本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

春を背負って

春を背負って (文春文庫)

文庫本裏に書かれた"心癒される山岳小説の新境地"という説明だけを見て思わず購入してしまった1冊です。

というのも、過去に山岳小説の草分けである新田次郎氏の作品を読み漁った時期があり、今でも年に数回は山歩きをするぼど影響を受けたからです(もっとも冬山登山やクライミングをするほどの気概はなく、近場の山へ日帰りで出かける程度ですが。。)。

物語は脱サラをして、亡くなった父親の山小屋の跡を継いだ享(とおる)という若者を主人公を中心として繰り広げられます。

奥秩父にある甲武信ヶ岳と国師ヶ岳との間にある梓小屋という架空の山小屋が舞台になります。

たとえばヒマラヤ、北アルプスといったあたりが山岳小説の定番ですが、その中で奥秩父は渋い場所です。

舞台や主要な登場人物は統一されていますが、そんな自然の雄大さを背景にした心温まる人間ドラマが短篇という形で六編収められています。


「山の清らかな空気が、都会の慌ただしい時間の流れを忘れさせ、時には人生に疲れた人の心さえも癒してゆく」


文章で書くとベタですが、どこか鄙びた奥秩父の自然の中で人間が少しずつ成長してゆくというのが大きな骨格になっています。


ストーリー自体は比較的素直に作られているため、山岳小説がはじめての人でも抵抗なく読めるのではないでしょうか。

6月には本書を原作とした映画も公開されるようですが、確かに映像化しやすい作品かも知れません。


ちなみに関東の山といえども、その自然の厳しさは決して侮れません。


ブームや小説に感化されたという理由だけで無計画に登山を行うのはあまりに危険であり、充分な準備が必要です。


登山をはじめる前には、当ブログで紹介した「山の遭難―あなたの山登りは大丈夫か 」などの実用書も併せて読むことをお薦めします。

水滸伝 19 旌旗の章

水滸伝 (19)  旌旗の章 (集英社文庫)

いよいよ北方謙三氏の「水滸伝」も最終巻です。

1ヶ月以上にわたって1つの作品を読み続けたのは本当に久しぶりです。

「水滸伝」を読んでいる途中で、続編の「楊令伝」、さらに現在も連載中の「岳飛伝」の存在を知り、著者の並々ならぬ創作意欲に驚きます。

もちろん(あまり時間を空けずに)続編も読んでみたいと思います。

このブログは作品の内容を軽く紹介しながらも、これから読む人のためになるべくストーリーを伏せるという微妙なスタンスで書いているのですが、それでも最終19巻まで書くネタが尽きることはありませんでした。

それは綿密な構成で書かれていることはもちろん、梁山泊の好漢たちのみならず、彼らの宿敵となる青蓮寺童貫軍にも魅力的なキャラクターが登場し、多彩な人間たちの生き方が交差している人間ドラマそのものだからでしょう。

つまり彼ら1つ1つの人生が縦糸や横糸になって大きな1つの物語を紡ぎ出しているようです。

登場する人物たちの生き方は自らが望んだかどうかは別として、いずれも劇的であり苛烈です。

けっして現代に生きる私たちの人生が平たんだとは言いませんが、それでも生死を賭けて敵と対峙したり、自らの命を犠牲にして家族や仲間を守らなければならない日常はまず起こりません。


もちろん可能な限りそんな場面に遭遇したくはありませんが、その一方で男たちの深層心理には、梁山泊の好漢たちのような生き方に憧れるといった二面性があるのも事実です。


まさに「北方水滸伝」はそうした憧れを骨太な長編小説として具現化したものであり、世代を超えて日本人に読み続けられてゆく可能性を感じる作品です。

水滸伝 18 乾坤の章

水滸伝 18 乾坤の章 (集英社文庫)

