ドイツ人のすごい働き方
最近、本屋のビジネス書コーナーでドイツに着目した本が増えていることを実感します。
それは一般的にドイツへ対して次のようなことが言われているからではないでしょうか。
- 2023年にドイツが日本の名目GDPを抜いて世界3位となる。
- ドイツの1時間あたりの労働生産性は日本の1.5倍という調査結果がある。
- ドイツの労働時間は先進国の中でも短く、日本よりも年間約350時間も短い。
- その結果としてドイツの有給消化率は約100%である。
ドイツの人口は、日本の人口は約1億2500万人よりも少ない約8400万人であることを考えると、ドイツ人は日本人と比べて効率的な働き方をしていることが推測できます。
著者の西村栄基氏は、欧州で30年のビジネス経験があり、現在もなおドイツ在住17年を迎える現役のビジネスマンであることから、本書を執筆するのに最適な人物であるといえます。
まず序章では、ドイツの会社員がどのような1日を送っているか、具体的なタイムスケジュールや環境、また職場の雰囲気も交えて紹介しています。
そして1章では、高い労働生産性を実現しているドイツ社会の仕組みを紹介しています。
日本とドイツは真面目に働くという点でよく共通していると言われますが、文化・歴史・民族的な要因を掘り下げてゆくと、その背景にはかなりの違いがあることが分かってきます。
続いて2章では、具体的にドイツ人の日々の「すごい働き方」を著者の経験を織り交ぜつつ詳細に説明しており、本書でもっとも重要な章であるといえます。
3章ではマネジメント側の視点からその仕組を解説しており、例えばドイツの職場では2~3週間連続で夏季休暇を取るのが普通であり、それでも滞りなく業務やプロジェクトが回ってゆく仕組みを中心に解説しています。
最後の4章では、著者がドイツ式の日本の「ハイブリッドワークスタイル」を提案しています。
たしかに社会的背景が異なるドイツの働き方を全面的に日本企業へ取り入れるのは無理があり、日本の職場の良さを活かしつつ取り入れるのが現実的です。
本全体としては200ページほどであり、2時間ほどあれば読み終えることのできる分量になっています。
ドイツでは伝統的に個人の時間を重視する文化があり、その結果として基本的に残業を行わない習慣が根付いています。
一方であらかじめ決められた時間で最大限の成果を生み出すための効率性が重要視され、残業や休日出勤が珍しくない日本の「勤勉」とは本質的に異なることが分かってきます。
もちろんドイツ式の働き方が万能ではないことを念頭に置きつつも、参考になる部分も本書の随所で発見できると思います。
ドイツ人が実践してきたワークライフバランス、つまり仕事と私生活の両方を充実させようという価値観は日本でも「働き方改革」という形で浸透してゆくことが予想され、1つのロールモデルとしてドイツから学べることは多いと感じる1冊でした。
火宅の人 (下)
檀一雄氏の代表作であり遺作でもある「火宅の人」の下巻のレビューです。
5人の子どもを抱えた妻のいる自宅へは滅多に立ち寄らず、毎日のように飲み歩き愛人の恵子と同居していた主人公でしたが、出版社の協力もあり、半年間のヨーロッパ取材旅行へと単身向かうことになります。
主人公はサンフランシスコ、ニューヨークを経てロンドン、パリ、さらにはスペインやイタリアにも足を伸ばします。
著者の逞しい一面として、どの街を訪れても言葉が通じる通じないは関係なく繁華街の大衆酒場を訪れては大いに飲み、ときには市場で食材を買い求め自分で調理したりする適応能力です。
檀氏は美食家としても知られており、過去に国内外の名物料理を紹介したエッセイ「美味放浪記」を本ブログでも紹介しています。
もちろんと言うべきか、主人公はこのヨーロッパ旅行の最中に"もと子"という日本人女性と愛人関係になっています。
このヨーロッパ旅行を境に、主人公近辺の様子が少しずつ変わり始めてゆきます。
毎晩のように飲み歩く放蕩の生活は相変わらずであるものの、長年の愛人・恵子との間に少しずつ距離ができ始め、お葉という新しい愛人と九州旅行へ行ったり、さらに全身麻痺で寝たきりだった次男・次郎が急死するという悲しい出来事が重なります。
さらに追い打ちをかけるかのように、長年の不摂生な生活の影響で体調にも異変が起きてきます。
それでも主人公は今までの行いを後悔するどころか、その放蕩はさらに激しさを増してゆくのです。
