本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

仕事で疲れたら、瞑想しよう。


本ブログで「スタンフォードの自分を変える教室」を紹介しましたが、その中で意志力を強化(注意力と自制心を向上)する手段の1つとして、前頭前皮質への血流を増やす効果のある"瞑想"が科学的にも効果があると紹介されていました。

実際、グーグルやインテルなど名だたる企業が社員へ対して瞑想プログラムを導入して効果を上げており、日本よりアメリカの方が瞑想へ対する理解が深まっているという印象があります。

一方、日本では""という言葉が定着しているものの、座禅を実践する日本人はごくごく少数というのが実感です。

私もかなり前に"禅"に興味を持ち、「只管打坐」で有名な曹洞宗の開祖である道元の伝記や永平寺に関する書籍を読んだ経験がありますが、教義の内容は理解できても、その禁欲的で厳格な規律には敷居の高さを感じざるを得ませんでした。

そもそも座禅の基本的な姿勢である"かかと"を交差させる結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢でさえも体の固い私にとっては苦痛であり、とても続きそうにありませんでした。

大企業が取り入れている瞑想であれば、制約も少なく気軽に始められると思い立ち、さっそく図書館から3冊の瞑想に関する本を取り寄せました。

しかし結果として、うち2冊はあえなく半ばで読むのをやめてしまいました。

理由は簡単で、あまりにもスピリチュアルな側面が目立ちすぎていたからです。

「悟り」を目指すために瞑想する、または著者自身がヒマラヤの山奥で修行(瞑想)を重ね真理を会得したと主張する内容はどう考えても瞑想上級者(?)向けであり、基本を理解したい私にとって唐突すぎる内容だったのです。

その中で本書は"仕事で疲れたら、瞑想しよう。"というタイトル、また副題にある"1日20分・自分を浄化する習慣"という適度なゆるさ、実際の内容も忙しいビジネスマンを読者に想定して書かれているため、もっとも取っ付き易い1冊になりました。

ただし本書を読み終えて瞑想を習慣的に実践できた訳ではなく(これから実践できるかも分からないため)、本書の詳しい内容を紹介するのは差し控えます。

本書で触れられているのは世界的に有名なTM瞑想(超越瞑想)であり、内容も非常に初歩的な部分から解説してくれます。

つまり瞑想にも空手と同じように"流派"が存在するようですが、著者自身がビジネスマンとして活躍する傍らで瞑想を習慣的に行ってきた経験があるだけに、一般人にとって大聖者からのアドバイスよりも身近なため、理解と共感しやすいのは間違いありません。

瞑想の入門書を読んでみたい人は、まずは本書を手にとってみてはいかがでしょうか?

気張る男


明治時代に関西(大阪)を中心に活躍した実業家・松本重太郎を主人公にした歴史小説です。

多くの実業家や財界人をモデルにした小説を手がけている城山三郎氏がもっとも得意とする分野ですが、そもそも松本重太郎と聞いてピンとくる人は少ないかも知れません。

岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)、安田善次郎(安田財閥の創業者)、渋沢栄一(日本を代表する実業家)とほぼ同時代に生きた人物であり、銀行や鉄道、紡績、ビール会社などの事業を次々と立ち上げた松本は"西の松本、東の渋沢"と並び称えられるほど多くの実績を残し、彼が創設に関わった企業は今でも姿や形を変えて存続しています。

それでも彼の知名度が低い理由の1つは、松本自身が事業に失敗し破産同然のまま実業界を引退したこと、もう1つは大阪を中心とした関西の民間事業に力を入れ続け、政界や首都である東京から距離を置き続けたことから、歴史のスポットライトから少し外れてしまったという理由が挙げられると思います。

重太郎の生まれた丹後国間人村は日本海に面して残りの三方を山に囲まれた寒村であり、長男ではない彼は口減らしのため、わずか10歳という幼さで京都に奉公に出ます。

一生懸命働きながら勉学にも勤しみ、やがて自分の小さな店「丹重」を大阪に構えるところから重太郎の飛躍が始まります。

蝋燭や羅紗の商いで成功していた重太郎は時代の流れを読み、第百三十国立銀行(現:滋賀銀行の前身)を設立することで資金を調達し、瞬く間に鉄道や紡績など大資本が必要な事業に乗り出し、目の回るのような忙しさに身を置くことになります。

