マッカーサー―フィリピン統治から日本占領へ
ダグラス・マッカーサー。
日本にとっては大戦後の連合国最高司令官、すなわちGHQの司令官として有名な人です。
彼の経歴や実績、そして考え方を知っている人は少ないようですが、マッカーサーは占領下にある日本の政策についてほぼすべての決定権を持つという絶大な権力を有していました。
戦犯逮捕や公職追放に始まり、象徴天皇制度、日本国憲法の立案、警察予備隊(自衛隊)設立、財閥解体、農地解放、教育制度に至るまで、マッカサーの意向により決定された仕組みは今でも生き続け、現代日本へもっとも影響を与えた人物といえます。
これだけの占領政策を次々と実行してきたマッカーサーですが、彼は行政官ではなく半世紀にも及ぶ経歴を持った根っからの軍人です。
南西太平洋方面軍総司令官、のちに米太平洋陸軍総司令官としてニューギニア戦前、そしてフィリピン全域において日本軍と戦い、さらに朝鮮戦争では国連軍司令官に就任するマッカーサーはアメリカ史上で大統領と比肩しうる影響力を持った唯一の軍人だったといえます。
本書は政治外交史の学者である増田弘氏が、新書としては珍しい450ページ以上に及ぶ紙面を費やして、軍事顧問としてのべ13年間滞在したフィリピン時代からマッカーサーの経歴を書き起こしています。
なぜなら軍事顧問とはいえ、アメリカのフィリピン統治における実質的な最高責任者であり、そこには日本占領時の原点を見出すことができます。
さらにマッカーサーは太平洋戦争序盤に日本軍がフィリピンを侵してきた攻時に首都マニラを放棄し、コレヒドール島、およびバターン半島で抗戦し、のちに包囲網を突破してオーストラリアへ脱出することになります。
その決死の逃避行に同行した側近たちは、のちに"バターンボーイズ"と呼ばれ、彼の忠実な側近として重要な役割を果たし続けることになるのです。
マッカーサーは勇気と決断力に富んだリーダーであり、平時、および戦時においても優れた実績を残し続けました。
一方で、自らへの忠誠を裏切った部下を決して許すことがなかった点、アメリカ本国首脳部との軋轢、自分の実績を印象的に大衆へアピールする術に長けている点、さらにシャイ(内向的)だった性格など彼の知られざる実像にも迫っています。
マッカーサーの存在なくしては戦後の日本の近代史は語れませんが、それはアメリカにとっても同様です。
たとえば国民の関心が高まりつつある憲法9条の解釈変更や改正を含めた動きを歴史的な文脈で捉えるためにも、マッカーサーを知ることは決して無駄にならないはずです。