紛れもなくかつての盟友であり、今は亡き太宰治や坂口安吾と同じく破滅的な運命を辿ることになるのですが、その胸中には我が人生の「夏は終わった」という一抹の寂しさが残るものの、最後には「これが我が生きざま。自分のために祝杯をあげろ」という愉快な気分が湧いてくるのです。
つまり主人公ははじめから自業自得、身から出た錆、当然の報いといったことは百も承知の上であり、死の床にありながらも完成へ辿り着いた本作品終盤でここまで断言できるのは、作家・檀一雄の意地と存在感を感じずにはいられません。
火宅、つまり煩悩という業火の中で己の身を焼き尽くしながら執筆を続けた作品であり、そこからは私小説の枠を超えた大きなテーマを感じます。
火宅の人(上)
「火宅の人」は檀一雄氏の代表作とされる私小説的な作品であり、20年間にわたり断続的に発表され続けました。
タイトルにある"火宅"という言葉はあまり聞き慣れないですが、仏語で煩悩や苦しみに満ちた現世を火炎に包まれた家に例えた言葉です。
檀一雄といえば太宰治、坂口安吾らと深い交友があったことで有名であり、従来の道徳観や価値観にとらわれない無頼派と呼ばれる作家グループの1人としても知られています。
当時の作家たちの中には、作風もそうですが私生活でも自由奔放に生きた人が多く、まさしく檀一雄がそれに当てはまります。
作品中には自らの家庭の状況が赤裸々に語られています。
長男の一郎は非行に走り、次郎は日本脳炎の後遺症で全身麻痺で寝たきり、三男の弥太、長女フミ子、次女サト子はまだ幼く、5人の子どもを抱えて大変な状態ですが、主人公(著者自身)は毎日のように飲み歩き、滅多に家に寄り付かないという生活を送っています。
そんな夫の行状を見かねた妻は家出騒ぎを起こします。
それでも主人公の行状が改まることはなく、女優の卵である恵子と新たに住居を構え、仕事での行事にも妻ではなく恵子を同伴させるといった具合で、家庭生活はほぼ崩壊しているような状態です。
当然のように結果として作品中で描かれる毎日の生活は、家庭中心ではなく、愛人・恵子との日々が大半を占めるようになります。
けっして主人公自身に常識や道徳概念が抜け落ちているわけではなく、自らの行いを客観的には自覚しながらも、それを改めることを拒否している態度です。
主人公は1日中ビールかウィスキーを飲んでいるような大酒飲みであり、シラフでいる時の方が少ない状態であり、さらに突発的にどんちゃん騒ぎを始めたり、思いつきで1ヶ月単位でふらりと旅に出かけたりと、とにかく1か所で落ち着いて生活を送るということが皆無なのです。
基本的には、こうした放蕩を尽くす日々が文庫本で上下巻800ページ以上にも渡って描かれ続けています。
一見すると完全な社会不適合者にしか見えませんが、やはり彼の作家という技量が本作品を単なる放蕩日記ではなく、後世に評価される文学作品に昇華させているのです。
作家という職業は程度の差こそあれ、作品を生み出すために自らをさらけ出し、そのために身を削るような苦しみが求められるものだと思います。
著者の場合、そうした仕事を続けてゆく中で火宅の中に身を置き続けることが必要不可欠な儀式であり、たまたま太宰のように愛人とともに入水自殺による最期を迎えた結末とは違った方向へ進んだに過ぎないのです。
こうした日々に1つの転機として訪れるのが、家庭や愛人と離れて向かった半年間に及ぶヨーロッパへの取材旅行であり、後半へと物語は続いてゆきます。
幻影への脱出
今までSF小説品は年間で1~2作品しか読んできませんでしたが、今年は早くも本書で5作品目となります。
今回はジョン・ブラナーというイギリスのSF作家で、私にとってはじめての作家です。
本作品は1963年に発表され、日本では1976年にハヤカワSF文庫として出版されました。
SF小説といっても作品の舞台は近未来の地球であり、火星や金星への探索が始まっているものの、まだテラフォーミングは始まっていない状況です。
地球の人口は80億人を超えて資源が枯渇し、食糧を含めたあらゆる物資が不足している近未来という設定です。
おまけに各国政府はこうした問題に対処できないため統治を放棄し、代わって国連が地球上ただ1つの政府として何とか機能しているという状態です。
本作品が発表された1960年代は大気汚染、水質汚染、化学物質による汚染など、深刻な公害問題が世界各地で発生し、環境問題への意識が高まり始めた時代です。
