反冤罪
袴田事件、財田川事件といった戦後の代表的な冤罪、狭山事件といった冤罪の疑いがある事件などを長年に渡り取材してきた鎌田慧氏が、冤罪に関する考察と対談を1冊にまとめたのが本書です。
ある日突然警察がやってきて身に覚えのない容疑で連行される。
いくら否定しようが、泣こうが叫ぼうが無実を信じてもらえず、長い拘束の中で行われる尋問で心ならずもやっていないことを自白させられ、裁判所で無期懲役、最悪の場合は死刑を言い渡される。
もしこれが自分に降りかかった災難だとしたら・・・。
相手は国家権力そのものであり、犯罪者の濡れ衣を着せられた私が抱くのは"絶望"しかなく、長い服役の中で正気を保てる自信さえありません。
たとえば富山氷見事件で冤罪の被害者となった柳原氏は、刑務所に送られる時の心境を次のように語っています。
送られる寸前に、「自分自身も悪いことをしたから刑務所へ行かなければならない」と思い込ませて、自分自身を殺して行くんです。
自分はやっていないという気持ちで刑務所に行ったら務まらないですから、自分自身を殺して入っていくしかないでんすよ。
そんな柳原氏でさえ農薬を飲んだり、リストカットによる自殺未遂という状態まで精神的に追いつめられたのです。
何故やってもいない罪を認めてしまうのか。
それは著者と法心理学者の浜田寿美男氏との対談で触れられていますが、逮捕で身柄を拘束されると警察官に取り囲まれての詰問が続きます。
つまり世の中から隔離され生殺与奪権を相手に握られた状態になるのです。
それに加え弁護人や家族からも信じてもらえないケースさえもあります。
その結果として、裁判の有罪率は99.9%という驚異的な高さになっています。
これは警察や検察の有能さを示す数字ではなく、裁判官が同じ官僚である検察を批判しずらい、仮に批判してしまうと出世が望めないという構造的な問題があることを指摘しています。
もちろん冤罪事件ごとに固有の事情はあるものの、著者は日本の司法を改善すべき点として以下のような主張を持っています。
- 死刑制度の廃止
- 代用監獄の廃止
- 人質司法の廃止
- 調書主義を改める
- 取調べの可視化
- すべての証拠開示
- 公判前整理の見直し
- 検事の濫控訴の制限
- 国選弁護人の報酬値上げ
どの点を取り上げても1冊の本が執筆できてしまうほど深い問題ですが、本書を読めばその問題点をおおよそ理解できるようになっています。
つい先日、刑事司法制度改革の関連法として、取り調べの録音・録画の義務化が国会で可決・成立したというニュースがありましたが、例外事項も多くまだ完全とは言えないようです。
しかし小さくとも確かな前進であることを評価すべきであり、多くの国民がこうした問題に関心を持つことで改革が加速してゆくことを期待せずにはいられません。
石をうがつ
著者の鎌田慧氏はルポライターとしての多くの作品を世に送り出していますが、もう1つ社会活動家としての顔を持っています。
若い頃には三里塚闘争に参加し、またいくつかの冤罪事件に関しても本を執筆すると共に被害者の名誉回復のための運動に参加してるようです。
そして鎌田氏が近年もっとも力を入れ、また大規模に繰り広げているのが脱原発運動です。
私自身も原発の建設、稼働には反対の意見を持っていますが、たとえばチェルノブイリ事故を扱った「終わりのない惨劇」を読んだ時の衝撃などが少なからず影響しています。
すでにチェルノブイリ事故で1つ間違えば核が人類にとっての悲劇となる教訓があったにも関わらず、IAEAの方針に追随し続けた日本が福島原発事故によって同じ運命を辿ってしまったことに怒りと悲しみを感じます。
