本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

功名が辻〈1〉

功名が辻〈1〉 (文春文庫)

土佐藩24万国の開祖となった山内一豊(通称:伊右衛門)の生涯を描いた司馬遼太郎氏の長編小説です。

信長秀吉家康と3人の天下人に仕え、わずか50石の貧乏侍から大名へと昇り詰めた"わらしべ長者"の物語といってもよいかも知れません。

この3人に仕えて生き延びた大名は稀であり、伊右衛門が有能であれば50万石以上の大名になっても不思議ではありません。

それが24万石であることを考えると、伊右衛門の武将としての能力は決して高くなかったことを意味しています。

しかし無能な武将であれば出世どころか、戦場で討ち死にするか、仕える主人を誤って共に破滅する道を辿ったはずです。

彼は律儀・正直者といった性格を評価されており、究極の個人主義が主流だった戦国時代に珍しい存在でした。

そして何よりも秀吉の死後、いち早く徳川家康に乗り換えたという経歴に代表される通り、「時勢を見誤まらない能力」が立身出世の最大の要因です。

伊右衛門よりも武勇・智謀に優れた数多の武将たちが次々と消えていったことを考えると、乱世を生き残る能力にかけては、石田三成真田幸村などよりも有能だったという評価さえできます。

ただしそれさえも伊右衛門を評価する声よりも、この物語のもう1人の主人公、つまり妻の千代内助の功であったとするのが定説です。

つまり正直・律義だけが取り柄の武将とその賢妻が二人三脚でしたたかに戦国乱世を生き抜く長編小説です。

心は孤独な数学者

心は孤独な数学者 (新潮文庫)

数学者であり作家でもある藤原正彦氏が3人の天才数学者を題材にした伝記です。

数学が苦手な私にとっては、彼らの具体的な偉業が何なのかもよく分かりませんが、本書に登場する3人の経歴を簡単に書いてみます。


アイザック・ニュートン(1642-1727)
イギリスの数学者。
また哲学者、神学者としても知らる
有名な万有引力、そして二項定理を発見する。彼の著書「プリンキピア」は古典力学の基礎を築いたといわれる。

ウィリアム・ロウアン・ハミルトン(1805-1865)
アイルランド生まれの数学者。
10歳で10ヵ国語を習得としたといわれ、四元数と呼ばれる高次複素数を発見したことで知られる。

シェリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887-1920)
インド生まれの数学者。
正規の大学教育を受けていなかったが、連分数や代数的級数の分野で新しい発見をする。
彼の発表したラマヌジャン予想は、その死後50年以上を経て解決がされ、また彼が残した数々の定理を多くの数学者が証明し終えたのは1997年といわれる。



3人を題材にした小説を書くために、藤原氏はイギリスやアイルランド、そしてインドにまで取材旅行を行うといった徹底ぶりです。

数学者の詳しい仕事は分かりませんが、とてつもない頭脳を持った人たちがなる職業だろうという漠然としたイメージはあります。

しかもこの3人は、その数学者たちが"天才"と認める人物なのですから、努力という次元ではどうにもならない我々とは違った思考回路を持っているとしか思えません。

しかし数学の分野で偉大な業績を挙げた彼らも、社会の中では1人の人間に過ぎません。

若くして名声を得るも、同じく名声を得ようとするライバル数学者たちと延々と論争を繰り広げ、後半生は政治の世界にも足を踏み入れてエネルギッシュな人生を送ったニュートン。

祖国アイルランドが飢饉に苦しみイギリスへ対して反乱を起こす中、ひたすら研究に没頭し、結婚が叶わなかった初恋の女性へ生涯思いを寄せ続けたハミルトン。

そして3人のうちでもっともページを割かれているラマヌジャンはイギリス植民地時代のインドの貧しい環境に生まれ、勉強する環境に恵まれなかったという経歴を持ちます。

そんな彼の書いたノートがたまたまケンブリッジ大学のハーディ講師の目にとまり、一躍注目される数学者となります。

並みの数学者が年に何個も発見できないような定理を、彼は毎朝半ダースも抱えて研究室にやってきたというエピソードがあります。

しかも彼自身は、信仰するヒンドゥー教の女神ナマギーリが夢の中で定理を授けてくれたと信じて疑いませんでした。

イギリスに渡り数学に打ち込む環境を手に入れたラマヌジャンでしたが、熱心なヒンドゥー教徒であり厳しい戒律を守っての暮らしは孤独であり、帰国して間もなく病気により若くして亡くなるという運命を辿ります。


