味さが伝わってきます。
そして著者は、かつてそこに住んでいた人びとの苦悩をインタビューで拾い上げてゆきます。
そこからは一向に進まない補償問題や生活再建の見通し、故郷や家族を失った苛立ちと悲しみが言葉に込められ、改めて取り返しの付かない人災であったことに気付かされます。
著者は東日本大震災以前から原発反対の立場で日本各地を取材してきた経験があり、2001年頃の著書に次のように記しています。
「いまわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかである。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのと同じ最悪の選択である」
多くの社会問題に関わり続けた著者は、その危機を絶え間なく訴え続けることが出来なかった、そしてフクシマの大事故が現実のものとなってしまったことへの痛恨の思いから、積極的に原発反対運動に参加しているのです。
原発事故の悲劇や危険さ、そして被害者の方々を取材した本は多くのジャーナリストや作家によって紹介されていますが、本書でもっとも力を入れているのが、原発建設によって疲弊、荒廃した地域を紹介すると同時に、過去に住民たちの反対運動によって原発建設を阻止した地域にも言及している部分です。
周知の通り原発が建設されるのは、原発によって作り出された電力を消費する東京をはじめとした大都市ではなく、過疎化の進んだ地方です。
そこで電力会社は土地を密かに買い上げ、さらに原発誘致運動側に立てば東電への就職を世話する、すなわち生活を保証するといった甘言で地域に忍び寄ります。
それは段々とエスカレートしてゆき、ついには自治体を丸ごと買収しようとさえします。
電力会社が新しい庁舎を用意し、政府からは何十億円もの交付金が配られ、巨大な土木工事といった需要が生まれます。
そして一時的な大金を手にした自治体は身の丈に合わない箱ものを建設し、その維持費を捻出するためにますます原発に依存してゆかざるを得なくなるのです。
また過去にはなかった原発反対派と賛成派という住民同士の対立まで引き起こすのです。
一方で原発に頼らない町づくりを目指し、住民投票によって原発建設を白紙撤回させた自治体も存在します。
これを単純に前者の方の意志が弱かった、強欲だったと断言することはできません。
「事故など絶対にありえない」、「原発は怖くない」というウソで塗り固められた住民説明、そして時には「工場」予定地へだまし討ちのように原発を建設することまでしたのです。
本書を通じて、"核"のもたらす経済的な恩恵は莫大であると同時に、人類にとってもっとも危険な存在でもあることを再認識せずにはいられません。
少なくとも反原発デモの掲げているスローガン「経済より命が大事」といのは誰にとっても当たり前のことであり、日本政府や電力会社、また国民たちまでがその当たり前に目をそむけ続けてきたのです。