一方で現実の世界では既に2023年に本作品と同じく地球の人口が80億人を突破していますが、幸いなことに地球規模での資源枯渇には至っていません。
それでも地球温暖化による異常気象、生態系への影響などは深刻な問題となりつつあり、遠からず本作品のような未来が訪れる可能性が無いとは言えません。
ストーリー自体は比較的シンプルで、こうした社会不安の中でハッピー・ドリームと呼ばれる麻薬が若者たちを中心に爆発的に流行するといった現象が起こります。
この問題を調査するのが主人公ニコラス・グレイヴィルであり、彼の肩書は国連の麻薬捜査官です。
この麻薬は多くの中毒者を生み出しているにも関わらず製造拠点、流通経路が謎に包まれており、しかも初回は5ドル、2回目以降は1回あたり2ドルという驚くほど安価に入手することができます。
この安価で流行している麻薬という点は、最近世界的な問題になりつつある合成麻薬フェンタニルを連想してしまいます。
携帯電話やインターネット、さらにはAIのようなテクノロジーは登場せず、主人公は所構わず喫煙するヘビースモーカーである点などは本書が発表された時代を感じさせますが、作品の大筋としては妙な現実感がある作品になっています。
ネタバレを防ぐためこれ以上のストーリー紹介は控えておきますが、人口問題、資源枯渇問題が解決されないまま事態が深刻な状態となり、袋小路へ迷い込んでしまった近未来を描いた作品です。
未来を自由に空想して楽しむスペースオペラ作品ではなく、現実問題を風刺しているという側面が強く、今読んでも時代を超えて色々と考えさせられる作品になっています。
ネトゲ戦記
暇空茜(ひまそら あかね)氏による自伝です。
私自身は著者の名前は知らず、本のタイトルと書店のポップ紹介文だけを見て購入してみました。
本書は以下の3部構成になっています。
- 第一部 ネトゲ編
- 第二部 起業編
- 第三部 裁判編
いきなりですが本書の秀逸な点として、3部構成で書かれているテーマに見事なメリハリがある点です。
文章自体にはゲーム用語やネットスラングなどが多用されていることもあり、読みにくさを感じる部分がありますが、ページ下部に細かく注釈が付けられています。
また本書は右開きの横書きというスタイルですが、これは注釈の位置を含めてオライリー(O'Reilly)本に代表されるコンピューター技術書では定番の構成であり、個人的には面白い試みだと思いました。
まず第一部のネトゲ編ですが、著者はいわゆる高校を中退してひたすら自宅に籠もりゲームに没頭したネトゲ廃人であった経歴を持っています。
おもにUO(ウルティマオンライン)、FF11(ファイナルファンタジー11)といったゲームに没頭した時期を描いており、著者はいずれのタイトルにおいても有名プレイヤーとして活躍しています。
もっとも当時はeスポーツのような職業はないため、ゲーム自体では生計は立てられない時代です。
実はこの2つのタイトルは私自身もプレイした経験があり、かつネットゲームの中毒性は身をもって体験していることから、かなり感情移入しながら読むことができました(もっとも私がネットゲームを始めたのは社会人になってからであり、仕事が忙しくなるにつれ2年ほどでプレイするのを止めています)。
元々著者にはゲームの才能があり、さらにそこで得た知識と経験を活かしてゲーム会社へ就職することになります。
その顛末が第二部の起業編になります。
ゲーム業界に限らず当時のネットベンチャーの労働環境はブラックなところが圧倒的に多く、私も細いジャンルは違うものの同じような環境で仕事をしていた経験があることから、ここでも感情移入しながらどんどん読み進めてゆきました。
またネットベンチャーによくある現象として、創業メンバー(=経営陣)間での人間関係が泥沼化するという点です。
本当の意味での黎明期(事業立ち上げ時期)では寝食を忘れて共通の目標に向かってワンチームで進むことができますが、逆に事業が軌道に乗り始めると色々な問題が表面化することがしばしば起こります。
ここで創業メンバーの何人かが抜け、成長してゆく企業と倒産する企業とに別れます。
著者の場合、青天の霹靂のようにある日会社から追い出されることになります。
知らないのは本人のみで、水面下ですべての根回しが完了している状態であったため、当時の著者に反論の余地はありませんでした。
