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深夜特急5―トルコ・ギリシャ・地中海―



第5巻では、東アジア、南アジア、中東と旅してきた著者(沢木耕太郎氏)が、いよいよヨーロッパの玄関ともいうべきトルコへ入国することになります。

よくトルコは親日国と言われますが、著者が訪れた1970年代には「ロシアをやっつけた東郷元帥」を尊敬する老人がいたり、著者の観光ガイドを無償で買って出る若者がいるなど、今日以上の親日ぶりが伺えます。

さらに気さくに話かけてきてチャイやビールを奢ってくれるトルコ人も多く、長い旅に疲れ始めた著者には彼らの小さな親切が身にしみるようになってきます。

一方で理不尽に金銭を要求してくる輩も現れるため、やはり親日国といえども油断は禁物なことは今も昔も変わりません。

続いて入国したギリシャでは、いよいよ本格的なヨーロッパに入ったことを実感します。

著者はクロアチアなどを経由してオーストリア方面へ向かうルートはとらず、ヨーロッパの田舎と呼ばれるギリシャの中でさらに田舎と言われている南のペロポネソス半島を目指します。

田舎とはいえペロポネソス半島といえば、かつてヨーロッパで一番最初に文明が栄えた地域であり、遺跡の宝庫という点、寒いヨーロッパの冬を過ごす上で温暖な地中海沿いの方が快適に旅することができるといった点では悪い考えではありません。

ギリシャの旅ではアジアの国々で経験したような想定外のハプニングが起こることもなく、旅慣れてきた著者にとってそれは"安心"ではなく、"物足りなさ"となって感じてしまう点は興味深い心理です。

たしかに旅の性質が、バックパッカーの放浪という内容から目的地を目指す旅へと変わっったこともあり、旅の様子が落ち着いてきた印象を受けます。

多くの国でさまざまなことを経験するということは、自分自身へのインプットとなるはずですが、ギリシャから船でイタリアへ向かう著者の心にあったのは、自身が空っぽになってしまったかのような深い喪失感であったといいます。
旅がもし本当に人生に似ているなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。
人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。
私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。
そのかわりに、辿ってきた土地の記憶だけが鮮明になってくる。
つまり長い旅の終わりを考えるべき時期を迎えていたのです。