数学者としてこの上ない名誉を得た3人ですが、彼らも普通の人と同じように人生に戸惑い悩みを抱き続けたという点は共通しており、読者としても共感を覚える部分が多かったと思います。


ちなみに本書は彼らの業績の中身よりも、その人生に重点を置いて書いてくれているので、私のような数学の素養がない人でもまったく違和感なく読むことができます。


遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス

遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫)

数学者の藤原正彦氏がイギリスのケンブリッジ大学へ1年間の留学を行った体験と、そこで肌に触れたイギリス文化を鋭い観察眼で描いたエッセーです。

留学といっても藤原氏がケンブリッジ大学へ留学したのは数学者としての地位を得た中年になってからであり、妻と2人の息子を伴っての赴任という形です。

著者は私もファンである作家の新田次郎、大ベストセラーとなった「流れる星は生きている 」で有名な藤原てい夫妻の次男です。

数学者とはいえ血は争えないものらしく、藤原正彦自身もベストセラー作家として有名です。

イギリスでは"オックスブリッジ"と称され、オックスフォード大学と双璧をなす伝統と実績を持ったケンブリッジ大学。

約800年前に創立した同大学はイギリス文化を凝縮したものであり、ベーコンクロムウェルダーウィンニュートンといった歴史的偉人が多く在籍し、世界で最多の81人ものノーベル賞受賞者を排出した大学として知られています。

晴天が少なく曇りがちの気候であるイギリス。
一見すると、陰気で社交性に乏しいイギリス人の気質に、訪れた外国人の気分が滅入ってしまう重苦しい雰囲気が漂っています。

しかしそこには伝統を重んじて最新の流行や成金主義を軽蔑する風潮、不便さに耐えてまでも古いものを尊重する自虐的とさえいえる考えは、日本人にも理解できるかも知れません。

著者も最初は排他的で頑固なイギリス人の文化に対してストレスを感じますが、イギリス人たちと交流を深めるうちに彼らが親身になって助けてくれること、そしてユーモアを尊重する人びとであることを理解してゆきます。

また「紳士の国」だけあって、フェア(公正)さを重んじる精神があり、日本の"親切"とも通じる部分があります。

弱い立場の人を援助するとき、日本人は「かわいそう」、「弱い人を助けるのは当たり前」といった道徳的なものが動機になりますが、イギリス人は「フェアであるべき」という騎士道的な精神が動機になるのではないでしょうか。

世界中にはイギリスよりも歴史のある国が数多くありますが、それでもイギリスほど伝統を重んじる国は殆どないのではないでしょうか。

17世紀から19世紀にかけて世界の7つの海を制覇した「日の沈まない国」と謳われたイギリス帝国の姿は見る影もありませんが、それでも彼らは外国から1度も征服されておらず、本当の挫折を味わっていません。

つまり成熟・洗練・老練というキーワードがピッタリときます。

藤原氏はイギリス人やその文化を自らの体験を元に鋭く観察しており、次のように評しています。
イギリスは何もかも見てしまった人びとである。
かつて来た道を、また歩こうとは思わない。
食物や衣料への出費は切り詰めているが、精神的余裕の中に、静かな喜びを見出している。
不便な田舎の家の裏庭で、樹木や草花の小さな変化に大自然を感じ、屋根裏をひっかき回して探し出した曾祖父の用いた家具に歴史を感じながら、自分を大切にした日々を送っている。
もちろん悲しみや淋しさを胸一杯に抱えてはいるが、人前ではそれをユーモアで笑い飛ばす。シェイクスピアの「片目に喜び、片目に涙」である。

外国での暮らしを題材にしたエッセーは数多くありますが、優れた視点で書かれた秀逸な1冊です。

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録

逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録 (幻冬舎文庫)

殺人容疑で逃亡を計り、連日報道を賑わせた市橋達也

タイトル通り、本書は市橋達也自身が2年7ヶ月に及ぶ逃亡生活の記録を出版したものです。

自宅のマンションから警官を振り切って逃げ、全国を徘徊、そして四国のお遍路、沖縄での無人島生活、建設会社で住み込みで働いていた経緯が淡々と書かれています。

市橋自身に自首という選択肢は無かったようであり、身元が明らかになる危険性が少しであると姿をくらますといった張り詰めた日常を過ごしてゆきます。

時には寒さや飢えに耐えるといった生活が続き、本人曰く「懺悔の気持ちを抱きながらの逃避行」だったこともあり、惨めな生活であったかも知れません。

しかし一方で両親をはじめとした家族、そして自身の過去に触れている箇所は皆無であり、犯行動機や犯行場面の描写もありません。

つまり本書がどこまで信憑性を持つかは微妙なものであり、本書に書かれている内容が事実であったとしても表面上のものであり、彼が心の中を余すこと無く暴露した本とは言い難いものです。