本書は自らも中心になっている「さようなら原発運動」のなかで書いた文章や講演内容を1冊の本にまとめたものです。
放射能によって汚染された警戒区域はテレビなどで何度も取り上げられていますが、著者もルポライターとして足を踏み入れています。
町並みがそのまま取り残されているにも関わらず無人となった風景が活字で表現されているのを読むと、映像とはひと味違った不気味さが伝わってきます。
そして著者は、かつてそこに住んでいた人びとの苦悩をインタビューで拾い上げてゆきます。
そこからは一向に進まない補償問題や生活再建の見通し、故郷や家族を失った苛立ちと悲しみが言葉に込められ、改めて取り返しの付かない人災であったことに気付かされます。
著者は東日本大震災以前から原発反対の立場で日本各地を取材してきた経験があり、2001年頃の著書に次のように記しています。
「いまわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。つまり、すべての原発が休止するまでに、大事故に遭わないですむかどうかである。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのと同じ最悪の選択である」
多くの社会問題に関わり続けた著者は、その危機を絶え間なく訴え続けることが出来なかった、そしてフクシマの大事故が現実のものとなってしまったことへの痛恨の思いから、積極的に原発反対運動に参加しているのです。
原発事故の悲劇や危険さ、そして被害者の方々を取材した本は多くのジャーナリストや作家によって紹介されていますが、本書でもっとも力を入れているのが、原発建設によって疲弊、荒廃した地域を紹介すると同時に、過去に住民たちの反対運動によって原発建設を阻止した地域にも言及している部分です。
周知の通り原発が建設されるのは、原発によって作り出された電力を消費する東京をはじめとした大都市ではなく、過疎化の進んだ地方です。
そこで電力会社は土地を密かに買い上げ、さらに原発誘致運動側に立てば東電への就職を世話する、すなわち生活を保証するといった甘言で地域に忍び寄ります。
それは段々とエスカレートしてゆき、ついには自治体を丸ごと買収しようとさえします。
電力会社が新しい庁舎を用意し、政府からは何十億円もの交付金が配られ、巨大な土木工事といった需要が生まれます。
そして一時的な大金を手にした自治体は身の丈に合わない箱ものを建設し、その維持費を捻出するためにますます原発に依存してゆかざるを得なくなるのです。
また過去にはなかった原発反対派と賛成派という住民同士の対立まで引き起こすのです。
一方で原発に頼らない町づくりを目指し、住民投票によって原発建設を白紙撤回させた自治体も存在します。
これを単純に前者の方の意志が弱かった、強欲だったと断言することはできません。
「事故など絶対にありえない」、「原発は怖くない」というウソで塗り固められた住民説明、そして時には「工場」予定地へだまし討ちのように原発を建設することまでしたのです。
本書を通じて、"核"のもたらす経済的な恩恵は莫大であると同時に、人類にとってもっとも危険な存在でもあることを再認識せずにはいられません。
少なくとも反原発デモの掲げているスローガン「経済より命が大事」といのは誰にとっても当たり前のことであり、日本政府や電力会社、また国民たちまでがその当たり前に目をそむけ続けてきたのです。
監督の器
野球チームにとってのリーダーとは誰だろうか?