その他にも北スコットランドで静養していた鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに会いに行くなど、驚くほど精力的に活動します。

しかし彼の最大の魅力は実業家として成功した姿ではなく、事業に失敗し全財産を投げ出した後の人生だったかも知れません。

家賃10円の借家に移り住み過去の栄光にしがみつくことなく平然と暮らし続ける重太郎は、たとえ富は失っても酸いも甘いも噛み分けた人間としての厚みは失わなかったのです。

果たして今の大企業経営者たちはいざという時に責任を真正面から受け止め、そこから逃げ出さない重太郎ほどの心構えがあるのか?
甚だ心もとない問いかけです。

スタンフォードの自分を変える教室


タイトルの"自分を変える"からは、自己啓発、またはビジネス書のような自己変革のための本という印象を受けます。

たとえば偉人たちのエピソードや、成功した経営者の考え方を引き合いにしてゆき読者のやる気を誘発するといった主旨の本を想像してしまいます。

しかし世の中の殆どの人にとって偉人となることも大金持ちになることも現実的ではなく、そもそも人生の目標は人それぞれです。

本書の"自分を変える"ための目標とは、ダイエットや禁煙であったり、借金を返すことなど身近なものばかりを取り上げています。

そして多く人にとって、ある目標を達成するためにもっとも不足しているのが"意志力"であると著者は指摘しています。

オリンピックで金メダルを獲得する、大企業でトップの実績を上げて出世するといった目標であれば"意志力"のほかに"才能"や""という要素が必要になってきますが、本書で挙げられているような身近な目標であれば、意志力さえ継続できれば達成できるように思えます。

著者のケリー・マクゴニガル氏はハーバード大学で博士号を取得している新進気鋭の心理学者であり、彼女がスタンフォード大学で開催した10週間の講座は高い評価を受け、多くのメディアに取り上げられました。

本書はその講座を再現したものであり、10週間のプログラムによって心理学、医学的な見地から意志力に関する最新の見解、そして強化の方法を紹介しています。

よって本書も10章から構成されており、本書を読み進めて実践することによって効率的に意志力を強化できるという内容になっています。

ただし、まず最初に断わっておくと、本書で紹介されている内容はどれも目から鱗が落ちる革新的なものではありません。

たとえば本書で紹介されている一例として、

  • 睡眠不足に陥るとストレスや誘惑に負けやすくなる
  • 失敗した時は自分を責めずに許す
  • 他人の欲求(意志力)は感染する

などです。

しかし本書が優れているのは、こうした方法を紹介する前に意志力の正体や性質を丁寧に解説してくれる点です。

たとえば医学的に意志力は脳の前頭前皮質という部分がコントロールしており、人類の進化に欠かせない要素として他の動物より発達してきました。

一方で脳の中心にある扁桃体という部分は、前頭前皮質が発達する以前から生存本能(原始的な欲求)に密接に関わっており、ここから発せられる信号は前頭前皮質の活動を妨げます。

こうした前提がある上で扁桃体が発する衝動的な欲求を抑える方法を最先端の研究成果や豊富に引用される実験データから分かり易く説明してくれるため、画期的な方法でなくとも納得しながら読み進めることができます。

目標に向かって継続する意志力が弱まり、目の前の欲求が勝ちそうになった時、私たちの脳で何が起きているのかを理論的に知ることができるのです。

そしてもう1点評価したい点は、著者の大学での講座を本書で再現するという形をとっており、そして大人気を博したプログラムだけに堅苦しい講義が延々と続くということはなく、各所にジョークを散りばめて、読者(受講者)が眠くなったり、飽きたりしないよう配慮されている点です。

一気に読破するだけでなく、本書を開けばいつでも講座を再現できるため、意志力強化の手引書として気の向いた時に手にとって読むのが有用な活用法ではないでしょうか。

総員起シ


太平洋戦争には、世に知られぬ劇的な出来事が多く実在した。戦域は広大であったが、ここにおさめた五つの短編は、日本領土内にいた人々が接した戦争を主題としたもので、私は正確を期するため力の及ぶ範囲で取材をし、書き上げた。

