ヒコベエ
数学者であり、数多くのエッセイで知られている藤原正彦氏が初めて手掛けた自伝的小説です。
舞台は昭和20年代前半、つまり終戦して間もない頃に過ごした幼少・少年時代を描いています。
タイトルにある「ヒコベエ」は、正彦の幼い頃のあだ名です。
母・藤原ていは「流れる星は生きている」で知られている通り、満州から命からがらヒコベエとその兄、妹を連れて引き揚げてきた壮絶な経験を持ち、父は東京気象台に勤め、のちに新田次郎のペンネームで作家として活躍します。
どちらも著者のエッセーではお馴染みのエピソードですが、物語は終戦後ソ連兵に捕まり、捕虜収容所で1年近くの抑留生活を経て父が帰国するところから始まります。
食料や生活必需品を確保することさえ難しい深刻な物資不足の時代でしたが、ヒコベエ少年は兄弟の中でも一番元気に育ちします。
5歳で近所の子どもたちのガキ大将として走り回る毎日を送る一方、藤原家は父の公務員としての月給だけでは生活が困窮する状態でした。
引き上げ後から体調が優れない母の負担を軽くするため、ヒコベエは母の実家である信州の笹原(長野県茅野市)に預けられたりしますが、自然に囲まれた伸び伸びとした環境でヒコベエはまずます腕白小僧っぷりを加速させてゆきます。
一方、父の公務員としての月給だけでは生活が困窮していまう藤原家では、母が満州からの引き挙げ時の記録を出版したり、それに触発された父が小説家を目指し始めたりと試行錯誤しますが、そうした苦労をまったく知らずに無邪気に遊ぶヒコベエの姿は対照的であり、いつの時代も子どもたちの純粋な姿が大人たちに未来の希望を与えてくれることが分かります。
家族や親戚だけでなく、ヒコベエが少年時代に出会った友だち、学校の先生や気になるあの子とのエピソードが満載であり、本作品はヒコベエが小学校を卒業するところで終わります。
少年の目に映る成長とともに少しずつ広がってゆく世界が繊細に書かれており、誰もが経験した自らの少年・少女時代と重ね合わせて読んでしまいます。
著者はあとがきで、この頃は日本中が貧しく最低限の衣食住でなんとか生き延びていた時代であったが、何故か人びとの顔は明るかったと振り返っています。
もちろん底抜けに純粋で明るい少年の目には、常に世界が輝いて見えていたはずですが、現代社会で希薄になった人びとの絆が色濃く残っていた時代であり、そうした古き良き時代の魅力が現代の読者にも伝わってくる爽やかな読了感があります。