本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

テキヤの掟


お祭りが開催されると軒を並べて出店するさまざまな屋台が子どもの頃から好きだったという人は多いはずであり、私もその1人です。

一方で屋台を運営する人たち、つまりテキヤの実態を知っている人は少ないのではないでしょうか。

本書ではそんなお祭りの名脇役であるテキヤの世界を社会学者である廣末登氏が詳しく解説した1冊になります。

著者はテキヤのアルバイトに応募して実際に働いた経験もあるといいます。

そんな著者がまず主張しているのは、暴力団とテキヤを同一視するのは誤りだという点です。

もちろん何事にも例外はありますが、テキヤの大部分は暴力団とは何の関わりも持たない人たちであり、彼らはヤクザや博徒のことを符丁で「家業違い」と呼び、一般市民と同様に出来るだけ関わりを持つことを避けています。

著者はテキヤは売る商品を持っている、縁日など日本文化の一角を担う商売人であると定義しています。

まず序章では、テキヤ稼業の基本知識を分かりやすく解説しています。

テキヤのバイ(商売)には、コロビ(ゴザに商品を並べるスタイル)、サンズン(組み立て式の売店)などのスタイルがあり、ネタ(商品)の種類にはタカモノ(曲芸・見世物小屋など)、ハジキ(射的屋)、ヤチャ(茶屋)、ジク(クジ引き)、電気(綿菓子)、チカ(風船)など色々な符丁で呼ばれていることが分かります。

また全国各地を巡りながらテキヤ稼業をする人たちは、アイツキ(初対面の面通し)をして土地の祭りの一角で商売することを許されるのです。

すこし古いスタイルですが、「男はつらいよ」の主人公・寅さんの「姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」で終わる有名なセリフは、まさに土地の同業者へのアイツキの際に使われるものであり、同業者間での無用な争いを避け、円滑に商売を進める上で欠かせない大事にされてきた習慣なのです。

テキヤの商売の準備から後片付けまでの流れ、また仕事のサイクルなど殆ど知らなかった実態を知ることができます。

次に最近まで関東の由緒あるテキヤ組織の事務局長を努めていた大和氏(仮名)を取材する形で、テキヤ稼業を回想してもらっています。

さらに続いて本所・深川を本拠地とするテキヤの張本(親分)の娘へ取材を行い、同じくその回想録が収録されています。

彼女は取材時点(2022年)で74歳であり、その回想からは戦後・経済成長期の縁日史が見えてきます。

この2つの回想が本書の半分以上を占めていますが、まるで上質なドキュメンタリー作品を読んでいるような完成度の高さに驚きます。
まさに本書の見どころであると断言できます。

終盤では、こうした取材を総括してテキヤ業界の未来を憂慮しながらも前向きに考察しています。

著者が主張しているテキヤにしか担えない雰囲気、そして文化が存在するという点には私も全面的に賛成できます。
もしも昔から続く縁日の風景からテキヤの屋台が消え、キッチンカーだらけになってしまったらきっと味気ない風景になってしまうに違いありません。

ちなみに本書の最後にテキヤ社会の隠語・符丁が50音順で掲載されている付録のような章があり、しかも量もかなり充実していてパラパラと眺めているだけでも楽しめます。

かつて東京の花柳界で使われていた言葉や文化が衰退し、その大部分が継承されることなく失われていると聞いたことがあります。

個人的にはテキヤ文化がそうした事態にならないことを願うばかりです。

観光消滅


私自身しばしば都内へ行くことがありますが、外国人観光客が本当に増えたことを実感します。

テレビでも外国からの観光客が日本のグルメに舌鼓を打ち、その文化に感心する姿が放映される機会が増えています。

一方でオーバーツーリズムによる交通機関や観光施設、飲食店の混雑、さらには宿泊施設の不足と高騰といった問題がメディアに取り上げられることもありますが、彼らが外貨を落としてくれることもあり、全体的には概ね好意的に受け止められている印象があります。

政府としてもインバウンド誘致に力を入れる政策(観光立国推進基本法)に力を入れており、こうした動きをバックアップしているのが現状です。

著者の佐滝剛弘氏は、NHKのディレクターを経て現在は城西大学の観光学部教授を勤める、いわば観光のプロフェッショナルです。

本書ではこうした流れに水を差すわけではありませんが、観光立国と言われている日本各地で起こっている問題、さらには今後日本が観光立国として持続してゆくことへの危機感を中心に論じられています。

たしかに観光という産業は"水もの"である一面があり、コロナ禍により世界的な海外渡航の制限は記憶に新しいですが、日本は世界有数の地震大国で知られている通り自然災害による影響、さらには台湾有事などの地政学リスクの影響に大きく左右される部分があります。

