レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ギリギリ



昨年あたりから、何となく小説を読みたいというときに手にとってしまうのが原田ひ香氏の作品です。

ドラマや映画の原作を意識したような起伏の大きな物語も悪くないですが、立て続けに読んでしまうとすぐに食傷気味になってしまうのに比べ、原田氏の作品は文学作品のようにゆっくりと味わいながら読むことができる作品が多いと感じますす。

本作品のおもな登場人物は3人です。

まずは若くして夫・一朗太を亡くした瞳、そして瞳と再婚した元同級生である健児、一朗太の母であり夫にも先立たれ、ひとり暮らしをする静江の3人です。

舞台は東京の高円寺界隈であり、他の作品でも同じ場所が舞台になっていることが多く、著者自身がこの付近に在住であること、そしてこの場所に愛着があることを伺わせます。

作品は5章に分かれており、先ほど紹介した3人の視点が切り替わるような構成で描かれています。

私自身は東京に勤め先があり、さらに高円寺含めた中野界隈の下町的な雑踏の雰囲気が嫌いではないこともあり、作品の中にすぐに引き込まれています。

登場人物たちにはそれぞれの事情があるものの、大都会という多くの人が生活を送る町において特別な存在ではありません。

言い方を変えれば、読者である私自身とまったく同じ境遇である人物が登場しても不自然ではない設定です。

物語自体も世間を巻き込むような大きな事件が起きるわけではなく、ひたすら登場人物の心境を丁寧に掘り下げて描写しており、こうした部分に文学作品特有の心地よさがあるのかも知れません。

例えば先ほど例に挙げた瞳の場合であれば、表面上は彼女は夫を亡くした後も生活のため、それなりのやりがいを感じつつIT企業の女性管理職として忙しい毎日を送っています。

しかし内面では夫を亡くした後にすぐに健児と再婚したことに若干の後ろめたさを感じつつ、今でも交流のある前夫の母である静江との距離感に微妙なものを感じている様子がよく描かれています。

もちろん健児、静江にも同じように心にさまざまな想いを抱きながら大都会での生活を続けています。

普通であれば内面とどこまでも深く掘り下げてゆくと純文学のような重さが出てくるものですが、作品の持つ軽快なリズムと登場人物たちの"前向きな姿勢"によって作品全体としては明るい印象を受けます。

この"前向きの姿勢"というのは、どんな困難にも屈しない不屈の精神といった類のものではなく、仕事や人間関係上のトラブルや過去の不幸な出来事を乗り越えるために、目の前の山積みの問題をひたすら処理したり、生活リズムを変えてみたりといった、その人なりの試行錯誤のことを指しています。

こうした描写が読者にとって作品中の登場人物を身近な存在となり、ささやかな勇気を与えてくれるのです。