最後の花時計
遠藤周作氏最晩年のエッセー集です。
趣味やグルメ、同業者の評価といったエッセーらしい話題も取り上げられていますが、全体的に見ると医療(その中でも特に終末医療)、身近な友人の死、戦争当時と平和な現代との比較といった話題が登場する頻度が多い印象を受けます。
遠藤周作(狐狸庵山人)が持っているユーモラスな側面を殆ど垣間見ることができないのが寂しくもあり、それが彼の晩年の偽らざる"等身大の思い"だったという理解もできます。
このエッセーは新聞で連載されていたものですが、しめくくりの一文を抜き取ってみても、彼の晩年の心境が決して穏やかではなかったことが伺えます。
- 願わくば苦しまず、痛い思いをせずに息を引きとりたいと願うのは私一人の弱さであろうか。
- こんな礼儀知らずを礼儀知らずとも考えぬところに私は驚嘆してしまう。もちろん感心して言っているのではない。呆れて言っているのである。
- 若い時は友人が死んでもそんな思いはしなかったろう。これは例外だと考えただろう。
- また青春時代からの友人を一人失ってしまった。むかし飲屋で騒いでいた若い頃、こんな日がくるのを一度も考えなかった。
- しかし、我々のような老人が心のなかで「それでいいのかしらん」と漠然とした不安を抱かざるを得ないのだ。
- 何も、自分の頃が良かったというつもりはないが、どう考えてもイヤな時代である。
昭和を代表する文学者のエッセーだけに格調は失われていませんが、読み進めるうちに遠藤周作が普通の老人に近い心境となっていたのは確かです。
彼は1996年に73歳で亡くなっていることからも分かる通り、特別に高齢であったわけではありません。 しかし重病を患い、自らにそれほど長い時間が残されていないことを意識して書かれているようにも思えます。
このエッセーが連載されていた当時は私は二十歳前でしたが、今も昔も(そしてきっと私たちの世代が老いる時代も)老人の嘆きは本質的には変わらないのかもしれません。