本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

人斬り剣奥儀


津本陽氏といえば剣豪小説を得意とした作家ですが、その剣豪小説の短編が10作品も収められている贅沢な1冊です。

  • 小太刀勢源
  • 松柏折る
  • 身の位
  • 肩の砕き
  • 抜き、即、斬
  • 念流手の内
  • 天に消えた星
  • 抜刀隊
  • 剣光三国峠
  • ボンベン小僧

いずれも凄まじい剣の遣い手たちが主人公になっていますが、富田勢源柳生連也(厳包)白井亨など知る人ぞ知る剣の達人もいれば、無名の若い剣士が主人公になっている作品もあります。

また時代背景も戦国から幕末、明治とかなり幅広くなっており、一口に剣豪小説と言ってもバラエティに富んだ飽きの来ない作品構成になっています。

津本陽氏の特徴は、命を賭けた対決を表現する迫真の表現力と著者自身が剣道と居合の有段者ということもあり、各流派の特徴や剣技を細やかに解説してくれる点にあります。

荒唐無稽でエンターテイメント性のある剣豪小説も楽しめるかも知れませんが、個人的にはやはり地に足の着いたリアリティのある津本作品が好みです。

全編に渡って漂う緊張感が読者を引き込み、一旦読み始めると手放せなくなること間違いなしです。

新陰流小笠原長治


歴史小説好きの私にとって小笠原長治の名前は知っていても、戦国時代の剣豪といった程度の印象しか持っていませんでした。

何と言っても戦国時代の主役は武将たちであり、上泉伊勢守塚原卜伝柳生宗厳・宗矩宮本武蔵といった有名どころの剣豪でなければ具体的なイメージが沸いてきません。

しかし津本陽氏は、本作品の主人公・小笠原長治をはじめ一般的に知られていない剣豪を題材にした作品が多く、私にとって新たな発見で喜ばせてくれるのです。

簡単に説明すると小笠原長治は、剣聖と呼ばれた上泉伊勢守の孫弟子であたる人物で、戦国後期から江戸時代初期に活躍した剣豪です。
ほぼ同世代には示現流の開祖となった東郷重位がおり、彼も津本陽氏によって「薩南示現流」という作品で主人公として描かれています。

小笠原家は武田家につらなる名族でしたが、今川、武田、徳川、そして北条といった勢力に翻弄され、長治も幼少の頃より戦国の厳しさ身をもって経験しながら育ちます。

最後に仕えることになった北条家が秀吉の小田原征伐によって滅亡した時点で長治は二十歳の青年でした。

幼い頃より権謀術数を目の当たりにし、自らが生まれ育った小笠原家が戦乱に翻弄されるのを体験し、戦国武将としてではなく一介の武芸者としてひたすら剣の道を極める道を選びます。

長治が同時代に活躍した剣豪たちと違うのは、未知なる強敵を求めて琉球、そして(大陸)へと渡り、双節棍(ヌンチャク)や矛といった、日本には無い武器の達人たちと渡り合ったことです。

異国の地で腕試しというエピソードは大山倍達を主人公にした「空手バカ一代」にも通ずるものがあり、小笠原長治がその先駆けだったと考えると、時代を超えた男のロマンを感じてしまうのです。

漂流


船乗りが突然の嵐に襲われ漂流し、やがて無人島に辿り着く。。

生き延びるためにはそこで飲水や食料を探し出す必要があり、雨風を凌ぐための住居を確保しなければなりません。
やがて無人島での生活が安定してくると、故郷に帰るために島から脱出する方法を試行錯誤してゆくことになります。

これを十五少年漂流記風に描けば冒険小説ということになりますが、本書は江戸時代に無人島へ漂流することになり、そこで13年間もの時間を過ごし奇跡的に帰還した土佐(高知県)の船乗り長平の史実に基づいた小説です。

長平が漂着した島は現在の伊豆諸島南部に位置し、現在も無人島でありつづける鳥島です。

周囲6.5km、草木はまばらで水源もない苛酷な環境下にある島でしたが、温暖な気候でアホウドリの繁殖地であるという幸運にも恵まれました。

実際に長平たちが無人島で生き延びた具体的な方法については本作品の醍醐味でもあり、ここで詳細を紹介することは控えますが、某テレビ番組の無人島サバイバル生活を見ているようなエンターテイメント性があります。

