レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

野火


作品の存在は以前から知っていましが、今回はじめて大岡昇平氏の「野火」を手にとってみました。

今まで本ブログでも戦争小説と言われるジャンルを紹介してきましたが、本作品も日本を代表する戦争小説の1冊です。

主人公はレイテ島で米軍と対峙する部隊にいる田村上等兵であり、彼は結核の症状が悪化したため野戦病院に収容されていましたが、そこを追い出されてしまいます。

その原因は深刻な食糧不足によるものであり、太平洋戦争において日本兵戦死者の半分以上が飢餓によるものだったと言われています。

こうして病院を追い出され、主人公は部隊へ戻りますが、ここでも上官から足手まといとして放り出されたところからストーリーが始まります。

客観的に見ると異国の地で"のたれ死に"を強要された悲惨な状況ですが、彼の心境は次のように不思議なものでした。
臓腑を抜かれたような絶望と共に、一種陰性の幸福感が身内に溢れるのを私は感じた。
行く先がないというはかない自由ではあるが、私はとにかく生涯の最後の幾日かを、軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことが出来るのである。

彼は元から戦う意志などなく、徴兵されて仕方なく戦場へ駆り出された兵士だったのです。
また彼のほかにも同じような境遇の兵士たちもおり、彼らには何の任務も目的もなく病院近くで野宿をしていました。

主人公も彼らとともに過ごしていましたが、敵の砲撃によって病院が消失し、仲間ともはぐれて1人で島を彷徨うことになります。

その過程で主人公は島でさまざまな光景を見ることになります。

はじめは"生きる"こと諦めていた主人公でしたが、生きる希望を見つけたり、所持している食糧が尽きて飢えを感じると、やはり生への執着する気持ちが沸いてきます。

やがて極度の飢えに襲われた兵士たちの目線は、行き倒れになった同胞たちの屍体へ向くようになるのです。。。

生きるために人肉を食べた」という証言は時々聞く話ですが、正直にそれを告白した人は圧倒的に少数だったはずです。

一方で平和で飽食の時代を生きる私たちの大多数が、「人肉を食べてまで生き残るくらいなら死んだほうがマシ」と答えるでしょう。

戦争、そして飢餓という非日常の中に人間が放り出されたときに、平時であれば"善良な市民"と言われる人たちがどのような行動を取るのか、そしてその状況下で精神は正常を保ち得るのかという想像をしてみてもなかなか実感が沸かないはずです。

いわば本作品はそれを小説という形を通じて追体験できるのです。

もちろん著者は善悪の区別や人生の価値観を読者へ伝えたかったわけでなく、すべてを読者へ委ねています。

文庫本で約200ページという分量ですが、多くのことを考えさせてくれる1冊です。