これは著者の吉村昭氏によるあとがき冒頭の文章ですが、ノンフィクション歴史小説に定評のあった著者だけに作品中の描写は著者があたかも現場にいたかのような臨場感があります。

本書に収められているのは以下の5作品です。

  • 海の柩
  • 手首の記憶
  • 烏の浜
  • 剃刀
  • 総員起シ

海の柩」、「烏の浜」はいずれも北海道の海上で起きた悲劇を取り上げ、「手首の記憶」はソ連の参戦によって樺太から撤退する民間人たちの悲劇を取り上げています。

剃刀」は沖縄戦の後半にスポットを当て、「総員起シ」は瀬戸内海で潜水艦の訓練中に起きた事故を取り扱っています。

いずれも多くの犠牲者や戦死者を出した出来事ですが、太平洋戦ではあまりにも多くの死者が出たこともあり、作品の大部分の悲劇が充分に世の中に知られているとはいえません。

タイトル作にもなっている「総員起シ」は、伊予灘由利島付近で起きた伊号第三十三潜水艦で発生した訓練中の事故を取り上げています。

浸水により浮上できなくなった潜水艦の中で、かろうじて浸水から免れた区画。

その中で取り残された乗組員たちが絶望的な状況の中で、高まる気圧、減ってゆく酸素に苦しみながら遺書を残し息絶えてゆくという悲痛な場面を描いています。

もちろんこれもフィクションではなく、九死に一生を得て脱出した乗組員からの話、そして戦後9年後に引き上げられた潜水艦の中で遺体が腐敗せず当時のままで発見されるという出来事を通して、当時の状況が判明したのです。

乗組員たちは戦地に赴ことなく死を覚悟した時何を思ったか?そして残された時間で故郷にいる家族たちへ何を思ったか?

私たちが想像するだけで痛ましい事故ですが、そこから目を背けず淡々と描写を続ける著者の心中も決して穏やかではなかったはずです。

戦争文学というより、まるで戦争ルポルタージュのような迫力のある作品たちがおさめられた1冊です。

プロ野球の名脇役


多くのプロ野球選手の中でもスターやエースと呼ばれる選手のプレーは我々を驚かせますが、野球はチームスで成り立っているポーツです。

そして野球を注意深く見てゆくとスター選手ほど目立たなくとも、メディアに取り上げられる機会が少なくとも、チームの勝利のために貢献する選手たちの存在に気付くはずです。

そんな彼らの活躍を応援するのがプロ野球の醍醐味だと思います。

本書は「プロ野球の職人たち」の続編として、スポーツライターの二宮清純氏が、脇役たちの物語に光を当てた1冊です。

引退して間もない選手もいれば王長嶋時代に現役だった選手も含めて、幅広い年代から著者がこだわったメンバーを選んでいるように感じます。
またスタッフ編としてコーチやスコアラー、打撃投手にもスポットを当てている点は注目です。

【野手編】
  • 田口 壮
  • 大熊 忠義
  • 辻 発彦
  • 末次 利光
  • 緒方 耕一
  • 井端 弘和

【バッテリー編】
  • 谷繁 元信
  • 斎藤 隆
  • 大野 豊
  • 遠山 奬志

【スタッフ編】
  • 伊原 春樹
  • 掛布 雅之
  • 伊勢 孝夫
  • 北野 明仁
  • 山口 重幸

"名脇役"だけあって有名な選手が多いですが、その中でも比較的知られていない選手の中では、日本プロ野球で最高の1番バッターと言われた福本豊を2番打者として支えた大熊忠義です。
彼は福本の盗塁をアシストするためにファウル打ちの技術を身につけ、自分の打率を大幅に下げてまで役割に徹しました。

また元阪神の遠山奬志投手は投手として伸び悩んでいる時期に野村監督から、左バッターのインコースを徹底的に攻める役割を与えられ、ワンポイントリリーフとして存在感を示しました。
元巨人の松井秀喜をして「顔を見るのも嫌だ」と言わしめたのは、最高の褒め言葉に他なりません。