しかし社運を賭けたゲームタイトルの製作において中心的な役割を担っていたのは著者であり、この措置を不当であるとして裁判で争うことになる顛末が第三部の裁判編です。
大きな功績がありながらも、著者ほど鮮やかに創業者メンバーから裏切られる経験を持っているのは、ある意味で貴重だと言えます。
この第三部が一番長い章となりますが、それも裁判が8年にも及ぶ争いとなったからでした。
さすがに私にはこうした裁判の経験はありませんが、この部分は単純な好奇心として面白く読むことができました。
裁判で使われた書面もかなり豊富に掲載されており、そこからは著者が全身全霊で裁判を闘ったことを伺い知ることができます。
結果的に著者は裁判に勝利して6億円もの賠償金を手にすることになりますが、全人格、全人生を賭けて闘い続けた年月を思うと決して法外な金額ではない気がします。
現在の著者が具体的にどのような活躍をされているのか詳しく調べていませんが、個人的には再びゲーム業界に戻ってきて欲しいと思いました。
たまたま私自身の経験と重なる部分があり感情移入できる場面の多い1冊でしたが、そうでない人にとってもノンフィクション作品として充分に楽しめる1冊だと思います。
国境のない生き方 私をつくった本と旅
著者のヤマザキマリ氏は、「テルマエ・ロマエ」に代表される漫画家として有名ですが、エッセイ作家としても活躍されています。
とくに彼女の経歴はとてもユニークであり、それが多方面で活躍している源泉力にもなっています。
母親が音楽家(ヴィオラ奏者)という母子家庭で育ち、自身は音楽家ではなく画家を志すようになります。
14歳でヨーロッパへ1人旅を経験して17歳で高校を中退してイタリアで画家となるために留学し、そこで11年間暮らすことになります。
やがて詩人のイタリア人との間に子どもが誕生するものの、詩人のあまりの生活力の無さに離別し、シングルマザーとして男の子を育てることを決意します。
そこで画家として生活するのは難しいため、漫画家として生活費を稼ぐことを決意するのが現在の活躍につながっていきます。
それから日本に帰国して北海道でイタリア語の講師、ラジオパーソナリティ、TVリポーターとして活躍しつつも、のちに学者をしているイタリア人と結婚します。
それからは夫の仕事の都合で、エジプトやシリア、ポルトガル、アメリカなどを転居しながら暮らし、現在はイタリア在住という経歴を持っています。
彼女自身が好奇心や独立心旺盛だったことはもちろんですが、14歳でのヨーロッパ1人旅、17歳でのイタリア留学は母親の教育方針であったというから驚きです。
本書ではそうした彼女自身の経歴を追いながら、幼少期より読書家であったか彼女が人生の転機となった際に読んでいた(漫画も含む)本、映画などを紹介しています。
著者に限らず青春の多感な時期、人生の岐路に立った時、大きな困難にぶつかった時に出会った書籍や映像作品、音楽は後々になっても大きな影響力を持ち続けるものです。
著者は1967年生まれで私よりすこし上の世代であるため、漫画は完全に一致しないまでも幾つかの作品は私が読んでいたものと重なる部分があります。
また活字作品では開高健、安部公房、大岡昇平、ガルシア・マルケス、三島由紀夫などの作品を取り上げています。
映画はヨーロッパ作品がメインであるため私が知っている作品は殆どありませんでしたが、それでも著者が紹介している作品を興味深く読むことができました。
著者ほど起伏に富んだ退屈しない人生を送った人は少ないと思いますが、それだけに経験してきた挫折も大きく、かつては死のうと思った時期もあったようでした。
もう1つのテーマである"旅"については、私たちが思い浮かべるツアー旅行や1人旅とはすこし意味合いが違っていて、多くの国々で暮らしてきた経験そのものが著者にとっての"旅"であり、さすがにスケールが違います。
著者の言いたいことは、自分の暮らしている町や国を超えて、地球サイズの地図の中で生きてゆけば仕事や人間関係といった悩みは大抵片付くものであり、あらゆる扉を開け放って生きる場所を見つければいいというエールにほかなりません。
イタリア在住の著者自身もまだまだ1か所に留まる気はないようです。
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