天を衝く(1)
陸奥(みちのく)三部作の最後は、戦国時代に活躍した"九戸政実(くのへまさざね)"が主人公です。
戦国時代の東北地方では様々な大名が乱立し、豊臣秀吉によって平定されるまで群雄割拠の時代が続きました。
東北地方の大名といえば伊達氏、最上氏あたりが有名ですが、陸奥北部から津軽地方にかけては南部氏が有力な大名でした。
南部氏は「炎立つ」の3巻で描かれた"後三年の役"で"源義家"と共に活躍した弟の"新羅三郎義光( しんらさぶろうよしみつ)"を祖先としており、他の戦国大名では武田氏や佐竹氏などが同じ義光の子孫にあたります。
織田信長とほぼ同世代の"政実"ですが、大名ではなく南部氏の一族として生まれます。
当時の南部氏では本家が盟主とされながらも、一族の合議制が重んじられ、強力なリーダーが不在の状態が続きます。
その中でも政実率いる一族は"九戸党"と呼ばれ、政実の優れた武力と知力により一族の中で、もっとも武力に優れた軍団を率いていました。
副題には"秀吉に喧嘩を売った男 九戸政実"とあり、のちに陸奥の地にあって天下を敵に回すことになります。
前作までの陸奥を統治する強力なリーダーが主人公として描かれてきた作品と比べるとスケールは小さく感じますが、その分ストーリーの密度は濃厚であり、"九戸政実"という男を中心にした戦国時代を充分に堪能できる歴史小説になっています。
炎立つ 伍 光彩楽土
150年にも及ぶ陸奥の興亡を描いた「炎立つ」の最終巻です。
清原氏を滅ぼし、奥州藤原氏の時代を築いた"藤原清衡(ふじわらのきよひら)"の孫にあたる"秀衡(ひでひら)"の時代から物語が始まります。
15万に及ぶ騎馬軍団を抱え、本拠地である平泉は平安京を凌ぐ繁栄を誇っており、秀衡の時代に奥州藤原氏は全盛期を迎えました。
一方中央では、今年の大河ドラマの主人公である"平清盛"が天皇を凌ぐ権力を手中にし、武士の時代が到来しています。
事実上、日本に2つの国が存在しているといってもよい状態であり、日本史において陸奥がもっとも輝いていた時代です。
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」。
やがて清盛、秀衡も老いには勝てず、再び日本は戦乱の世に突入してゆきます。
源氏にとって陸奥は運命の糸で結ばれているとしか思えず、この時も平氏によって追いやられた"源義経"が藤原氏によって匿われていました。
一方で北条氏の支援を受け、伊豆では義経の兄である源頼朝が平氏へ対して旗揚げを行い坂東武者たちの力を結集してゆきます。
この2人は安倍氏を滅ぼし、そして藤原氏として再興に縁の深かった源義家の直系にあたりましたが、当時の奥州藤原氏は平氏と良好な関係にあり、源氏の時代の到来に懐疑的だったため、表立った源氏への援助を行うことはありませんでした。
更に匿った義経自身が、その名声を恐れた頼朝によって排除される段階にあたって、奥州藤原氏の最後の当主であった"藤原泰衡(ふじわらのやすひら)"は大きな決断を下すことになります。
時代の趨勢を見極めることの出来なかった泰衡の歴史的な評価は一般的に低いですが、本作品では違った視点から、その姿が描かれています。
はたして泰衡が陸奥の歴史にどのような幕を下ろすのか?