最強の敵、童貫と戦いを繰り広げる梁山泊軍。

天才的な戦の才能と数的優位さを持つ童貫軍を相手に、梁山泊の好漢たちが次々と斃れてゆきます。

梁山泊の中枢部には幹部が重要な決定を行う場として、聚義庁(しゅうぎちょう)と呼ばれる建物があります。

そこには108人の好漢の名札が壁に掲げられていて、死んだ好漢の名札は裏返されて、赤い文字で表されるのです。

これだけの長編になると、読者それぞれに愛着のある好漢が出てきますが、童貫軍と激突するたびに非情なまでに彼らの名前が次々と赤くなってゆきます。

物語の大きな山場を迎えているという実感と共に、もうすぐ「北方水滸伝」の幕が閉じるという哀愁が漂ってきます。

一方で、こうしたシーンを描く北方氏の心境も気になってしまいます。

これだけの長編大作を執筆し続けた作家だからこそ、登場する梁山泊の好漢たち1人1人に誰よりも愛着があるのではないでしょうか。

ただし個性的で愛すべき好漢たちが苦難を乗り越えながらも、最後には宋を打倒して志を達成するストーリーだとしたら、どうでしょう?

おそらく「水滸伝」は少年・少女向けの(お伽話という意味での)ファンタジー小説でしかなく、私もこの作品をそれほど好きになれなかったでしょう。

昨日まで将来の夢を語り合った仲間が、次の日には簡単に命を落としてしまう。


それは抱いた志が困難で大きいほど、まして宋という巨大な国家を打倒することを目指すのであれば、むしろ当然のように払うべき犠牲なのかも知れません。

北方氏はフィクションの世界を通じて、よりリアルでシビアな男たちの物語を描こうとしたと思えてなりません。

水滸伝 17 朱雀の章

水滸伝 17 朱雀の章 (集英社文庫 き 3-60)

ついに「北方水滸伝」も残すところあと3巻です。

終盤に入り、禁軍の総帥である"童貫(どうかん)"が最強の敵として梁山泊の前に立ちはだかります。彼は「北方水滸伝」の初期から登場していますが、今まで自らが先陣に立つことはありませんでした。

童貫は軍神として半ば伝説化していますが、謎のベールに包まれ本当の実力は分かりません。

彼の部下である将軍たちが優秀であり、梁山泊軍と互角に戦うところから実力の一端を垣間見ることが出来るのみです。

これまで梁山泊の最大のライバルとして争ってきたのは青蓮寺の袁明李富でしたが、彼らは宰相である蔡京を政治的に動かすことはできても、童貫は生粋の軍人に徹し続け、政治的に利用されることを好みませんでした。

童貫は梁山泊を憎むべき賊徒として討伐するのではなく、戦うに相応しい好敵手として認めたからこそ自ら出陣したのです。

ひと言で表現してしまえば、「武人としての血が騒いた」という理由です。

九紋龍・史進をはじめとした梁山泊きっての猛将が攻撃を仕掛けますが、童貫は苦もなく撃退してしまいます。

果たして梁山泊の好漢たちに勝ち目はあるのか?
読者としてはそう思わずにはいられないほど、童貫の実力は圧倒的です。

最後にして最大のピンチに目を離せない展開が続きます。

水滸伝 16 馳驟の章

水滸伝 16 馳驟の章 (集英社文庫 き 3-59)

今更ですが、「水滸伝」といえば108人の好漢です。

何となく水滸伝の伝統のようなもので、今までブログでも"好漢"と書いてきましたが、その意味は"好感の持てる男性"、"気性のさっぱりした男性"といった意味だそうです。

つまり"快男子"とほぼ同義語だと思えばよいでしょう。

しかし、今さらながらこの表現は正しくないことに気付きます。

確かに中には陰湿な性格を持った"気性のさっぱりしていない好漢"がいることも事実ですが、一番の理由は、"女性の好漢(!?)"も登場するからです。

まず筆頭に挙げられるが、男勝りの勇敢さで騎馬隊を率いる扈三娘(こさんじょう)ではないでしょうか。

勇美貌も兼ね備えた女騎士のような華麗な姿は密かに好漢たちの憧れの存在であると同時に、敵である青蓮寺の聞煥章も想いを寄せるヒロイン的な存在といえるでしょう。

他にも諜報などで活躍する孫二娘(そんじじょう)、顧大嫂(こだいそう)といった好漢も有名です。

「北方水滸伝」は男臭い物語ですが、それでも好漢同士のカップルや、妻帯している好漢たちも登場し、厳しい戦場とは違った、微笑ましい場面なども描かれています。

また秦明の妻となる公淑、青蓮寺・李富の愛人である馬桂など、好漢以外にも女性の登場頻度が意外と多い作品です。

中には浮気癖のある好漢や、遊び癖のある好漢、女気のまったくのない硬派な好漢などもいて、その性格は様々です。

戦いでは勇敢で、敵からも恐れられる好漢が、女性にはだらしないといった人間らしい一面を見れるのも楽しみだったりするのです。

水滸伝 15 折戟の章

水滸伝 15 折戟の章(集英社文庫 き 3-58)