指名手配されていた市橋は、いつ逮捕されるかという恐怖、そして日々の糧を得るための手段を求めることに精一杯であり、それによって自らの罪悪感と向き合うことを避けていたという見方もできます。

自らの逃亡生活を描いているにも関わらず本書は主観性のない淡白なものであり、だからこそ出版という形を取れたのかも知れません。

このような"淡白さ"の中にこそ、彼が犯罪に至った本質があるように思えてなりません。

遠き落日(下)

遠き落日(下) (集英社文庫)

病的な浪費癖のある野口英世ですが、彼は学問、研究においても病的なまでに熱心でした。

欠点が大きければ大きいほど、長所もまた大きいといったタイプの人間です。

アメリカ研究者時代に同僚から「24時間不眠主義者」、「人間発電機(ダイナモ)」というあだ名を付けられ、それが決して大袈裟な表現でなかったというエピソードが数多く残っています。

つまり彼の"熱心さ"は到底常人が真似できる次元ではなく、さらに地位や名誉を得てのちも日常のように続けられました。

また彼がなぜ細菌研修者としてのキャリアの大部分をアメリカで過ごしたのかといえば、学閥年功序列といったものが幅を利かせる日本医学会の中に彼の居場所は無く、肩書や出身を問わず、"実力のみがすべての世界"でしか彼が名声を得る余地がなかったといえます。

1度の面識しかないフレスキナー教授の元へアポなしで押しかけ、研究助手として無理やり居着いてしまうといった彼の無計画さには呆れるばかりですが、そこで一歩ずつ実績を残して世界的な研究者として出世する過程も、他人を押しのけてでも自らの研究成果をアピールするという当時の日本人に殆ど見られなかった自己主張の強さが良い作用をもたらした面があります。

つまり奴隷同然の待遇から世界の国々から来賓として迎えられるほどの研究者になってゆくストーリーは、綺麗事が殆ど入り込む余地のない生々しいものであり、そこから等身大の"野口英世"が浮かび上がってきます。

もちろん美談もありますが、物語全体では偉人として幻滅するエピソードの方が多いような気がします。

結果的に大きな愛情を注いでくれた母・シカ、そして多大な援助をしてくれた人びとに充分な恩返しをする間もなく、黄熱病によって世を去ることになります。

しかし猪苗代湖近くの貧しい農家に生まれ育ち、世界へと羽ばたいた偉大な学者が存在したというのは事実であり、それは決して美しい姿ではなかったもしれませんが、人びとに鮮烈な記憶を残して去っていったということは間違いありません。


世間一般に浸透している左手にハンデを負いながらも、地道な努力によって名声を手に入れたという輪郭のぼやけた聖人君主の"野口英世"よりも、人間としてさまざまな欠点のある生々しい"野口英世"に魅力的に感じてしまうのだから不思議です。

遠き落日(上)

遠き落日(上) (集英社文庫)

日本の偉人列伝の中に名を連ねる"野口英世"。

私自身も子どもの頃に家族旅行、修学旅行と2度ほど猪苗代湖の湖畔にある野口英世記念館に訪れた思い出があります。

その記念館で買ってもらった伝記を小学生の頃に読みましたが、一般的な野口英世のイメージをなぞる内容だったと記憶しています。

特に幼児の頃に囲炉裏で大やけどを負い、左手にハンデを抱えるというエピソードは、あらゆる伝記で有名なエピソードです。

また大変貧しい家庭の中で育ち、不自由な左手を馬鹿にされる英世(精作)を庇い、励ます母・シカの元で勉強に励み、やがて世界的に有名な細菌研究者として名を馳せるといったものが、多くの伝記に共通するあらすじではないでしょうか。

たしかに親であれば、子どもへ野口英世の爪の垢を煎じて飲ませたいほどの美談ですが、当時の私にとってあまりにも現実離れした内容であり、また彼の偉業の具体的な内容を理解できる知識が無かったこともあり、"何となく偉い人"という印象に留まっていました。