著者の陸奥への愛を感じさせる結末が待っています。
炎立つ 四 冥き稲妻
のちに"後三年の役"と呼ばれる戦いを題材とした第四巻。
"前九年の役"の後、陸奥は阿部氏に取って代わり、源氏側に加勢した清原氏によって治められる土地となりました。
完全に滅亡したと思われた阿部氏でしたが、その一門として壮絶な最期を遂げた"藤原経清"の妻が息子と共に清原氏の棟梁"武貞"の嫁として嫁ぐことになりました。
その息子こそ、のちに奥州藤原氏の繁栄を築くことになる"清衡(きよひら)"です。
安倍氏の血脈は細々と受け継がれてゆくのです。
やがて"武貞"の死後、嫡子である"真衡(まさひら)"が清原氏の当主となりますが、重鎮である"吉彦秀武(きみこひでたけ)"の反乱により、再び陸奥の地に戦乱が巻き起こります。
前作の主人公アテルイ、そして本作品前半の主人公ともいえる安部貞任、藤原経清といった武勇に優れた人物と違い、"清衡(きよひら)"は清原氏に冷遇されながらも慎重に千載一遇のチャンスを待ってひたすら忍耐を続けます。
清原氏が支配している陸奥において阿部氏の血を引く清衡は常に孤立無援の状態であり、少しでも軽率な行動を取ればたちまち抹殺されかねないほどの危うい存在でした。
その中で清衡は、実に二十年間もの年月を耐え続けることになりますが、そこへ思いもかけない人物からの援護があります。
それは安部一族を滅ぼした父親"頼義"に家督を譲られ、名実共に武士の頂点に君臨している"源義家"でした。
お互いの父親は宿敵同士でしたが、その息子である2人が手を組み強大な清原氏へ戦いを挑んでゆくのです。
炎立つ 参 空への炎
蝦夷の未来を賭けた"安部貞任"、"藤原経清"の戦いも3巻に入り最後の決戦が迫ってきます。
阿部氏は"黄海の戦い"で源頼義、義家の軍勢に大打撃を与えたものの源氏の執念は凄まじく、阿部氏と同盟関係にあった出羽の清原氏の力を借りて、再び戦いの火蓋が切って落とされます。
大義名分を作り出すために手段を選ばない執拗な源氏の姿が描かれていますが、もしこの陸奥争奪戦に源氏が負けていたら、後の頼朝による鎌倉幕府や足利氏による室町幕府の成立も無かったと断言できるほどに重要な局面でした。
後の歴史から見れば源氏の代表的な武勇伝となった戦いですが、蝦夷側から見れば侵略者から自らの土地を守るための戦いであり、特に前九年の役における最後の戦場となった"厨川柵(くりやがわのさく)"での場面は、大阪夏の陣を彷彿とさせる悲壮感があります。
多大な犠牲を払って勝者となった源氏にとっても結末は決して明るいものではありませんでした。
源頼義は武士の台頭を恐れる朝廷により伊予守へと事実上の左遷を受け、陸奥の支配は清原氏に任されることになります。
束の間の平穏が訪れた陸奥。
それは表面上のものであり、早くも新たな戦乱の足音が聞こえてきます。
陸奥の覇権を賭けた壮大なスケールの決戦、そこで戦う人間たちの興亡を堪能できる贅沢な作品です。
炎立つ 弐 燃える北天
藤原登任、平繁成の野望を退けた安倍氏に平和が訪れるのも束の間。
戦乱の雲を携えて、新たな陸奥守が赴任してくることになります。
武士の代名詞ともいえる源氏の棟梁"源頼義"。
そして頼義の息子であり、後に武士の鑑として後世に崇められることになる八幡太郎こと"源義家"。
これが100年以上に及ぶ陸奥と源氏の運命的な出会いでもありました。
安倍氏は源氏のとの戦いを避けるべく、そして源氏は安倍氏と戦いの口実を作るために様々な陰謀が交差します。
その中で運命に翻弄される男がいます。
頼義の部下であり、そして安倍氏の血縁でもある"藤原経清(ふじわらのつねきよ)"です。
彼こそ奥州藤原氏の始祖となる人物であり、本作品では義家が尊敬する武士として描かれます。
苦悩の果てに経清は頼義の元を去り、安倍氏の陣営に身を投じることになります。
安部貞任と藤原経清のコンビが最強の武士軍団にどんな戦いを挑むのか?