野球のタイトルを獲ることは選手にとって大事ですが、だからといって4番バッターを9人並べても勝てないのが野球です。

たとえ目立たぬ役割であっても取り換えのきかない唯一無二の存在として貢献する人材の必要性は、プロ野球にかぎらず重要なことなのです。

馬賊 日中戦争史の側面


清朝後期から日中戦争終結に至るまでの壮大な時間軸の中で、主に旧満州、中国東北部で活躍した「馬賊」の歴史を解説した1冊です。

本書は1964年(昭和39年)初版という、半世紀以上前に発刊された本です。
著者の渡辺龍策氏は1903年(明治36年)生まれで父は袁世凱直隷総督の学事顧問に赴任していたこともあり、幼い頃から中国に慣れ親しんできた経歴を持っています。

日中戦争という動乱の時代を中国大陸で体験し、馬賊を実際目にした機会も多かったに違いありません。

当時の中国を中心に歴史を見てゆくと、イギリス日本ロシアなどの列強国、そして袁世凱を筆頭にした各地で群雄する軍閥、孫文蒋介石毛沢東に代表される革命勢力といった勢力が拮抗し、混沌とした情勢を生み出していました。

さらにその中で侮れない勢力を持っていたのが馬賊であり、もっとも有名なのが張作霖ですが、伊達順之助小日向白朗(尚旭東)松本要之助といった馬賊として活躍した日本人もいました。

麻のごとく乱れた当時の中国において、もっとも苦しめられたのは当然のように農民たちでした。

そんな農民たちが権力者たちの詐取、外部からの略奪から自らの身を守るための自営組織として立ち上げたのが馬賊の発祥であり、貧困地方(とくに満州西部)においてその傾向が顕著でした。

やがて馬賊の中、あるいは近隣の馬賊間で「親分-子分-兄弟分」といった血盟的、同志的、同族的な連携が見られ、彼らが共同戦線を張ることで大きな勢力に成長していったと著者は解説しています。

""という字に惑わされ馬賊を単なる盗賊(略奪)集団とみなすのは誤りであり、盗賊は"土匪"や"匪賊"とて区別され、馬賊たちから見ても軽蔑すべき存在であったのです。

仁義を重んじるという点では日本の任侠と似たような性質を持っていますが、その武力ははるかに強大であり、馬賊は民衆たちを守る勇敢で腕っぷしの強い男の象徴として、子どもたちにとって憧れの存在ですらあったことが分かります。

歩兵銃をたすき掛け腰には幾つかの拳銃を差し、夕日を背に満州の広大な原野を疾駆する馬賊の姿をイメージすると、戦国武将にも通じるカッコ良さがあります。

しかし満州を足がかりに大陸へ進出してきた日本軍は、馬賊や孫文率いる革命軍さえも盗賊と混同してしまい、漏れなく制圧対象としました。

少なくとも"馬賊"という地域に根ざした存在とうまく共存・活用できれば治安維持のみならず、住民たちの日本軍へ対する感情も違ったものとなったでしょう。

また馬賊は文字とおり"馬"を機動力とした武力集団でしたが、日本やロシアの軍隊は戦車や重火器などにより近代兵器を装備しており、馬賊が正面から戦うのは著しく不利でした。

それでも有力な頭目(大攬把)であれば10万の馬賊たちに号令をかける力を持ち、勇敢で地理に精通した彼らの勢力は決して侮ることはできませんでした。

勢力を伸ばし脅威的な存在となってきた張作霖を爆殺し、満州国という傀儡国家を作り上げた日本は馬賊との共存を拒みましたが、それは満州の民衆との共存を拒んだことも意味していたのです。

結局、日本は満州を豊かな漁場としか見なさない帝国主義国家としての本音が主流を占めるに至ったのです。

結果として満州を豊かな土地とする目標は理想に終わり、中国の各地へ戦線を拡大していったものの最後まで民衆を単なる"賊"として見なさなかった日本軍の敗北は必然であったともいえます。

馬賊は時代の流れとともに消滅しましたが、彼らは死に絶えた訳ではなく、再び農村へと帰っていったに過ぎないのです。



最後に日本人馬賊として活躍した小日向白朗を主人公にした小説はおすすめです。

馬賊戦記〈上〉―小日向白朗 蘇るヒーロー
馬賊戦記〈下〉―小日向白朗 蘇るヒーロー