プレイヤーとしてのキャプテン、エース、4番バッター、現場指揮官としての監督、コーチ、またフロントとしての球団社長、オーナーに至るまで、それぞれがある面でリーダー的な役割を果たしています。
それでも1人だけリーダーを選ぶとしたら、選手の起用やコーチの人選、試合の戦略や戦術に対してもっとも決定権を持っている"監督"がもっとも相応しいでしょう。
本書は選手としてはもちろん監督としても実績を残してきた野村克也氏が監督論、つまりプロ野球チームという組織を率いるリーダー論という視点で執筆した1冊です。
普段、野球評論家として活躍する野村氏が言及するのは現役選手が中心ですが、本書の醍醐味は歴代の名監督たちを評論している点です。
まずは1950年代に三大監督と呼ばれた鶴岡一人、三原脩、水原茂の3人を取り上げています。
いずれも強烈な個性をもった監督であり、野村氏はその中でも選手に厳しく当たることで有名な鶴岡監督の下でプロ野球選手として出発します。
学ぶことが多かった反面、苦い思い出も多かったらしく、次のような野村氏ならではの評価がされています。
戦後の名将も、必ずしも人間的に尊敬できるとは言い難いが、人心の掌握や用兵などでは名将と呼ばれるにふさわしい監督だった。
続いて巨人のV9時台を築いた川上哲治、また阪急、近鉄の監督を歴任した西本幸雄を取り上げます。
とくに川上監督へ対しては、自身が南海の兼任監督時代に対戦してその実力を肌で感じていたこともあり、"名監督の全ての条件を兼ね備えた真の名監督だった"という野村氏らしからぬ手放しの称賛をしています。
続いて長嶋茂雄、王貞治、広岡達朗、森祇晶、上田利治といったほぼ同世代の監督たちに言及しています。
とくに西武の黄金時代の監督として活躍した森氏とは同じ捕手出身ということで現役時代から交流があり、監督になったのちも盟友であり、ライバルであり続けました。
もちろん森氏の実力をある程度評価しつつも、最後にひと言付け加えずにはいられない野村氏らしさは健在です。
森は与えられた組織戦力の采配には秀でているが、私のような弱者の戦略、少ない戦力でやりくりしたり、若い選手を育てたり、あるいは再生してなんとか活路を見出す、といったことはあまり得意でなかったようだ。
そして最後に星野仙一、落合博満といった年下世代の監督へ対しても野村氏なりの評価をしています。
後輩ということもあり、幾分その評価が辛口に感じるのは私だけではないはずです。
たとえば落合監督には私も一目置くと持ち上げならも、急転直下の落としぶりです。
ただ、私は、落合にはふたつの足りない点があったように思う。ひとつは人望。
~ 中略 ~
もうひとつ、私が物足りなく、惜しいと思ったことがある。それは「オレ流」などといって、自分の個性を必要以上に強調しすぎる傾向があったことだ。
本書の後半では真の監督(リーダー)に必要な知略や人材育成術といったものを解説していますが、私自身はここで紹介した前半の歴代監督への評論が抜群にお勧めです。
理想の野球
本書は南海ホークス、ヤクルトスワローズ、楽天イーグルスなどの監督を歴任した野村克也氏がサンケイスポーツ紙上で連載した2011年のレギュラーシーズン、2007~2010年の日本シリーズの野球解説を新書にまとめたものです。
普段スポーツ新聞を読まない私にとって、たとえ過去の試合であっても野村氏の解説をまとめて読めることに贅沢を感じてしまいます。
ID野球を提唱した野村監督は「必死に打球に喰らいつてゆけ」、「気持ちでボールを投げろ」といった精神論に寄った指導ではなく、対戦相手のデータを駆使して「相手バッテリーの配球を読め」、「相手バッターの癖を見抜け」といった緻密な計算に基づいた指揮を行うことで知られています。
もちろん精神論を軽んじているわけでなく、プロ野球選手であればそうした心構えは当然という前提があり、その上で根拠の無い勘に頼ったり、まして何も考えずにプレーすることをもっとも嫌います。
選手、監督として申し分のない実績に裏打ちされた明快な理論、どの選手、監督(時には球団フロント)へ対しても歯に衣着せぬ発言が野村氏の持ち味だといえます。
そんな野村監督らしい解説をほんの一部だけ紹介します。
