本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

一気にわかる!池上彰の世界情勢2025



テレビを中心にメディアに引っ張りだこの池上彰氏による1冊です。

駅で10分ほど空き時間があった際に立ち寄った書店で、ゆっくりと本を物色する時間がなかった中でとりあえず手にとって購入した1冊です。

池上氏はNHKでキャスターを経験していたこともあり、その分かりやすい解説には定評があり、この「一気にわかる!池上彰の世界情勢」はシリーズとして毎年刊行されているようです。

最新の2025年度版の目次は以下の通りです。

  • 第1章 アメリカ大統領選挙でトランプ勝利、世界はどうなる?
  • 第2章 政治経済の混迷と激甚災害の増加に直面する日本
  • 第3章 戦火拡大の危機にある中東
  • 第4章 景気低迷で閉塞感が広がる中国、そして台湾と北朝鮮と韓国
  • 第5章 長期化するロシアのウクライナ侵攻、全方位外交を貫くインド、そしてヨーロッパ

5章というそれほど多くありませんが、日本を含め世界の注目が集まっている地域を一通り網羅していることが分かります。
また世界の最新情勢を解説していると同時に、アメリカ大統領選の仕組み、石破茂総理大臣が選出された自民党総裁選の仕組み、イスラエルとパレスチナの対立の根本原因など、毎日のニュースではなかなか解説される機会のすくない背景にも丁寧に言及してくれています。

ただし1つ1つの情勢については、その部分だけを取り上げた専門書に比べると内容は簡略であり、深く掘り下げている訳ではありません。

本書は2時間ほどで読み終えることのできる分量であり、毎日部分的にニュースで報じられる世界情勢を一通り網羅しながら、その内容を整理するといった意味では良くまとまった1冊になっています。

つまりタイトルにある通り、一気に世界情勢をおさらいするという点では満足できる1冊であり、本書を通じて個別に掘り下げたいテーマが見つかれば、さらに関連した専門書を手にとってみることをお勧めします。

剣のいのち


津本陽氏の幕末を舞台とした歴史小説です。

主人公は紀州藩を脱藩した東使左馬之助
若干18歳にして心形刀流師範・伊庭軍兵衛より中伝目録免許を受け、二尺八寸五分の大刀・文殊重國を佩刀しているという設定です。

"設定"といったのは彼は作者が創造した架空の人物であり、本作品は左馬助が風雲の幕末時代で活躍する歴史フィクション小説になっています。

左馬之助には京都で偶然出会い、夫婦同然の仲となる芸妓の佳つ次(かつじ)が登場しますが、この2人の登場人物以外はすべて実在の人物が登場します。

脱藩した左馬之助は薩摩藩に身を置き、そこで同じく剣客である中村半次郎(のちの桐野利秋)と出会い、さらには薩摩藩から新選組へ客分として潜入する危険な任務を請け負うことになります。

そこでは近藤、土方、沖田、斎藤、永倉などといったお馴染みの新選組のメンバーたちと行動を共にすることになります。

さらには同郷で幼い頃からの親しい友人である伊達陽之助(のちの陸奥宗光)の薦めによって勝海舟・坂本龍馬らの率いる海軍操練所へ入ることになります。

激しい時代の流れに翻弄されるように、左馬之助の立場は目まぐるしく変わってゆくことになりますが、先ほど述べたように作中では実在の人物が登場し、さらに作中での政治的な事件はすべて史実に基づいて細かく書かれています。

つまり左馬之助の目線がそのときの立場で描かれているため、薩摩藩、新選組、幕府海軍(のちの海援隊)といったさまざまな視点から幕末史が楽しめる内容になっています。

もちろん津本陽氏の十八番ともいえる左馬之助がさまざまな強敵たちと対決する剣劇シーンもたっぷりと描かれており、歴史好きの読者を楽しませてくれるエンターテイメント性がかなり高い作品です。

昔流行した講談本の現代版のような作品であり、大人も夢中にさせてくれる1冊です。

雑賀六字の城



今まで本ブログで津本陽氏の作品を30冊以上紹介していますが、同氏の作品を読むのは久しぶりです。

本書は著者の代表的な歴史小説でタイトルから推測できる通り、戦国時代の雑賀衆を描いた作品です。

タイトルの"六字"は、浄土真宗の六字名号「南無阿弥陀仏」のことであり、雑賀衆の多くは熱心な本願寺門徒であると同時に、戦国時代を代表する鉄砲隊を中心とした傭兵軍団です。

似たような存在にすぐ隣の根来衆が知られていますが、雑賀衆と決定的に異なるのは、兵士たちの多くが本願寺門徒ではないこと、その結果として信長・秀吉といった権力者へ味方した点です。