蛇足ながら当時の千円札は"伊藤博文"であり、なおさら"野口英世"を身近に感じる機会がありませんでした。。

本書は外科医出身であり、日本を代表する作家でもある渡辺淳一が8年におよぶ構想の末に描き上げた、野口英世の伝記小説です。

著者は野口英世の辿った足跡を追って、アメリカ、南米、そしてアフリカにまで取材に行ったという熱の入れようです。

そして偉人の伝記にありがちな虚像と実像の溝を埋めて等身大の人間・野口英世を描いたという点に本書の特徴があり、大人向けの伝記であるといえます。

英世の母・シカは朝早くから夜遅くまで身を粉にして働き、貧しい中で3人の子どもを育てますが、その原因は母子家庭であることではなく、父親が怠け者でおまけにアルコール中毒者であり、貧乏に嫌気が差して失踪してしまうことに原因がありました。

彼は行き場を失って英世が成人ののちに家に帰ってきますが、英世自身は生涯、父親として認めることはなく冷淡に遇し続けました。

そんな環境にも関わらず英世が研究者として就職できた最大の理由は、彼自身の天賦の才能によるものでした。

それは級友、恩師や友人から"金をせびる"ことであり、教科書から学校へ通うための教育費、更には遊興から女遊びまで借金で賄うという才能です。

実際には"借金"というべきものではなく、返済されることは皆無といっていいものでした。

研究者として渡米する際にも、渡航費用の一切をスポンサーたちからの資金集めで賄い、また渡米直前となってそのすべてを遊興(正確には羽目を外し過ぎた自らの送別会)で使い果たすといった逸話は、通常の人間では考えられません。

つまり彼自身の金銭感覚が皆無であり、一種の人間的欠陥といえるまでに酷いもだったということです。

それでも人のいい恩師の血脇守之助は、英世の世間体を取り繕うために家財を担保に入れてまで渡米費を作り出すといった涙ぐましい援助を行います。

また地元の旧友であり、金持ちの薬屋の息子である八子弥寿平にいたっては、家業が傾くほどの莫大な援助を英世へ行い続けました。

これだけの金をせびるという行為は、やはり通常の神経を持った人間であればとても真似できるものではありません。

勉学上の援助の枠をはるかに超えた援助にも関わらず、無限の浪費癖のある英世はいつも金に困っていました。

驚きべきことに、彼が名声と地位を得るに従って膨大な報酬を得るようになってからも状況はまったく変わりませんでした。

小・中学生向けとしてはお薦めできませんが、大人にはぜひ読んでもらいたい伝記です。

ユニクロ 世界一をつかむ経営

ユニクロ 世界一をつかむ経営

全国展開前の時代からユニクロを見てきた著者が、代表の柳井正氏の人間像にスポットを当てながら、その軌跡や経営手法を紹介してゆく本です。

個人的にユニクロに行く機会は余りありませんが、もはや日本中でユニクロが出店していない町は珍しいとまでいえる状況です。

私がはじめユニクロを知ったのは15年近く前の学生の頃でしたが、そのコンセプトに新鮮味を感じたことは覚えています。

やがて店舗数が爆発的に増え、いつの間にか日本でもっとも知名度の高い衣料店チェーンになっていたという印象です。

そんなユニクロがどんな経営判断をして販売戦略・商品開発、そしてマーケティングを手掛けていったかを詳細に知ることができ、ユニクロを率いる"柳井正"という経営者の考えも本書で充分に紹介されています。

おそらく本書はビジネス書に分類されるのでしょうか、個人的には"ユニクロ"という存在を知るための参考書という感想を持ちました。

パナソニックやソニーの時価総額に迫るユニクロは、完全に成功したビジネスモデルであるといえ、本書に書かれている内容は既に過去のものです。

ユニクロを題材にしたビジネス書は数多くあり、ユニクロに関する本をはじめて読む人を除いては、特に目新しい発見はないように思えます。

そんな中で本書を読んで一番印象に残ったのは、人間・柳井正です。

数々の失敗を経験しつつも、その不屈の精神力、時代の流れを読む判断、既成概念に囚われない合理的で斬新な考え方は、稀代の起業家として歴史に名を刻むでしょう。

一方で停滞するユニクロの現状を打破すべく役員全員を解任するといった荒療治を行った過去、全従業員に企業理念を徹底させるという姿勢は、妥協を決して許さない厳しい人間像をも浮かび上がらせます。

それは超大企業となったユニクロ自身にとってさえ達成が容易ではない、中・長期目標を掲げる点からも伺い知ることができます。

目標に到達するためには柳井氏以下、全社員が団結して志を共にしなければ達成は困難でしょう。

彼の志に賛同できる者のみがユニクロに集うことができる

今までの単なる衣料の巨大チェーン店という印象だけでなく、これが本書を読んで新たに感じたユニクロへの印象です。

しかし強力なカリスマである柳井氏も来年で65歳になるようです。

本当のユニクロにとっての正念場は、彼が引退した後にやって来るように思えてなりません。