レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

春の城


本作「春の城」は1952年(昭和27年)に発表されて読売文学賞を受賞し、著者の阿川弘之氏にとって出世作となった作品です。

阿川氏は帝国海軍を扱った作品を多く発表していますが、それは自身が大学生時代に学徒出陣により海軍予備員となった経歴が大きく影響しています。

本書はそんな自身の体験を元にした作品であり、作品が発表された時期は戦後6年が経過し、ようやく戦後の混乱期から脱出しつつあるものの、まだまだ戦争の傷跡が日本各地に残っている時代でもありました。

またもう1つ忘れてはならないのが、著者が広島市出身であり、両親は無事だったものの原爆により多くの知人を失った経験を持っているという点です。

著者の世代は青春時代の多感な時期に戦争を経験しており、それだけに本作品は戦争小説であると同時に青春小説でもあるという特徴を持っています。

主人公は東京帝国大学(現在の東大)文学部で日本文学を専攻し、学生時代を満喫しつつも勉学には打ち込めない、いわゆるモラトリアムな期間を過ごしていました。

将来は小説家を目指していましたが、日本がアメリカへ対して開戦し戦争が本格的になるにつれ、学徒動員の足音が聞こえてきます。

これは当時の若者でなければ本当に理解できない心境だと思いますが、将来の夢を抱きつつも、いずれ死ぬかも知れない戦地へと赴かなければならないという状況、つまり戦争という大きな時代の流れの中で自分の意思とは関係なく、未来そのものが不確かなものに思えてくるという不安定な心理がよく描かれていると思います。

心の底で好意を持っている女性との縁談の話も持ち上がりますが、そうした状況の中で主人公の気持ちはつねに不安定な状態です。

一方で学徒出陣により海軍予備員となると、戦争のために少しでも自分の力が役に立てばという気持ちも湧いてきます。

しかし軍では当然のように今まで経験したことのない厳しい上下関係やルールに馴染めない自分がいて、そこでも主人公の気持ちは複雑に揺れ動いてゆきます。

やがて戦況は悪化の一途を辿り、それは海軍に籍を置く主人公も実感するところであり、故郷の友人や同級生たちの中には戦死する者も出てきます。

やがて中国へ派遣される主人公は、そこでアメリカ軍によって故郷に原子爆弾が落とされたことを知るのです。。

とくに原爆のシーンでは、井伏鱒二氏の「黒い雨」の中にも見られる悲惨なリアリティのある描写に圧倒されます。

戦争小説の持つ暗いイメージと青春小説にある甘酸っぱいイメージが渾然一体となったような作品であり、自身の体験を元にしているだけにフィクション小説では決して到達できない、まさしく著者でなければ生み出せなかった作品であるといえます。

時代を超えて読み継いでほしい名作の1つであり、万人へお勧めできる1冊です。