イスラーム生誕
本書は日本におけるイスラーム研究の第一人者であった井筒俊彦氏のイスラム教の解説書です。
井筒氏は30以上の言語を操る語学の天才と言われ、独自の意味論的解釈学という研究手法を編み出したことでも知られ、イスラム教解説の入門書としては名著と言われる1冊だそうです。
ひとまず難しいことは脇に置いておいて、日本において仏教、あるいはキリスト教の成り立ちに関する解説本、あるいは関連した文学作品は容易に入手することが出来ます。
一方でイスラム教に関するそうした作品は圧倒的に数が少ないのが現状です。
その理由は飛鳥時代に伝来し定着した仏教、あるいは16世紀半ばにポルトガル(イエズス会)によって布教が開始されたキリスト教とは違い、日本が長らく地理・歴史的にイスラム文化圏と疎遠だったことです。
しかし今やイスラム教は中東のみならずアフリカ、東南アジアにおいても浸透し、統計上ではすでに仏教徒を上回る信者数となり、21世紀中にはキリスト教徒を抜いて世界一の信者数となることが確実であると言われています。
つまり今後も進んでゆく国際化、あるいは多様化社会にあってイスラム教徒との共存は避けて通れない要素であり、そのための一般的教養として有用な1冊であると言えるでしょう。
文庫本ということもあり決して分量は多くはありませんが、本書で示唆されている内容は奥深く、小説のようにストーリーを辿るだけではなく、著者の言わんとすることを理解しながら読み進めることが重要になってきます。
ここでは私なりに本書によってイスラム教の理解に役立った部分を簡単に紹介してみます。
まずイスラム教はユダヤ教、キリスト教と同じくセム的一神教を起源とする宗教であるため、かなりの共通点があるという点です。
つまり唯一絶対神を信仰する宗教であり、モーセやアブラハム、キリストやムハンマドはいずれも預言者という性格を持つ点、旧約聖書を肯定的に解釈している点も共通しています。
次にイスラム教が広まったアラビア、ペルシア地方は、元々多神教が信仰されていた地域であったという点です。
多神教の時代はジャーヒリーヤ(無道時代)と呼ばれ、血族や限られた地域ごとに異なる神を崇拝していたという点では、日本の神道とも共通している点があります。
また唯一神のアッラーは、多神教時代における主神(最高神)の位置付けとして元々存在していた神であり、決してイスラム教(ムハンマド)が独創した神ではないという点です。
例えば日本においては天照大神が唯一神となり、他の神の存在はすべて否定されたと仮定すると理解し易いかも知れません。
最後にムハンマドの軌跡を辿ると、イスラム教は政治的な世界と一体化しているという点です。
ムハンマドは同じく宗教の創始者といえるブッダやキリストとは違い、武力行使そのものを否定はしませんした。
むしろ異教徒へ対して武力行使も厭わないという教えは、ムハンマド自身が聖地メッカを奪還するためにムスリムを組織化して戦争という手段を取ったことにも大きく影響さており、軍事は政治に直接的に結びつくからです。
これは後発であったイスラム教が世界的宗教へと発展する過程で避けて通れなかった道でもあり、後の時代においてキリスト教国家や仏教国家が武力行使したことを考えると、必ずしも一方的に非難される性質のものではないというのが個人的な印象です。
本書で言及されているのは現在の国際情勢、あるいは宗派ごとの複雑な対立といった要素ではなく、あくまでもイスラム教の成立過程にのみ焦点を当てています。
基本的な知識の欠如によって、イスラム教へ対する誤解や先入観を抱かないためにも、少しでも多くの日本人に読んで欲しい1冊であることは間違いありません。