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安楽病棟

安楽病棟 (新潮文庫)

多くの医療ミステリー作品を手がける箒木蓬生氏の作品です。

タイトルから分かる通り、本書のテーマは"安楽死"です。

倫理的な意味合いで"尊厳死"が用いられることがありますが、いずれにしても終末医療で議論になるテーマです。

物語は、老人たちが入院している痴呆病棟が舞台になります。

前半では9人の老人たちが痴呆病棟に入院するまでの経緯を、その過ごしてきた人生ともに淡々とエピソード風に紹介してゆきます。

そして中盤から後半にかけては新人看護婦(城野)の視点から、看護や介護の風景、そして痴呆症にかかりながらも個性的な老人たちの素顔や病棟の日常をきめ細やかに描いています。

重篤な痴呆症になると自らの過去や家族の名前すら思い出せなくなり、加えて老衰によって体が不自由になるにつれ、食事や排便にも支障をきたすようになってきます。

(当たり前ですが)それでも、彼(彼女)たちには今まで歩んできた個性豊かな人生があり、数々の喜びや悲しみと共に多くの人生の時間を過ごしてきた先輩であることを気付かされるのです。


ようやく終盤になって本格的な医療ミステリーへと変わってゆくのですが、小説の場面々々ではっきりとメリハリをつけて書き分けられている印象を受けました。

しかし医療ミステリーとしての"安楽死"は本書の核となる部分ではありません。

あくまでも痴呆症老人たちの日常をなるべく医療現場に近い形で読者へ伝え、そして問題提起してゆくのが箒木氏の狙いだと思います。


私たちは"痴呆老人"を一括りにしてイメージしがちですが、実際の痴呆症の人たちには十人十色の個性がはっきりと出ます。

つまり若い頃の経験や習性などは、失われつつある思考能力や判断力の中でもしっかりと残るのです。

読者の中には、自らの名前さえ思い出せない重度の痴呆症になった時点で安楽死を望む人は結構いるのではないでしょうか。

しかしながらそれは健常者から見た視点であり、実際に痴呆症患者になった時点で"安楽死"の意思を伝えることは困難になりますし、仮に「死にたい」と言ったところで"老人のぼやき"としてしか受け取られないでしょう。

そこで主治医の判断により患者へ安楽死をもたらすという行為は果たして正当化されるのでしょうか?

もちろん現在の日本では一切認められないどころか殺人罪となりますが、一方で回復の見込みがない中で心臓が止まる瞬間まで全力で治療を続けるという行為は患者にとって過酷であり、高齢化社会を迎える日本にとって医療費の負担も大きな問題となってきます。

さらに(息子や娘といった)家族の意思が加わると、そもそも本人の(安楽死の)意思がねじ曲げられてしまうことも容易に想像できます。

本作を読み進めると多くの問題を突きつけられますが、それは"正義"や""といった二元論では解決できないテーマなのです。


昔の日本には、自らの死期を悟った時点で食を絶って静かに衰弱死してゆく老人が多くいたようですが、栄養点滴といった医療技術が確立している現在では、おそらくこうした死に方は出来ないだろうと思います。

今の私には、痴呆や老衰によって不自由になる自分自身を実感を持って想像することは出来ませんが、客観的に考えれば本作品に出てくる多くの老人たちの姿が将来の私自身の姿である可能性は充分に現実的なのです。

行き過ぎた医療技術の進歩が果たして人類へ幸福をもたらすのか?」、「医療技術の進歩に人間の倫理観が追いついていない」といったテーマは、箒木氏のすべての医療ミステリーに共通しているのです。