星野監督は積極性を選手に植え付けたいという。私も積極性を重んじるが、そのアプローチは異なる。「何が何でも第1ストライクから」では、選手が自由をはき違えて淡白な野球になる。だから「打者有利のカウントでは思い切って狙い球を絞って打ってゆけ」などと指導してきた。
星野監督といえば熱血な指導で知られていますが、理論派の野村監督との対比が分かりやすく出ています。
団体競技である野球の原点とは何か。「まとまり」にほかならない。「後ろへ、後ろへと回していこうと考えていた」好調だった夏に、連打が生まれて勝った試合の後に、はからずも宮本慎也が口にしていた。
戦力的に不利なチームを率いて強豪チームを倒すことを醍醐味としていた野村監督らしい言葉です。
私は、「野球の底力」ではなく、「プロ野球の底力」を見たい。全力疾走、フルスイングへの称賛・・・・・。それだけなら「アマチュア化」ではないか。プロは、難しいことを簡単に見せてこそ、である。
野村監督は選手を滅多に褒めないことで知られていますが、プロ野球選手が人の見えない所で努力するのは当然であり、つねに今より高いレベルに到達することを選手たちに求めてきました。
誰もが認める選手だった古田敦也氏でさえ、野村監督には一度も誉められたことがないみたいです。
今の監督は全体的に"選手を誉めて伸ばすタイプ"に偏り過ぎているかも知れません。
パ6球団で、茶髪、長髪、ヒゲが多いのは日本ハム、ロッテという外国人監督が率いる強豪球団である。たかが茶髪、かもしれない。だが選手教育とは、人間教育、社会教育を基に成り立っているものだ。
これも野村監督らしさが出ています。
「髪の乱れは心の乱れ」、選手のしつけも監督の責務と捉えていたのは、何よりも野球少年たちにとってプロ野球選手はお手本であるべきという信念を持っていたからです。
野村克也氏の野球解説を通じて、その根底にある考え方と野球の奥深さを堪能できた1冊でした。
炭鉱に生きる 地の底の人生記録
2ヶ月ほど机の上に置き、時間のある時に開いては眺め続けていたのが本書です。
本書に掲載されている山本作兵衛氏の炭鉱画は、日本ではじめて世界記憶遺産(ユネスコ記憶遺産)に登録されたことでも知られているようです。
ただし世界記憶遺産という権威に頼らずとも、山本氏の炭鉱画の持つ歴史的な価値は一見して分かります。
山本氏は明治39年(14歳のとき)から炭鉱員として働き続け、一線を退いた60代半ば近くからその経験を子孫に伝えるために"絵"として書き起こし始めました。
それは正統な絵画の手法ではありませんが、過酷な炭鉱で働き続け、50数年ぶりに絵筆を手にとったという事情を考えれば無理もありません。
よって本書は"文章"よりも山本氏の"炭鉱画"が主役であり、その意味でも"読む"より"眺める"という表現が相応しい1冊です。
今やエネルギーの主役石炭は石油や原子力にシフトし、鉄鋼業などで使用されている石炭も大部分が輸入に頼っている状態です。
つまり"鉱夫"という職業は現在の日本から絶滅し、彼らの生きていた時代を生き証人として伝えることの出来た最後の人が山本氏なのです。
ちなみにタイトルの"炭鉱"は、"たんこう"ではなく"ヤマ"と読みます。
本書にはヤマで使われていた言葉、労働の様子、日々の暮らし、娯楽といった彼らの生涯そのものが絵として詳細に描かれており、中にはヤマで行われていた見せしめ(リンチ)、ヤマに狐が現れて人を騙した逸話までもが紹介されています。
そこからは明治から昭和初期にかけての坑夫たちの重労働、生活の貧しさ、そして死と隣合わせの危険さが浮き上がってきます。
とにかく絵から伝わってくる迫力に圧倒され、ページをめくるたびに目が釘付けになりました。
下手な民俗資料館よりも本書から得られることが多いように思えます。
そこには素朴に謙虚に、そして一生懸命生きてきた先人の記憶と知識が詰まっています。
本書で心に残った山本氏の一節を紹介しておきます。
もともとが自分の子孫に描き残しておこうと思ってはじめたことですから、他人に見せようなどとは夢にも想像せず、また見せられるようなしろものでもありません。
