レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

のんのんばあとオレ

のんのんばあとオレ (ちくま文庫)

漫画家・水木しげるの自伝3部作ともいえる「のんのんばあとオレ」、「ねぼけ人生」、「ほんまにオレはアホやろか」。

水木氏の自伝はどれもクオリティが高く、世にある数多の自伝の中でも最高レベルだと思います。


本作「のんのんばあとオレ」は3部作の記念すべき最初の作品であり、水木氏の幼少期から(出兵するまでの)青年期の自伝となります。

タイトルにある"のんのんばあ"とは、幼い頃の水木氏に多くの伝承や民話、そして怪談を聞かせてくれた近所に住む神仏に使える祈祷師の老婆のことです。

"のんのんばあ"から受けた影響がのちの「ゲゲゲの鬼太郎」を始めとした妖怪マンガを書くきかっけになったことは、水木ファンの間では広く知られています。

今年92歳になった水木氏は今も健在であり、まさしく「三つ子の魂百まで」を形作った強い影響を当時の水木少年に与えたのです。

"のんのんばあ"は民族学的な表現をすれば"シャーマン"であり、大正終わりから昭和のはじめ頃までが、人々の日常の中にこうした種類の人々がいた最後の時代だったのかも知れません。

なぜ水木氏が特別にのんのんばあに可愛がられ、妖怪に興味を持ったかということを簡潔に説明しています。

オレは、生まれつきともいえるほど、葬式とか死とかに興味を持っていた。
茶わんとなべのふたで、チンチンジャンジャンと、葬式坊主のありさまを再現することが得意で、母によくしかられていたものだった。
だから、死とはわれわれの知らない別の世界へ行くことだとのんのんばあに聞かされていたこともあって、すこし気持は悪いが、どのようにして霊界に行くのか見たくてしかたがない。

水木少年は、ガキ大将をはじめとした子どもたちの社会の中でさまざまな遊び(イタズラ)に夢中になる一方で、"人間の住む世界とは別の世界"の存在も疑うことなく肌身に感じながら少年時代を過ごしたのです。

日常の中で水木少年は、のんのんばあからさまざまな話を聞かされて多感な時期を過ごします。
本作に出てくるほんの一部ですが、次のような水木少年とのんのんばあのやり取りが各所に散りばめられています。

うす暗い台所の天井のしみを見ては、あれは、夜、寝静まってから「天井なめ」というお化けが来てつけるのだ、とまじめな顔をしていう。
天井をよくみると、なるほど、それらしいシミがある。疑う余地はない。

「だれもいないのに鐘がなるのは、人の住まぬ荒れ寺に、どこからともなく野寺坊というのが来て鐘をならすのだ」

どうしてそんなに(フロ場)掃除をするのかとオレが聞くと、この腐った木にたまるあかを食べに「あかなめ」という妖怪が来るといけないからだと、のんのんばあは真剣に答えた。

もちろん本作品の主題は水木しげるの少年期の自伝であり、決して怪談ばかりを収録した本ではありません。

戦争の影が確実に忍び寄りつつある暗雲たちこめた昭和初期という時代でしたが、水木しげる氏をはじめとした子どもたちの無邪気でかけがえのない少年時代があふれる躍動感で書かれており、現在の我々が読んでも眩しいくらいに輝いています。