麻雀放浪記 1 青春篇
1969年(昭和44年)に発表された作品ですが、文庫本として発刊され続け、ひと昔前の麻雀好きであれば必読の書と言われた小説です。
私自身は学生時代に麻雀をしていた時期がありましたが、社会人になってからは牌を触る機会も無くなり、たまにゲームで遊ぶ程度のため熱心な麻雀好きとは言えないかも知れません。
また本作品を原作の一部として取り入れた漫画「哲也-雀聖と呼ばれた男」は学生時代に読んでいた好きな作品であり、本書を楽しみに読み始めました。
舞台は終戦直後、焼け野原の上野のドヤ街の一番奥にあるバラック小屋で行われるチンチロ賭博からはじまります。
主人公は著者自身、つまり阿佐田哲也(通称:坊や哲)であり、彼は戦争中は軍需工場で勤労動員として働いていましたが、ふとしたきっかけで博打打ちの道へ足を踏み込むことになるのです。
今でも何かと話題になるギャンブラーと本作品に登場する博打打ちでは本質的に違うところがあります。
それは麻雀博打であれば、それは"積み込み"や"すり替え"、"ぶっこ抜き"、"コンビ打ちの通し"(サイン出し)といったような不正行為をためらわずに実行する点です。
彼らはこうした技を他人に見破られないようなレベルにまで磨き上げ、地道な努力で自分の思った通りのサイの目を出す技術を習得したりします。
たとえイカサマをしても玄人の博打打ち同士であれば、それを見破ることをできなかった側が悪いのであり、とにかく勝つことが絶対正義という弱肉強食の世界です。
こうした混沌とした独特の世界の中で坊や哲は"バイニン"(麻雀の玄人)として頭角を表していきますが、彼の前には年季の入った化け物のようなバイニンたちが登場して作品を盛り上げていきます。
本作品では文章の中に配牌や手牌がフォントとして印刷されているため、麻雀のルールを知らない人にとってはとっつきにくいかも知れませんが、逆に麻雀好きであれば手に取るように対戦の模様を知ることができます。
よく年配の人たちがやっている健康マージャンとは対極の世界観であり、勝負に負けて全財産どころか身ぐるみを剥がれて路上に追い出される人、徹夜麻雀で集中力を保つためにヒロンポンを常用する人など、登場人物はほぼ例外なく破滅型の人生を送っている人たちばかりです。
坊や哲自身もやがて家出をして、タネ銭(博打に参加するための資金)以外は使い果たして路上で寝起きするという生活を送っています。
本作品は完全なノンフィクションではないものの、著者自身の経験を元にして構成されたものだといいます。
一見すると治外法権といえるこの世界にも存在する暗黙のルール、バイニン同士の勝負の様子などがリアルに描写されており、多くの読者がこの独特の雰囲気を持つアウトローな世界に引き込まれた理由がよく分かります。