貧乏に生まれて知恵もなく、一生をようするに社会の場ふさぎとして過ごしてきた一人の老坑夫のまずしい記録にすぎません。したがって、ただひたすらに正確にありのままを記すことのみを心掛け、それ以外のことは考える余裕もありませんでした。
これから五十年、あるいは百年の後、孫やその孫たちが、こんなみじめな生活もあったのか、と心から思えるような社会であってほしい。
それだけがせめてもの願いであります。
山本作兵衛氏の絵はWebでも見ることができます。
興味のある人は覗いてみたら如何でしょうか。
ピョートル大帝とその時代
ロシア近世社会史を専攻する著者(土肥恒之氏)が、ピョートル大帝(ピョートル1世)の改革やその成果をまとめた1冊です。
高校で世界史を専攻する学生であればピョートル大帝は必ず覚えなければいけない名前ですが、本書で触れられている内容はより詳細で専門的であるため、私なりに簡潔にその業績をまとめてみようと思います。
ピョートル大帝(ピョートル1世)は、17世紀終わりから18世紀前半にかけて活躍したロシア帝国の開祖とされる人物です。
彼の登場以前にもロシアは"ツァーリ"と呼ばれる専制君主によって支配されてきましたが、地理的には辺境に位置し、国土は広大であっても寒冷で肥沃な土地の少なかったこともあり決して国力は豊かではなく、ヨーロッパ諸国からは後進国と見下される位置に甘んじていました。
それがピョートル大帝が即位するやいなや軍備を西欧化することによって強化し、今までロシアに存在しなかった海軍を創設しました。
そして当時バルト海を支配していたスウェーデンを大北方戦争によって打ち破り、新しく獲得した地に新都サンクト・ペテルブルグを建設してロシア帝国をあっという間に列強国に押し上げた功績を残しました。
ロシア帝国 → ソ連 → ロシア連邦 という大国としての系譜の礎を築き上げた人物であり、プーチンもピョートル大帝を尊敬する歴史上の人物として挙げています。
本書ではピョートル大帝の改革を触れるにあたり欠かすことの出来ない、当時の農民や商人、そして貴族の生活や法律、税や軍政度にまで踏み込んで解説しています。またロシア正教会の保護と古儀式派の弾圧といった宗教改革にまで踏み込んで言及しています。
つまりピョートル大帝が戦争(外交)、内政、宗教、教育で果たした改革とその成果を余すことなく網羅しています。
一方で伝記的な内容に対しては軽く触れられている程度であり、一般的な読者向けの解説本というよりも著者の研究成果をまとめたという側面が強い本になっています。
ピョートル大帝の軍事的な功績にのみスポットライトが当たる機会が多いですが、軍事的な成果を上げ続けるためにはそのための費用を捻出する必要があります。
つまり財政と表裏一体でなければなりません。
国内産業や外国との交易を活発にする経済的な政策にも力を入れましたが、もっとも大きな比重を占めたのが租税や新税による税収であり、当然のように苦しんだのは農民です。
加えて大規模な常備軍の創設により多くの農民が徴兵され、また新都建設のための労働力としても狩り出されました。
その結果として農民たちが逃亡し人口が減少するといった事態まで発生し、当時の過酷な農民たちの生活にも本書では触れられています。
ピョートル大帝は玉座にふんぞり返っているタイプの指導者ではなく、何でも率先して模範を示す実践派の指導者であり、時には自ら造船所で働くことさえしました。
また細かいレベルの指示に至るまで自ら行い、意欲的に広大なロシア帝国の統治に関わり続けました。
目の前で溺れた水兵を助けるために冷たい海に飛び込み、それが原因でひどい風邪をひき死を迎えるという最期の逸話までもがピョートル大帝らしいのです。
読む筋トレ
本書は"本を上手に読むためのトレーニングを指南する本"だと思い込んで手に取りましたが、実際には"筋トレを指南する本"であることに読み始めて気付きました。
中古の新書をまとめて購入する際に内容を確認せず背表紙のタイトルだけを見て決めることがあるため、今回のような(勝手な)勘違いをすることがあります。
本書の著者はボディデザイナーの森俊憲氏です。
"ボディデザイン"と聞いてピンを来る人は少ないと思いますが、簡潔に説明すると、減量を中心とした引き算のダイエットではなく、自分の理想とする肉体を目指して足し算のアプローチを提唱する著者の造語です。