しかし忘れてはならないのは、長平たちは文字通りのサバイバルを体験したのであり、仲間たちの死、故郷に戻れる保証がない絶望と隣合わせの精神状態といった切迫感と悲壮感が読者にも伝わってきます。

著者が江戸時代の漂流者の記録に興味を持ったきっかけは、終戦後に南の島々から突然のように姿を現し帰国した日本兵へ対する驚きであると述べています。

世間からまったく隔離され、家族あるいは恋人に2度と会えない不安、そして彼らにとっても自分がすでに過去の人(故人)となっている風景を想像すると絶望的な気持ちになるのも分かります。

運良く故郷へ帰還して歓喜の再会を果たす者もいれば、妻が未亡人として再婚し家族離散という悲哀を味わう者もいるのです。

いずれにしても極限状態を経験した長平の壮絶な人生が読者に感動を与えるとともに、日々何気なく過ごしている私たちがいかに快適な暮らしに恵まれているかを実感させてくれるのです。

三陸海岸大津波


本書は昭和40年代前半に吉村昭氏が三陸沿岸を訪れ、津波の資料を集め体験談を取材した内容をまとめたものであり、過去3回の津波災害の記録が収められています。

  • 明治二十九年の津波
  • 昭和八年の津波
  • チリ地震津波(昭和三十九年)

吉村氏は三陸海岸が好きで取材前にも何度か訪れていますが、その理由を次のように表現しています。

私を魅する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。
~ 中略 ~
三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向かい合っている。

つまり埋め立てられた都会の海、もしくは観光地として景色が良いだけの海にはない魅力を感じているのと同時に、それは表裏一体であることを鋭く指摘しています。

海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、人々の生命をおびやかす苛酷な試練をも課す。海は大自然の常として、人間を豊かにする反面、容赦なく死をも強いる。

三陸地方では津波を「よだ」と呼んでいましたが、太古よりここに住む人々は「よだ」によって多くの犠牲を払ってきました。
それは古老の伝承や教訓となって脈々と子孫に受け継がれ、生活の知恵として根付いてゆきましたが、それでも明治29年の津波では2万6千名以上もの死者を出す大災害となりました

本書に収められている津波の体験談、とくに一瞬にして家族を失った当時の小学生が残した作文には時代を超えて訴えるものがあります。

吉村氏が取材した時点(昭和40年代)で明治29年津波の体験談を聞くことができたのは高齢者の2人のみで、まさにギリギリのタイミングだったといえます。
本書の最後にそのうちの1人である星野氏が語った言葉が印象深く残っていると著者は綴っています。

「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」

吉村氏はこれを生涯において3度の大津波というすさまじい体験をし、津波と戦いながら生きてきた人の重みある言葉と受け取っていますが、本書が発表されて40年後に再び東日本大震災による津波で大きな被害を受けることを知っている私(読者)は複雑な気持ちになると同時に、世代を超えて災害の教訓を未来に伝えることの難しさを実感せずにはいられないのです。

過去の教訓から決意を新たにするという意味でも本書の果たす役割は小さくないはずであり、少しでも多くの人に読んでもらいたい1冊です。

羆嵐


1915年(大正4年)、北海道苫前郡内の開拓村で獣害史最大の惨劇が発生します。
それはヒグマが人を襲い、7名が死亡、3名が重傷を負ったという悲惨な出来事であり「三毛別羆事件」として知られています。

しかも襲われた人間は山菜を取りに行った途中でも登山の最中でもなく、人間の暮らす集落に姿を現し家の壁を突き破って襲撃するという驚くべきものでした。

人間を獲物として認識したヒグマは火を恐れることもなく、焚火によって身を守ろうとした人びとを次々と襲撃してゆきます。
そしてついに開拓民たちは村を放棄し避難することを選択します。