また雑賀衆といえば鈴木孫一が知られていますが、本作品の主人公は雑賀年寄衆の1人である小谷玄意の三男である七郎丸という設定です。

著者は、この雑賀衆の仕組みを次のように分かりやすく解説しています。
雑賀衆とは、紀の川下流域のほぼ三里四方の平野に棲みついた、雑賀荘、中郷、十ヶ郷、南郷、宮郷の五つの連合国家ともいうべきものであった。
その人口は三万とも四万ともいわれ、狭い地域に当時としてめずらしいほど、密集した集落をかたちづくっていた。
雑賀五組とも、五搦(いつがらみ)ともいわれる五つの荘郷の盟主は、兵力、富力ともに最強を誇る雑賀の荘で、全雑賀衆一万ともいわれる動員兵力の過半を擁していた。
五組を代表する地侍は、妙見山に居館をかまえる鈴木孫一重秀、虎伏山に城郭をもつ土橋若太夫、宮本兵部太夫、狐島左衛門太夫など、四十人に及んでいる。

現在の和歌山市を流れる紀の川の南岸に位置する地域であり、主人公・七郎丸の父・玄意はその中の地侍の1人ということになります。

七郎丸には太郎右衛門、左近という2人の兄がいるという設定ですが、父を含めてこれらはすべて著者の創作によるものです。

本作品は石山本願寺で籠城する雑賀衆含めた本願寺門徒6万人へ対し、信長が10万の軍勢を率いて攻め込んだ石山合戦、さらに信長が10万の軍勢を率いて雑賀衆の本拠地へ攻め込んできた戦いを描いています。

信長は台頭してゆくに従い、武田家、浅井家、朝倉家、三好家、毛利家、上杉家など多くの大名と敵対しますが、その最大の敵は10年もの間戦い続けた本願寺勢力だといえます。

その本願寺にとって欠かせなかった戦力が雑賀衆であったことを考えると、いかに彼らの戦闘力が高かったが分かります。

主人公・七郎丸は初陣で石山本願寺へ出向き、そこで地面が動くかのような信長の大軍との戦いを経験し、さらには毛利海軍と連合しての海上戦などを通じて、雑賀衆の1人として成長してゆく過程が描かれています。

合戦の迫力、そして死が隣り合わせにある戦場の生々しい描写は著者の得意とするところであり、ほかの作品と比べても筆が冴えている印象を受けます。

著者は和歌山市の出身で、両親は毎朝念仏を唱える熱心な門徒であり、自身も5歳の頃からお経をそらんじていたといいます。
つまり著者の遠い先祖は雑賀衆の1人であった可能性が高く、自身の先祖が参加していたかもしれない合戦を描くという意気込みがあったからこそ生み出された名作であるといえるでしょう。

老人初心者の覚悟



阿川佐和子氏が雑誌「婦人公論」で2016~2019年の間に執筆した連載エッセイを文庫化したものです。

タイトルに"老人初心者"とありますが、著者は1953年(昭和28年)生まれのため本エッセイが執筆された時期では63~66歳ということになります。

たしかに最近は年配でも活動的な人が多く、このくらいの年齢であれば老人の入口、つまり老人初心者という点は納得できます。

著者は私よりかなり年上ですが、それでも昭和の作家が好きな私にとっては、同業者からも短気で"瞬間湯沸かし器"として有名だった阿川弘之氏の長女という印象が強いのです。

著者は当時も今もTVで活躍していますが、作家の血を受け継いで多くのエッセイや小説なども発表しており、本ブログでも過去に何冊か紹介しています。

父親のエッセイが大正生まれで旧帝国海軍に在籍していたこともあり、骨太で厳格な人柄が伺える内容になっているのに対して、著者のエッセイは親しみやすく等身大の自分を描いている印象を受けます。

若い世代とのギャップや価値観の違いに嘆きつつも一方的にそれらを拒絶するのではなく、なるべく理解したり受け入れようと努力する姿勢が見られ、職業柄という要因もありそうですが、好奇心旺盛なことが伺われます。

また老いつつある自身を客観的に観察して、腰が痛い、涙腺がゆるくなった、可愛らしい声が出なくなったということをエッセイ中で告白しながらも、必要以上に悲観することはなく、あくまで前向きに捉えてゆきます。

なお著者は密かな結婚願望を持ちつつも、長く独身であったことで有名ですが、このエッセイが連載されている最中の2017年に元大学教授の方と結婚しています。

比較的高齢での結婚であるものの、50代、60代での結婚が増えている時代であり、そう珍しいことではありません。

それよりも著者の数々のエッセイの中ではじめてパートナーに言及しているという点も注目できるのではないでしょうか。

いずれにしても初老を迎えながらも、それを人生の一部として楽しんでいる様子が読者にも伝わってきます。

私自身にも確実に訪れる老後を考えると、老人になった我が身を哀しみつつも楽しめるような著者の姿勢を見習いたいと思います。

ちなみに著者の父親時代に活躍した作家の老年期のエッセイは、老いによる悲哀と愚痴の混ざったような内容が多く、遠からず訪れる"死"を明確に意識したものが多い印象がありますが、それはそれで文士らしくて個人的には好きなのです。

