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旅人の表現術



冒険家といえば未踏峰の山頂を目指す、登攀で新ルートを開拓する、またはヨットで世界一周など、一般人にも理解しやすいゴールを設定することが一般的なように思えます。

しかし本書の著者である角幡唯介氏は、ヒマラヤ山中に謎の雪男を探しに出かけたり、地図の空白部分を埋めるためチベット奥地の峡谷へ出かけたり、100日以上も北極の氷の上でソリを引きながら歩き続けるなど、普通の人には少し理解しにくい独自の目的を持って冒険に挑みます。

私自身は先鋭的な登山家やクライマーの物語も好きですが、こちらは前人未到の記録を目指す挑戦であり、角幡氏のそれは記録よりも物語性を重視した挑戦であると言え、どちらのスタイルもありだと思います。

もちろんいずれの冒険も命の危険性を伴うものであることは変わりありません。

本書はそんな角幡氏が雑誌に掲載した記事、対談、本の解説などを1冊にまとめたものです。

よく冒険家たちの無謀とも思える挑戦を耳にすると、なぜあえて命の危険を冒すのかというシンプルな疑問が出てきますが、角幡氏は次のように答えています。
生活から死が排除された結果、現代では死を見つめて生を噛みしめるためには冒険にでも出るしかなくなった。冒険に出ると死のない生活が虚構であることを、経験をもって知ることができる。

逆に言えば、戦争によって、もしくは食糧や医療サービス、生活インフラが不十分であるため死がつねに隣り合わせにあるような日常であれば、人は冒険する必要が無いということになります。

もちろん大多数の人は平和で便利な生活を送れることを望みますが、それゆえ動物が本来持っている直感や本能的な能力が失われて、生の実感が希薄になるという点は理解できる気がします。

一方で角幡氏も結婚して子どもが生まれることで心境が変化してゆき、時間とともに冒険との関わり方も変化が出てきていることが分かります。

著者は冒険家であると同時にノンフィクション作家でもあり、今後も読者を楽しませてくれる作品を生み出してくれることに期待しています。