著者はそれに加えて少子化による深刻な人手不足についても言及しています。

観光客を迎えるには、観光地の景観保全、飲食店や土産物店、さらには交通インフラの担い手など多くの人手が必要になります。

本書ではとくに交通インフラについて触れらており、地方の鉄道やバス路線の廃止が相次ぐ現状を具体的を挙げて紹介した上で、観光業界全体に従事する人たちの待遇面での課題、さらに円安が追い打ちをかけて人材の流出が起こり、機能不全に陥ることを懸念しています。

またコロナ禍などで政府が実施した「Go To トラベル」、「全国旅行支援」といった観光業界への政府支援についても検証を行っています。

私自身はこうした制度を利用したことはありませんが、支援に伴い発生した助成金に関する企業不正、予約殺到による混乱などのニュースは記憶に新しい出来事です。

終盤では海外の観光立国の例を挙げて、日本の政策などに活かせるヒントも紹介しています。

そもそも訪日観光客が急増したのは2014年から2015年にかけてであり、コロナ禍の時期を除けば観光立国としての日本はまだ10年にも満たない新興国であるといえます。

本書は観光学の専門家である立場からあえて厳しい苦言を呈している側面が強く、私のように直接観光業界に従事していない読者へ新しい視点を与えてくれます。

またメディアではあまり取り上げられない、そもそも本質的な"観光の意義"とは何か?という問題にも踏み込んで言及しており、著者の大学での講座に参加しているような感覚で観光について色々と考えさせられる1冊になっています。

先天性極楽伝


本書の紹介に「長編ユーモア・ピカレスロマン」という文句があります。

ピカレスロマンという言葉を聞き慣れない人も多いと思いますが、16世紀頃のスペインで生まれた悪漢を主人公とした小説作品のことで、アウトローに近い分野でありながらも風刺やユーモアを交えて描かれているのが特徴のようです。

本書はまさしくこうした表現にふさわしい内容になっています。

作品中にはハルカン子という男女の主人公が登場しますが、2人はかつて小学生同士で"結婚"をしていた仲であり、学校卒業後に再会することになります。

この2人に共通するのは、根っからの"ワル"という点と、どこまでも陽気で楽天家という点です。

ほかの登場人物も個性的で、たとえば詐欺を育成する塾を開催するガービー先生、暴力団組長のスットン親分、資産家のブクブク爺さん、チン夫人などが入り乱れて、3億円という現金を争奪するストーリーになっています。

著者は「麻雀放浪記」で知られる阿佐田哲也氏ですが、作品の雰囲気はかなり異なります。

麻雀放浪記」ではバイニン(麻雀玄人)の生きる勝負の世界の厳しさがリアルに描かれていましたが、本作品では暴力的なシーンや複雑な駆け引きのシーンはあまり登場せず、とにかくユーモアのあるドタバタ劇のような感じで物語が進行してゆきます。

前者をヤクザ映画やマフィア映画に例えるなら、後者は落語の滑稽噺、もしくは喜劇のような雰囲気に近いかも知れません。

そして作品中で風刺しているのは、世間のさまざまな社会のルール、慣習、そして道徳という概念をひとまず脇に置いて、自分の欲望へ対してどこまでも忠実で自由に生きてゆく逞しい人間の姿を描きたかったのだと思います。

場面描写よりも登場人物のセリフの掛け合いでテンポよくストーリーが進んでゆくため、落語を聴くように肩肘張らずに気楽に読んで欲しい1冊です。

勝つ極意生きる極意


タイトルにある通り"勝つ"、"生きる"をテーマにした津本陽氏による歴史エッセイです。

分かりやすい例でいえばプロスポーツ選手や政治家が現役(現職)を続けるためには勝ち続ける必要がありますが、視点を変えるとそれは多くの人にとっても当てはまります。

勉学(受験)、部活動、さらには社会人になってからの出世争いなど、意識する・しないは別としても、私たちはつねに競争にさらされているといえます。

著者は長年にわたり剣道を学び続け、かなりの使い手でしたが、その勝負の厳しさを次のように表現しています。
それにしても、剣道というものは大変難しい。
試合ではふだんの稽古の半分しか力が出せない。
真剣なら十分の一である。
平常心でいられなくなる。名誉とか、勝たねばならないとか、負けたらカッコわるいとか思うと、それだけで体が動かない。


もちろん著者自身が真剣での勝負を経験したわけではありませんが、肥前大村藩士で維新後に大阪府知事をつとめた渡辺昇の言葉を引用しています。

彼は神道無念流の達人で多くの真剣勝負をくぐり抜けてきた経験を持っていました。
「相手に斬りかかられ、なにをっと刀を抜いたとたん、脳中からすべての記憶は消え失せる。気がつくと前に敵が転がっており、手にした刀には血脂の虹が張っていて、はじめて敵を斬ったのだと気づいたものだ。相手をどのように攻め、いかなる技で斬り伏せたかは、まったく覚えず、五里霧中のことである。真剣勝負というのは、幾度場数を踏んでもそんなものだ。」