誰か故郷を想はざる


寺山修司という名前だけはかなり以前から知っていました。

代表的な肩書は歌人、劇作家とありますが、私自身は彼の歌集や劇を見たことはありません。

そもそも彼は47歳という若さで1983年に没しているため、その姿をTVなどでタイムリーに見た記憶もありません。

ただし寺山修司の軌跡を追ってみると、先ほど上げた肩書のほかにも、TVやラジオの作家として、随筆や評論作家として、さらには作詞家や映画監督など多岐にわたっており、きっと私も無意識に彼の作品には触れいているはずです。

今でこそ多方面のメディアで活躍している人は珍しくありませんが、寺山氏はその先駆者的存在であり、どの分野においても彼の才能は一流と認められていました。

本書は彼の少年から青年にかけての自叙伝ですが、副題には「-自叙伝らしくない-」と付いています。

実際に本書を読んでみると、紛れもなく書かれている内容は自叙伝です。

自らや父と母の出生、無口でアル中だったという父の逸話、そして父が出兵地で戦死してのちは母と二人での暮らしの様子、疎開での暮らしから玉音放送を聴いたときの記憶、さらには中学、高校のときの想い出などが綴らています。

そして本書の後半では、大学生となるための上京、たった1年で退学しての東京での暮らしの様子が綴られています。

先ほど副題で触れた"自叙伝らしくない"という部分ですが、これは全編にわたって見られる作家らしい鋭い比喩、ときには世の中や自分の存在さえも揶揄するような表現が多用されていることであり、さらには歌人らしい詩的な表現が多用されているという点です。

詩的な表現というのは時に具体的な状況をひどく抽象化してしまう場合がありますが、その時の著者の気分や心情を本質的に表現できるというメリットがあります。

また作品中でしばしば用いられる鋭い比喩からはアウトロー的な雰囲気が感じられ、彼に熱狂的なファンがいたことにも頷けます。

これは彼と同年代の石原慎太郎氏の若い頃の雰囲気にも似たようなものを感じさせます。

さまざまな分野において、つねに時代の最先端を走り続けた鬼才・寺山修司の研ぎ澄まされた感性とその原点の全容とまでは行きませんが、その一端を垣間見ることができる1冊ではないでしょうか。

面白くて眠れなくなる植物学


普段食べている野菜、近所の桜並木、公園の樹木、さらには庭に植えられている花など、植物は私たちの身近に溢れています。

それだけに学校で習った植物の基本的な仕組み、幾つかの花木の名称が分かる程度で、あまりにも当たり前の存在である過ぎるせいか、なかなか植物について深く知る機会がありません。

本書は植物学者である著者が、誰もが興味を持てるような視点で植物の不思議を解説しています。

たとえば以下のような不思議が具体的に解説されていますが、自然好きで植物に詳しい人でもなかなか答えられないような内容ではないでしょうか。

  • 木の仕組み上、どこまで大きくなることが可能なのか?
  • ちょうちょはなぜ、菜の花に止まるのか?
  • トリケラトプスは進化した植物によって中毒死した?
  • タンポポの踏まれても立ち上げるはウソ?
  • 紅葉はなぜ赤くなる?
  • コーヒーやお茶は植物の毒によって生まれた?
  • マツなどの針葉樹は時代遅れのシステムのおかげで生き延びた?
  • 雑草を育てるのは難しい
  • 竹は木か草か?
  • 木が先か?草が先か?
  • 植物が動かない理由
  • 植物の血液型は?
  • ねこじゃらしが夏の炎天下でも萎れない理由
  • つる植物の成長の早さの秘密
  • 食物繊維はなぜ体にいいのか?

    • 上記のほかにも植物の遺伝について、野生の植物が人間の栽培植物となった経緯などが分かりやすく解説されています。

      学者が普段研究している内容へ対して、なかなか一般の人が興味を持つことは難しいですが、視点や切り口を変えることで興味が湧いてくるような工夫がされている内容だと感じました。

      本書の内容が実生活やビジネスの中で役に立つことはありませんが、単純に知的好奇心を満たすという行為は読書の大きな醍醐味であり、そうして点では優れた1冊だと言えます。

      普段、勉強やスキルアップのために読書をする機会の多い人は、息抜きに本書を手にとってみてはいかがでしょうか。