本書によればダイエットは「挫折ビジネス」というジャンルに含まれ、何度も挫折しては挑戦を繰り返す人の多い"ニーズのなくならないビジネス"だそうです。
経験の無い人にとって定期的な運動や食事制限は少なからず苦痛を伴うものですが、それをストイックな精神だけで乗り切るのは間違いであると著者は指摘しています。
それよりも自己実現のために取り組むべきであり、また安易な手段に頼って手に入れたものに人は価値を見出すことができないという観点から、本書の大部分を具体的なトレーニング方法ではなく、"カラダを動かす前にココロを動かせ!"に代表されるように、トレーニングを継続するためにモチベーションを高めて維持するための方法に割いています。
本書の後半に最小限の努力で最大限の効果を得るためのワークアウトが紹介されていますが、本格的な器具を使ったものではなく、自重、もしくはダンベルといった自宅でも簡単に実践できるメニューで構成されています。
これは著者自身がサラリーマン時代に狭い社員寮でトレーニングを継続した経験、そして本格的なスポーツクラブに入会して通う事を大きなハードルと感じる人が多い中で、会社努めで忙しい人にとっては合理的、かつ効率的なトレーニング方法だといえます。
私自身についていえば定期的に運動する習慣があるため、本書によって特段啓発されたと感じる事はありませんでしたが、これからトレーニングを始めようと考えている人にとっては、いきなりスポーツジムに通い始めるよりも、まずは本書に書かれているように明確な目標を定めて継続できるモチベーションを得ることが大切だという点は共感できます。
少なくとも実際にアスリートが実践しているトレーニング方法が書かれている本を手に取るよりも、まずは本書のように初心者に向けて書かれたものから読み始めるのが良いように思えます。
叱られる力 聞く力 2
副題から分かる通り、前回紹介した阿川佐和子氏による「聞く力」の続編です。
今回は「叱られる力」という少し変わったタイトルです。
学生や新人社会人の頃に叱られていても、年を取れば取るほどその頻度が減ってゆくことは容易に想像できます。
それだけに大人になった私たちが叱られると、反省よりも先に(自分を叱った人が年下や見ず知らずの人であればなおさら)すっかり尊大になった自尊心が傷つかないように言い訳をしたり反感を抱いたりするのが普通ではないでしょうか。
つまりいつの間にか(私含めて)大部分の人が叱られることに抵抗を覚えるようになるのです。
そしてもう1つ重要なのが叱る側です。
子どもはともかく、部下や後輩を叱るときにはそれなりの労力や覚悟が必要になります。
最近の若者は"叱られ馴れしてない"と言われますが、誤った叱り方をしてしまうと出社しなくなる、また最悪の場合には"パワハラ"として訴えられかねない時代なのかも知れず、本書ではスマートに叱る方法についても言及しています。
そして後半は「叱られ続けのアガワの60年史」という著者自身の経験が語られています。
著者の父親である阿川弘之氏は「瞬間湯沸かし器」というあだ名で有名であり、「子供に人権はない」、「家庭において父親は絶対」という環境に生まれ育ったようです(一説には父親が怖すぎて男が近寄らないために著者が未だに独身という噂もあるようです。。)。
よって父親に叱られるのに理屈や正論が通じないことも多かったようですが、この経験がのちにテレビ会社で怖いディレクターの上司を持ったときにも生かされたようです。
ここまで書いて思い出したのが、明治維新の元勲として陸軍大将まで経験した西郷隆盛の逸話です。
それは彼が官位を捨てて故郷の鹿児島に帰ってきたのち、ある日路上で見ず知らずの老婆に叱られた時、顔を真っ赤にして平身低頭して詫びたというエピソードです。
叱られた時に上手にくぐり抜けるテクニックも時に必要だと思いますが、結局は謙虚さと真摯さが大切になってくるように思えます。
本書は指南書というより、"叱られる"、"叱る"をテーマにしたエッセーのような作品であり、楽しくスラスラと読むことができます。
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