魚影の群れ
吉村昭氏の動物を扱った短編が4作品収められています。
タイトルから推測しずらいものはカッコ内へ作品中で扱っている動物を追記しています。
- 海の鼠(ドブネズミ)
- 蝸牛
- 鵜
- 魚影の群れ(マグロ)
吉村氏の作品を読み始めた頃、読んでいた作品は歴史、戦史、そしてノンフィクションを扱ったものが中心であり、たまにエッセイや短編を執筆し、稀に本書のように動物を扱った作品も発表しているのだと思っていました。
しかし、動物を扱った作品は著者がもっとも得意とする分野であり、世に知られている代表的な作品とまったく遜色ないほど完成度が高いことを知るようになりました。
まさしく本書もその評価が当てはまる1冊であり、中でも「海の鼠」と「魚影の群れ」は動物、そして自然と人間との関わり合いという視点において大いに考えさせられる作品になっています。
「海の鼠」では、かつて宇和海に浮かぶ戸島(そして日振島)へ突如、ドブネズミの大集団が筏のようにまとまって海からやってきた出来事を元にした作品です。
いわゆるネズミ害により島の食料(農作物や海産物)が大きな被害を受けることになるのですが、さまざまな方法でネズミを駆除しようとする人間、そうした対策をくぐり抜けるために学習してゆくネズミとの戦いが描かれています。
柳田國男の「海上の道」で沖縄の島々などでは、海からネズミが大挙してやって来るという古い伝承が残っていると読んだことがありますが、戦後間もない1949年(昭和24年)に伝説と同じことが起きてしまうのです。
たまたま島へ上陸してゆくネズミの大群を海上から見かけた漁師の目には次のように映ったといいます。
海岸の岩石や砂礫が、一斉に動いている。
目の錯覚かと疑ったが、上方の斜面は静止しているのに磯がかなり長い距離にわたってゆらいでいる。
地震が発生して、島が陥没するのか隆起現象を起こしているのか、いずれかにちがいないと、かれは思った。
著者の特徴である無駄を削ぎ落とした精密な描写は、ネズミやその大群が苦手な人にとっては嫌悪感を抱く場面があるかもしれません。
(それほど苦手ではない私自身も、思わず鳥肌が立ちそうな箇所があったほどです。)
漁と僅かな平地や斜面を利用して栽培される農作物以外に目立った産業のない島の人びとにとってネズミ害は飢餓に直結する文字通りの死活問題であったのです。
それでも本作品で描かれているのは、人間とネズミとの単純ないたちごっこだけではなく、人間といえども大自然の営みからは無縁ではいられないという、当たり前ながらも忘れがちな事実なのです。
「魚影の群れ」は大間のマグロ漁師を主人公とした作品ですが、そこへ父娘の絆といった人間ドラマを取り入れたより文学色の濃い作品になっています。
1983年に緒形拳、夏目雅子をメインキャストにして映画化もされており、機会があれば是非見てみたいと思います。