氷壁
井上靖氏の長編小説です。
文学といえば昔から自伝小説が定番であり、井上の作品においても同じ傾向があります。
しかし本作品には山岳小説しての側面、そしてサスペンスや恋愛といった要素も取り入れられており、とにかく読ませる小説として仕上がっている印象を受けます。
600ページに及ぶ作品ですが、じっくりと味わうというよりもページをめくる手が止まらなくなるタイプの作品です。
ネタばれしてしまうと面白さが半減してしまう作品のため、紹介できそうな部分のみをレビューしてみたいと思います。
舞台は昭和30年。
主人公・魚津恭太は新鋭登山家として知られており、普段は会社員として働いています。
魚津は学生時代からの親友である小坂乙彦と共に冬期の前穂高東壁攻略を目指しますが、命綱として使用していたナイロンザイルが突然切れてしまい小坂は転落死してしまいます。
ただ1人助かった魚津は、登山家にとってあってはならないザイル切断の真相を究明するために動き出します。
魚津は当初からナイロンザイルの構造上の欠陥が切断の原因であると確信していましたが、マスコミや世間の見方は必ずしもそうではありませんでした。
なぜなら当時の最先端技術で作られたナイロンザイルは、従来のマニラ麻ザイルよりも強度に優れ、さらに軽量で温度変化にも強いという触れ込みで多くの登山家が使用していたからであり、中には次のような可能性を指摘する人もいました。
- 技術的なミスでザイルが解けてしまった可能性
- 小坂がプライベートで問題を抱えており、自らザイルを故意に切断して自殺した可能性
- 何らかの困難な事情により魚津が、自分が助かるために小坂のザイルを故意に切断した可能性
言わば世論を相手に戦うことになった魚津ですが、会社上司の常磐、亡くなった乙坂が恋していた美那子、そして乙坂の妹・かおるなど、魚津に協力する仲間が存在しつつも、そこには複雑な人間関係と感情が絡み合っていきます。
そこから生まれるストーリーは時には泥沼のように、そして時にはドラマチックに展開してゆき、作品を読む読者を釘付けにする魅力があります。
発表されてから60年以上が経過しているにも関わらず、今でも現代小説として楽しめることに驚きを覚える作品でもあります。