前九年の役もいよいよ佳境に入ってゆきます。
炎立つ 壱 北の埋み火
陸奥(みちのく)三部作の2作品目「炎立つ」。
全5巻ということで、シリーズ中もっとも分量があります。
舞台は前作のアルテイと坂上田村麻呂の戦いから約200年後。
かつての蝦夷人たち土地(陸奥)は朝廷の支配下に置かれ、名目上は中央から陸奥守として任命された公卿の"藤原登任(ふじわらのなりとう)"の統治下にありました。
しかし実質的には、蝦夷人の血を受け継ぐ"安倍頼良(あべのよりよし)"が物部氏の末裔で陸奥の金山を支配する"吉次(きちじ)"と手を結び陸奥六郡を実質的に運営している状態でした。
頼良の経済力、軍事力はいずれも陸奥守の力を遥かに凌駕するものでしたが、その実力に嫉妬して朝廷での栄達を野望に抱く登任によって、再び陸奥は戦乱に巻き込まれてゆきます。
当時の朝廷では天皇を中心とした貴族(公卿)たちの力が少しずつ弱まりつつあり、地方の荘園の経営を任された豪族たちが力を蓄え始め、武士集団を形成してゆく過程にありました。
この作品の舞台の100年前には平将門による大規模な反乱がありましたが、朝廷たちは武士の台頭を恐れつつも、将門の反乱を鎮圧すためにも武士たちの力に頼らざるを得ない状況にありました。
登任も平氏で最も実力を持っていた"平繁成(たいらのしげなり)"の力を借りて、安倍氏の討伐を試みます。
頼良と、その息子の貞任、宗任兄弟たち。
10万もの朝廷軍を相手に一歩も引かなかったアテルイの精神を受け継いだ蝦夷人たちが、再び自らの土地を守るために立ち上がります。
それは後に"前九年の役"と呼ばれる奥州藤原氏の開祖である安倍氏の長い戦いの始まりでもありました。
前作「火怨」と比べると登場人物の多さに始めは戸惑うかもしれませんが、ベストセラーとなった歴史小説だけに、それぞれが個性的であり、1巻を読み終える頃には魅了されてしまうこと間違いなしの作品です。
火怨 下 北の燿星アテルイ
上巻に引き続き、平安時代のアテルイ率いる蝦夷軍と朝廷軍の戦いをテーマにした作品「火怨」のレビューです。
下巻に入り、何度となく朝廷軍に勝利した蝦夷たちの前に最強の敵が登場します。
桓武天皇から征夷大将軍に任命された"坂上田村麻呂"。
これまでの朝廷軍を率いてきたのは、圧倒的な軍勢で力任せに攻めることしか知らない将軍たちでしたが、田村麻呂は敵の10倍もの軍勢を率いながらも蝦夷たちの強さを熟知しているため、密偵を使いながら慎重に軍を進め、決して安易な決戦を挑もうとしない隙の無い将軍です。
そうした田村麻呂の作戦に蝦夷軍は少しづつ消耗を続けてゆきます。
アテルイは20年間に渡り何度となく押し寄せる朝廷軍を退けてきましたが、次第に戦い続けることに疑問を抱き始めます。
ついには蝦夷の住む陸奥へ平和をもたらすために自らの命を犠牲にした捨て身の作戦で田村麻呂との戦いに挑み、そして物語は佳境を迎えてゆきます。
小説の舞台である岩手県出身の著者の頭に隅々まで入っている地名や地形、そこでどのような戦いをアテルイたちが繰り広げたのかという想像力が組み合わさり、平安時代の陸奥(東北)を舞台にした作品とは思えないほどの臨場感を与えてくれます。
天皇という権力の象徴ともいうべき威光が日本を照らす前の時代に、広大な陸奥という大地で光り輝いたアテルイの活躍は神々しささえ感じました。
引き続き陸奥三部作の続きが楽しみです。
火怨 上 北の燿星アテルイ
岩手県出身の作家、高橋克彦氏が描く東北の視点から描いた歴史小説。
そんな著者の手がけた 「火怨」 「炎立つ」 「天を衝く」 は陸奥(みちのく)三部作ともいわれ、著者の代表的なシリーズです。
本書「火怨」の舞台は、奈良時代~平安時代にかけての陸奥です。
当時は天皇を中心とした強力な中央集権が確立しつつある一方、東北地方(陸奥)に昔から住む蝦夷(えみし)と呼ばれる人たちは天皇の支配を拒否し、頑強な抵抗を続けていました。
本書の主人公である亜弖流為(アテルイ)は、そうした蝦夷の軍を束ねる指導者として登場します。
過去の記録は常に強者の立場から書かれているため、後世からは虐げられた敗者の姿はなかなか見えてきません。
とくに東北といった常に時代の権力から離れた地域は、近世の明治時代においても明らかな差別を受けてきた過去があり、そうした視点から歴史を学ぶことを忘れがちになります。
実際には東北が日本の歴史において注目された時代が何度かあり、その最初の舞台が本作品であるともいえます。
著者の描く1200年以上前の日本で天皇を中心とした強力な律令国家を相手に一歩も引かずに戦った蝦夷たちの壮大な物語は、戦国時代さながらのスケール感です。
アテルイの他にも天才軍師として登場する母礼(モレ)、蝦夷最強の戦士として登場する飛良手(ヒラテ)など、魅力的な人物たちが次々と登場し、20年以上にわたり何度となく押し寄せる朝廷の大軍を撃退してゆきます。
しかし物量で圧倒的に勝る朝廷軍に対し、物資の限られた蝦夷連合は勝利を重ねても疲弊してゆきます。
そこでアテルイたちはどういう決断をくだすのか?
後半も目が離せません。
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