圧倒的な軍事力を誇る宋軍を相手に、梁山泊は互角の戦いを続けます。

もちろん優秀な武将や軍師が揃っているのも理由ですが、何といっても長期に渡って戦い続けるためには、兵站を確保することがもっとも大事ではないでしょうか。

そして兵站を維持するために兵糧や武器を補給するための軍資金が必要です。

「北方水滸伝」では主に(政府の管理する塩のルートとは別の)闇の塩を流通させることで得る利益を軍資金として蓄えるといった設定になっています。

敵の青蓮寺もその情報を把握しており、梁山泊の塩の道をの存亡を賭けて水面下で激しいが繰り広げられます。

また兵糧や軍馬、木材など物資を補給する任務に従事する好漢たちも登場します。

例えば梁山泊の頭領である宋江の弟・宋清もその1人です。

表舞台で宋軍と戦う好漢たちだけでなく、著者はこうした裏方で大事な任務を遂行している好漢たちにもしっかりスポットライトを当てています。

梁山泊の実質的なNo.3である盧俊義は、闇の塩の責任者でもあり、著者がいかに物資の調達や補給を重要視しているか、そしてリアリティを大切にしているのが分かります。

手を抜かずこうしたディテールを描くのは、世界設定に奥行きを持たせる長編小説ならではの手法ともいえます。

水滸伝 14 爪牙の章

水滸伝 14 爪牙の章  (集英社文庫 き 3-57)

「北方水滸伝」もいよいよ佳境に入ります。

宋軍20万が梁山泊殲滅に向けて動き出すのです。

はじめは宋江、晁蓋とその同志たちではじまった小さな反乱が、ついに宋という国を本気にさせ、梁山泊の好漢たちが全力を尽くして宋軍と激突する時が来たのです。

梁山泊の他にも、流花塞、双頭山、二竜山といった拠点がありますが、そのすべてが同時に宋軍の攻撃を受けることになります。

しかも今まで戦ってきた士気の低い地方軍ではなく、宋の中でも優れた禁軍の将軍たちが相手です。

優れた人材が揃っている梁山泊とはいえ、兵力や物量の差は圧倒的です。

その中で好漢たちが次々と倒れてゆきます。

本作品は超人的な能力を持った好漢たちが官軍を次々と撃破してゆくような都合のよいストーリーではなく、厳しい現実に直面する非情なシーンが多く登場します。

それが「北方水滸伝」の大きな魅力の1つである、男の死に様を描くという部分に直結しています。

味方を救うために敵を一手に引きつけて討ち死する好漢、死の病にあって最後の使命を果たそうとする好漢、時には危険を顧みないがために暗殺という形で命を落とす好漢さえいます。

108人にもなる梁山泊の好漢たち1人1人に活躍の場と、その死に場所をしっかりと与える北方氏のストーリーはどこまでも男臭く、果たして女性読者が付いてこれるのかと疑問に思ってしまうほどです。

水滸伝 13 白虎の章

水滸伝 13 白虎の章  (集英社文庫 き 3-56)

「北水滸伝」も後半に入り、前半では殆ど目立たなかった梁山泊の水軍が活躍をはじます。

李俊が水軍全体の将として、張順は潜水が得意な兵士を率いて水中での戦いを繰り広げます。

また阮小二は軍船の設計や製造を担当し、水上でも宋軍と戦える体制を整えます。

水軍は、騎馬隊や歩兵隊のように縦横無尽に駆けまわるといったことができません。

また重い船は小回りが効かず、小さな船は壊れやすいといった一長一短があります。

つまり陸よりもさまざまな制約がある中で戦闘を行わなければなりません。

梁山泊が湖と運河で囲まれた内陸の土地であるため大海戦とまでは行きませんが、地上での宋軍との激突を描いた戦闘シーンとひと味違った魅力があります。

こうした何通りもの楽しみができるところが、19巻にもおよぶ大長編であるにも関わらず、読者を飽きさせない要素の1つではないでしょうか。