軍師の門 下
竹中半兵衛、そして黒田官兵衛を主人公した火坂雅志氏「軍師の門」下巻のレビューです。
信長から離反した荒木村重の説得に失敗した官兵衛は有岡城に1年間幽閉されますが、城が落ちて救出された際には衰弱しきって足は生涯にわたって不自由になってしまいます。
しかしそれよりも官兵衛にとってショックだったのは、信長から殺害を命じられていた嫡男の松寿丸(のちの黒田長政)を匿ってくれた半兵衛がその間に病没していたことでした。
そして官兵衛は図らずも半兵衛に替わって本格的に秀吉の軍師となります。
秀吉の毛利攻めにあたって活躍する官兵衛でしたが、その中でもっとも有名なものは本能寺の変で信長が斃れた際に直ちに明智光秀を討伐するよう進言したことではないでしょうか。
つまり秀吉が天下人となるもっとも大きな転機となった中国大返しは官兵衛の策であったという点であり、まさしく軍師として面目躍如たる場面です。
一方で天下取りが近づくにつれ、秀吉は次第に官兵衛を遠ざけるようになります。
鬼謀によって数々のピンチをチャンスに変えてきた官兵衛でしたが、ライバルである柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、確固たる地位を築き始めた秀吉にとって、もはや官兵衛の助言は必要ではなくなりつつあったのです。
加えてより深刻なのは、主人・信長に替わって天下を掌握すべきだと助言をした官兵衛の凄みは、隙あらば次には自分の地位を狙うのではないかと警戒されてしまったのです。
そこに軍師として他人の心を読むことに長けている官兵衛自身が気付かないわけがなく、意識的に権力の中枢から距離を置くようにします。
実際に秀吉が天下統一を成し遂げた後、官兵衛に与えられたのはわずか豊前中津12万石であり、自分より後輩の加藤清正や石田三成よりも低い石高しか与えられませんでした。
こうした葛藤と失意の中で官兵衛は如水と号して、嫡男の長政へ家督を譲り隠居することになります。
やがて高山右近の勧めによりキリスト教に改宗したことにより、心の安らぎを得たように思えましたが、彼の心の奥底にある自らの知謀をもって天下に名を轟かせたいという野望の火は完全には消えていませんでした。
そして官兵衛は秀吉の死後、関ヶ原前夜になってその野望を実行に移します。
それは東方で徳川家康と石田三成による決戦が行われている間に九州を平定しまい、あわよくば中国地方へも攻め入り、日本を2分する西方の大勢力になることを狙ったものでした。
蔵の金銀をすべて使い、9,000の兵を集めた官兵衛はまたたく間に九州を席巻してゆきます。
家康との間に「九州切り取り次第(九州の領土取り放題)」という密約があったようですが、官兵衛が1~2年は続くであろうと予測していた対決が関ケ原でわずか1日で終わったこともあり、あとは島津領を残すのみとなった状態で官兵衛の野望は終わりを迎えます。
これによって秀吉の軍師としてではなく、自らが主人公となって天下分け目の戦いを制するというという官兵衛の夢が潰えたのです。
ひょっとすると官兵衛は、自らの野望を実現することで先に亡くなった竹中半兵衛の夢をともに叶えようと考えていたのかもしれません。