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桜田門外ノ変(上)


桜田門外の変は、安政7年(1860年)に大老・井伊直弼が暗殺された維新史を代表する事件です。
本書は吉村昭氏が、その全貌を余すことなく書き上げた作品です。

とにかく有名な桜田門外の変ですが、この事件が歴史上に与えた影響はとてつもなく大きいといえるでしょう。

まず犠牲者となった井伊直弼安政の大獄の首謀者であり、吉田松陰、橋本左内、梅田雲浜といった当時の代表的な学者たちを死罪に追い込み、加えて多くの大名(藩主)が蟄居や謹慎を言い渡されました。

言わば江戸時代を通じても類を見ない規模で行われた弾圧であり、もっとも強力な政治的統制が行われていた時期でもありました。
しかし桜田門外の変からわずか7年7ヶ月後に大政奉還が行われ、江戸幕府が瓦解したことを考えると、この事件が歴史の動きを一気に早めたということが分かります。

大老は将軍の補佐役という名目ですが、実質的に政治執行の最高責任者という強力な権限を持つ役職であり、その地位にいる人間が暗殺されるという事件も江戸時代を通じて前代未聞の出来事でした。

この事件は17名の水戸藩士脱藩者と、1名の薩摩藩士の手によって実行されました。

維新といえば薩摩藩、長州藩、そして土佐藩にスポットが当たりがちですが、維新の原動力という意味では間違いなく水戸藩が果たした役割がもっとも大きかったといえます。

そしてその中心にいたのが、水戸藩主・徳川斉昭です。
幕末の四賢侯として島津斉彬や山内容堂を中心とした4人の藩主が取り上げられることが多いですが、斉昭はさらにその上に位置する別格の存在でした。

水戸藩といえば御三家の1つであり将軍家に次ぐ影響力を持った藩でしたが、斉昭は型破りな藩政改革を行い、将軍継承問題やアメリカとの修好通商条約では幕府の方針と真っ向から対立していました。

さらに斉昭は水戸藩においてカリスマ的な存在として家臣たちへ大きな影響を与えましたが、当然のように彼らは幕府側から見れば反体制の過激派として警戒されることになります。

斉昭・慶篤親子が揃って幕府(井伊直弼)から処分されるに及び、それに憤った家臣たちが主君へ迷惑をかけないように脱藩して引き起こしたのが桜田門外の変といえます。
角度を変えて見れば、当時大老を暗殺するような思想や実行力を持っていたのは水戸藩のみであったといえるでしょう。

つまり斉昭は、徳川一門そして藩主としてあまりにも聡明で激しい気性を持っていたのです。
ちなみに大政奉還を行った徳川慶喜は斉昭の七男であり、その背景に父の尊王思想が影響していたとことは容易に想像できます。