レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

深い河

深い河 (講談社文庫)

戦後昭和の日本文学界の巨匠・遠藤周作氏晩年の代表作です。


老若男女を問わず人間は様々な過去を背負い、そして悩みを抱きながら生き続けてゆく存在です。

その過去や悩みは主観的なものである以上、他人と比べて軽重を測れるものではありません。

本作の目次で目を引いたのは、下記のような章立てを行い、一見すると何の変哲もない5人の登場人物の過去、そしてその心理描写を巧みに描いているところです。

  • 磯辺の場合
  • 美津子の場合
  • 沼田の場合
  • 木口の場合
  • 大津の場合

彼らの人生は1億人以上の人間が暮らす現代日本において、取るに足らない小さな水の流れのようなものですが、やがてすべてを受け入れる大河で合流することになります。

それが本作の題名にもなっている"深い河"、すなわちインドのガンジス川です。

身寄りの無い老人、貴人、そして子どもまですべての死者を別け隔てなく、ある者は火葬により灰で、ある者はそのままの姿で輪廻からの解脱を信じて流されてゆきます。

果たして彼らはこのガンジス川のほとり"ワーラーナシー"で何を感じ、何を思うのか?

ここから先は是非、実際に作品を読んで欲しい部分です。


遠藤氏はクリスチャンとして知られている作家です。
晩年の体調が優れない中で、死をより身近に感じるようになり、自らの死生観、そして精神世界的なものへ言及する作品やエッセーを多く残しますが、本作はその代表的な作品といえます。

しかし本作の内容は決して押し付けがましくなく、むしろインドという秩序だった西洋的な宗教観(価値観)とは対極をなすような混沌とした、そして包容力のある磁場を舞台に、むしろ読者に問いかけるかのような内容になっています。


仏教や神教、そして儒教的(そして時にはキリスト教的)な価値観でさえも同時に受け入れる日本人の心理は、唯一神を尊ぶキリスト教やイスラム教とは違ったベクトルを持ち、見る角度によってその価値観はインド人に近いのかもしれません。

しかし死生観、その中でもとりわけ"死"へ対する概念は、一般的なインド人(すなわちヒンズー教徒)と比べ、日本人は希薄になっているのは間違いありません。

それは日本がインドほど治安が悪くもなく、そして衛生面でも恵まれており、何よりも経済的な恩恵により得られる老後の社会保障や医療制度によって"死"の実感が遠いものになっているのに他なりません。

すなわち"死"が日本人にとって日常とかけ離れた出来事となり、一方で未だに日常的に路上での野垂れ死にが身近にあるインドとの差であるといえます。

しかしそれは、かつての日本人が極楽浄土への憧れ、もしくは子孫の守り神へ昇華する(先祖崇拝)といった形で持っていたものであり、人間本来が持つ原始的、且つ永遠の課題が科学的に解決できる問題ではないということを改めて実感させられます。

もちろん経済的な発展が長寿大国としての地位を築いた側面もあり、けっして良し悪しで結論が出る類のものではありませんが、少なくとも晩年を迎えつつある遠藤周作にとって、そのインドの価値観が多大な影響を与えたことは間違いないことです。

遠藤周作の作品は純文学として紹介される機会が多いですが、本作のように問いかける内容は深いものの、難解な内容の作品は殆どありません。

是非とも普通の小説として読んで欲しい作家の1人です。