やがて警察や青年団によって200名もの討伐隊が組織され、さらに軍隊にまで出動が要請されるという事態に発展します。

しかし余りにも巨大で兇暴なヒグマを目の前に人びとは震え上がり、統制は乱れがちになります。
その中でヒグマ退治に立ち上がったのが、半世紀にもわたり熊撃ちを続けてきたある1人の初老のマタギだったのでした。

本書はこの三毛別羆事件を題材にした小説です。

故人の遺族を考慮して名前を変えている部分はあるものの、事件の発生前からその後の顛末に至るまでが詳細に描かれています。

第三者の立場で淡々と出来事を描いてゆく吉村昭氏のスタイルはこうした題材にもっともマッチしているといえます。

今から100年前の事件ですが、手付かずの自然が開発されてゆくにつれ、人間と野生動物がうまく共存できなかった故の悲劇を見ることもできるのです。

落日の宴 勘定奉行川路聖謨(下)


これまで多くの歴史小説を読んできましたが、ここ2年ほど吉村昭氏の小説を手にとる機会が増えています。

吉村氏の小説は、彼自身の主観が直接的に表現されることが少なく、また登場人物の抱く思考や感情が描写される機会も少ないため、読者を熱狂させる劇場型の歴史小説ではありません。

それよりも主人公たちの辿った足取りやそこで起きた出来事をなるべく細かく忠実に描くことに力を注いでいる感想を持ちます。

作品によっては退屈と感じる場面にも遭遇しますが、そうした何気ないエピソードの積み重ねが歴史を作り上げているという事実に気付いてからは、逆に楽しく読むことが出来るようになりました。

本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)は、幕末にロシア使節プチャーチンと緊迫したハードな交渉を重ねてゆきます。

やがてそれは日本の将来に重大な影響をもたらすものの、実際には地道で遅々として進まない交渉を継続した結果であり、ある日突然飛躍的に成し遂げたものではありませんでした。

プチャーチンと共にこの交渉の中心であり続けた川路を主人公にして劇的な物語を描こうとしても難しいでしょう。

しかし地道でありながらも誠実さを持って確かな足取りを一歩ずつ残して交渉を進めてきたという意味では、記録型の歴史小説を得意とする著者の作風にぴったりの人物であるといえます。

川路は、自分を抜擢し重宝した阿部正弘が病死し、続いて老中首座に就いた堀田正睦が失脚したのちに井伊直弼が大老として実験を握ってからは、幕府の中枢から遠ざけられ高齢で身体が不自由だったこともあり、晩年は不遇の時代を過ごすことになります。

しかし吉村氏は、川路のそんな時代をも淡々と描き続け、倒幕軍が江戸に到着すると聞くやピストルで自らの命を絶つ場面まで筆を置くことはありませんでした。

そこには西郷隆盛や坂本龍馬、土方歳三の最期のように強烈な印象はありませんが、自らのすべてを幕府に捧げ続け、そして力尽きた1人の老人の静かな死は何とも言えない余韻を読者に残すのです。

落日の宴 勘定奉行川路聖謨(上)


幕末・明治維新といえば志士、そして新選組をはじめとした幕府側の剣士などに注目が集まりますが、彼らが後世に残る活躍をするきっかけとなったとなったのが黒船来航であり、その結果として巻き起こった開国論攘夷論のせめぎ合いであるといえます。

結果的に江戸幕府は倒れることになりますが、幕府の指導者たちははじめから無策であった訳ではありません。
むしろアメリカやそれに続いて来航したロシアとの交渉に際しては、教養と学問を身に付けた有能な幕臣が外国との交渉を粘り強く進めたことは案外知られていません。

その代表格といえるのが本書の主人公・川路聖謨(かわじ としあきら)であり、彼はロシア使節のプチャーチンと開国、そして領土問題の交渉において大きな成果を収めました。

プチャーチンが長崎を訪れた1853年時点で川路はすでに勘定奉行に就任していましたが、元々は小普請組の小吏という低い身分であり、豊富な知識と冷静な判断力を閣老たちに評価され実力で勝ち取った昇進でした。