これは渡辺に限った話ではなく、新選組有数の剣客として知られた斎藤一も明治になって同じような述懐をしています。

しかし過去には想像を絶する修行を経て、また幾度の真剣勝負をくぐり抜け、勝負の真髄に辿り着いた"剣豪"と呼ばれる人物がいました。

本書ではその具体例として、二天一流の開祖・宮本武蔵と薩摩示現流の開祖・東郷重位を挙げおり、彼らは真剣勝負における恐怖を完全に乗り越え、勝負の真髄を会得した例として紹介されています。

幸いにも現代において両者のうちいずれかが斃れるかの真剣勝負を行う機会はありませんが、著者はこの考え方をビジネスなどの場でも応用できると主張しています。

さらに本書では剣豪だけでなく、色々な視点から勝者となった歴史上の人物をエッセイ中で紹介しています。

一例を挙げると、徳川吉宗曹操大石内蔵助平清盛などです。

彼らの個性はそれぞれ違いますが、いずれも個人の武力ではなく、優れた人心掌握術、統率力を持っていたことは共通しており、本質的にはノウハウやテクニックだけでなく、剣豪たちにとも共通する人間としての本質的な力を持っていたことが分かってきます。

つまり本書は歴史エッセイであると同時に、啓蒙書としても読むことができる1冊なのです。

青雲士魂録


約250ページの文庫本に津本陽氏の短編が12篇収められています。

津本陽といえば剣豪小説というイメージがありますが、本書では剣豪以外にも鉄砲や弓矢の名手、さらには主人公が剛力の持主や大名だったりする作品などもあり、バラエティに富んでいます。

以下が収録されている作品のタイトルと主人公です。

・淀の川舟
示現流の使い手である無名の薩摩藩武士

・睡り猫
伊藤典膳忠也(一刀流三世当主)

・御付家老
安藤帯刀直次(紀州藩初代家老)

・一矢参らすべし
別所山城守吉親の妻(大太刀の使い手)

・三年坂の決闘
宮本孫兵衛(雑賀衆の鉄砲名人)

・広隆昔語り
九鬼広隆(紀州藩御旗奉行)

・黒熊武兵衛
猪瀬庄兵衛(下妻の庄屋)

・佐武伊賀守 功名書き
佐武義昌(雑賀衆、のちに浅野幸長に仕える)

・炎の軍法
島津義弘

・剛力伝
吉田金平資清(紀州藩の侍)

・家康伊賀越え
徳川家康

・公事宿新左
大橋新左衛門(新陰流の使い手で深谷宿の公事方)

著者の出身が和歌山市ということもあり、うち5作品が紀州にゆかりのある物語ですが、全作品に共通するのは一世一代の危機に陥った主人公がどのようにして窮地を脱したのかをテーマにしています。

緊迫感のある作品が次々と読める贅沢な1冊であり、津本陽氏のファンであれば是非とも抑えておきたい1冊です。

修羅場の極意



本書は2013~2014年の間に月刊誌「中央公論」で連載されていた佐藤優氏の「修羅場の作法」を新書化したものです。

ちなみにタイトルにある"修羅場"とは、継続的に闘争が起きている場所を指すそうです。

著者にとっての修羅場は何といっても、鈴木宗男事件に連座する形で背任容疑で逮捕され、東京拘置所で512日もの期間にわたり勾留された経験が該当しますが、著者は序文で次のように述べています。
外交と政治の修羅場で、自分はどこで間違ったかについて、真剣に考えた。 そのときの気持ちにもう一度帰りながら、修羅場の作法に関し、考察したい。

もちろん"修羅場"の定義は人それぞれであり、著者のような修羅場を経験している人は少ないと思いますが、ひょっとしたら著者以上の修羅場を経験した人もいるかも知れません。

ちなみに本書で語られている修羅場における作法は、学生やサラリーマンとして、あるいは家族や友人とのトラブルが"修羅場"に該当する人にとっては少しそぐわないかも知れません。

なぜなら例に挙げられている人物たちがいずれも歴史の教科書に載る人物ばかりだからです。

一例として言及されているのはキリスト、マキャベリ、ドストエフスキー、ヒトラーとった感じあり、ほとんどの読者にとって実感を伴わない例が挙げられているからです。

つまり実生活におけるトラブル対処の実用書としてはほとんど役に立たないのですが、読み始める前から著者が佐藤優氏という時点である程度は予想できていました。

結論を言えば本書は"修羅場の作法"というテーマに沿って書かれたエッセイであり、歴史上の出来事、著者が専門とする(プロテスタント)神学からの視点、あるいは著者がかつて外務省職員として従事したインテリジェンスの視点からの考え方を読者へ伝えている1冊なのです。

著者の作家としての魅力を各所で味わうことのできる1冊であり、大きな視点でいえば先行きの不安な世界情勢、身近なものであれば自分自身の人生やキャリアを思考する上でのヒントが本書から"見つかるかも"といった程度の期待感で読む、もしくは単純な知的好奇心で読むことをおすすめします。