幕末百話
著者の篠田鉱造は明治4年東京生まれで報知新聞社へ入社し、明治35年から幕末を知る古老たちからの実話を「夏の夜物語」、「冬の四物語」として新聞で 連載し、明治38年に本書「幕末百話」として出版した本が元になっています。
この本の目的は知らせざる史実の解明ではなく、市井の人々の回顧録、つまり幕末を生きた古老たちからの昔話を集め後世に伝えてゆくこと自体を意図したものです。
よって昔話を語る老人たちの中には維新の立役者や幕府の要人といった名の知れた人物は1人も登場していません。
それだけに飾らない味のある昔話が掲載されており、その中から幾つか簡単に紹介してみたいと思います。
江戸の佐竹の岡部さん
佐竹家の家来で岡部菊外という生涯に81人斬りをした侍の話。町人相手へ無理難題を吹っかけたりしていたが、目の見えない按摩を辻切りした後にその怨念で病死したという。
ズバヌケた女国定忠次の妾
むかし本石町(日本橋あたり)に住んでいたお事という女性が、元は国定忠次の妾であったという話。男まさりの気性で、役者の(市川)小団次の後妻となり、その身上を盛り返したという。
江戸名物折助の生活
折助(武家で使われた下男)たちの生活実態を語った話。折助の仕事といえば殿様が登城する際のお供くらいで、彼らの当時の大部屋での暮らしの様子(食事や博打など)を紹介している。
血判起誓文のお話
歴史小説でよく出てくるいわゆる血判状についてのお話。すでに幕末の頃の血判は形式的なものになってしまい、勢いよく指を切るのではなく、薬指の爪の下の所を軽く突いて滲んできた血を押すだけだったこと。
最後に血判の文例を実際に書いて紹介している。
撃剣修行の道場
むかし斎藤弥九郎の道場(練兵館)へ通っていた人の昔話。寒稽古や道場へ行く途中に夜鷹蕎麦を食べたときの様子、さらに蕎麦屋の主人と揉めて峰打ちを食らわせたら逃げ出したので、置いていった蕎麦をたらふく食べた思い出を語っている。
どれも他愛もない話のようですが、それだけに当時の風景が蘇ってくるような独特の雰囲気があります。
本書の終盤では幕末百話とは別に「今戸の寮」という話が掲載されています。
当時、今戸(今の台東区の隅田川沿い)の寮(当時の別荘の呼び方)で女中をしていた老女による回想録で、当時の上流の人びとやそこで働く人たちの暮らし向きが伝わってくる内容です。
本書の内容が掲載された明治30年代に暮らす人びとにとって、すでに幕末は遠い昔の出来事となってしまい「江戸は遠くになかりけり」というのが実感だったようです。