またその背景には安政の改革を実行した老中首座・阿部正弘が身分にとらわれず能力第一主義で有能な人材を抜擢したという幸運もありました。

川路は当時すでに50歳を過ぎていましたが、ロシアと交渉するために文字通り日本中を奔走する日々を送ります。

吉村昭氏らしく、一刻を争うような事態へ対して慌ただしく対処してゆく川路の足取りや交渉内容が仔細漏らさず描かれているという印象を受けます。

川路は一流の剣客ではなく、神算鬼謀の軍師といった人物でもありませんでした。
そして何よりも新しい時代を作り上げるという変革を望むタイプではなく、幕府の有能な忠臣といった人物像がもっとも当てはまります。

外国語には堪能でなかったものの、外国事情に通じ、巧妙な駆け引きと聡明な判断力を駆使しながら海千山千のプチャーチン相手に一歩も引かない交渉を進めます。

その中でも作者が特筆した点が、川路の根底にある揺るぎない誠実さであり、プチャーチンは川路を手強い交渉相手と認めながらも、ヨーロッパにも珍しいほどの優れた人物として激賞しています。

それは鎖国政策を続けてきた日本に優れた国際感覚を持った人物がいたことを意味し、それを世間に広く知ってもらうために作者は筆を取ったのではないでしょうか。

山怪 弐 山人が語る不思議な話


多くの子どもがそうだったように、私も妖怪や心霊現象といった恐ろしくも不思議なエピソードが大好きな1人でした。

かつては心霊研究家や霊能者がテレビに出演することは普通でしたし、当時は彼らの能力を疑うことなく食い入るように見ていました。
さらに水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される漫画やアニメも何度見返したか分かりません。

小学生高学年にもなるとこうした不思議な世界は徐々に頭の片隅に追いやられるようになりましたが、成人したのちに柳田國男の著書を読み、また日本各地の文化を知るようになると依然として例えば沖縄のユタ、東北地方のイタコ拝み屋(祈祷師)といった人びとが今も活動していることを知り、忘れ去ったはずの不思議な世界に再び興味を惹かれるのです。

本書は日本各地の山間地域で今も現在進行系で生まれつつある不思議な体験をひたすら収録した田中康弘氏「山怪」の第2弾です。

構成は前作とまったく同じで、第1弾に収まりきれなかった、もしくは取材によって新たに追加されたエピソードが収録されています。

あえて言えば狐憑き蛇の憑依、もしくは犬神憑きといった話は前作に無かった類のエピソードかも知れませんが、いずれにせよ山村に住む人々、猟師や林業従事者、修験道の行者など"山"との関わりが深い人たちの体験談であることに違いはありません。

本書の面白い点の1つは、しばしば不思議な現象を迷信や錯覚としてまったく信じない人びとの話も収録している部分です。

著者は取材の過程では決してその考えを否定しませんが、一方で彼らに共通するものを冷静に観察しているのです。

時々あれは何だったのかと思い出し、それを他人に話したりする。そして最後に、"あれは錯覚だったのだ"と再確認しようとする。
一生のうちに何度もこの作業を繰り返すことこそ、怪異を認めている証拠ではないだろうか。中には完全に記憶から消し去る人もいる。しかしそれがふとした弾みで口から飛び出す場合もあり、そんな時は当の本人が一番驚いているのである。

さらには、まったく違うベクトルで怪異を受け止める人もいます。

八甲田山麓のある宿泊施設で明治時代の陸軍歩兵の霊(もちろん八甲田雪中行軍遭難事件の犠牲者と思われる)が真夜中に館内を歩き回るのをほとんどの従業員が目撃しているものの、怪談話にもなっていないというエピソードです。

「最初は驚くんだけどねえ、すぐ慣れるみたいだよ。何かする訳じゃないし、怖いと感じもしないらしいね。ただ歩いているだけだから」

他にも日常風景や自然現象と同じように怪異を受け止める人びと、つまり怪異が生活の奥深くに根付いてる地域も存在しているのです。

しかし私たちに彼らを時代遅れの迷信深い人と批判する資格はありません。

なぜならお盆には亡くなった先祖が家に帰ってくる、四十九日の法要が終るまでは死者は成仏しないという風習を迷信と放言する人は少ないはずだからです。

人知を超えた存在、科学では説明しきれない事象、それは日本の山に今も息づいているのです。