兵士に告ぐ
本書はノンフィクション作家の杉山隆男氏がライフワークとしている自衛隊を追ったルポシリーズの第4弾です。
本ブログでは海上自衛隊の潜水艦や哨戒機部隊に迫った第3弾「兵士を追え」、東日本大震災で人命救助活動に従事した自衛隊員を取材した第5弾「兵士は起つ」を本ブログで紹介しています。
ブログでは紹介していませんが、第1弾、第2弾も自衛隊の実態を知る上でおすすめできる作品です。
著者は潜水艦やF15戦闘機にも乗った経験があり、自衛隊でもっとも過酷と言われているレンジャー訓練にも同行取材を行うなど、まさに自衛隊の表も裏も知り尽くしている作家といえます。
本書で取り上げているのは、2002年に創設された西部方面普通科連隊(通称:西普連)です。
私は本書ではじめてその存在を知りましたが、この名称は取材当時のものであり現在は"第1水陸機動連隊"へと改名されているようです。
今まで陸上自衛隊の戦力はソ連を仮想敵国とした北海道に重点的に配置されていましたが、近年脅威が高まりつつある中国の軍事力へ備えて、九州から沖縄までの防衛を担当するのが彼らの任務となります。
九州から沖縄といっても、その範囲は対馬列島から八重山列島までの南北1,200km、東西900kmという広大な面積となり、有人無人合わせて2,600もの島によって構成されています。
もちろんこれらの島々に隊員を分散させて常駐させているわけではなく、例えば外国の武装勢力によって島が占領された場合、海から上陸して奪還するような作戦を想定した訓練を繰り返しています。
所属する隊員は半数がレンジャーバッジを持つ精鋭揃いであり、「日本版海兵隊」と呼ばれることもあるようです。
それだけに彼らの訓練内容も通常の普通科連隊と比べて厳しいものであり、時には本家アメリカの海兵隊と合同訓練をすることもあるそうです。
そんな西普連を外部から見れば、規律を重んじる無口な兵士たちであり、イメージ通りの精鋭部隊そのものとして映るはずです。
西普連は3つの中隊からなる約600名の隊員が所属しており、著者は主だった隊員たちへ対して地道に取材をしてゆきます。
この兵士シリーズ最大の魅力は、普段私たちが接する機会のない自衛隊の実態、そしてそこで日々訓練や任務にあたる隊員たちの素顔(個性)を明らかにしてゆくという点です。
若い隊員であれば、今どきの音楽やファッションに興味を持っている普通の若者であり、それを知ると彼らとの距離が一気に縮まったような気になるのです。
それは彼らを指揮する下士官、中隊長、連隊長といった立場になっても変わりはなく、休日は家族サービスを心がけ、時には趣味の釣りやツーリングを楽しむどこにでいる人たちであることは変わりありません。
よく考えれば自衛隊には24万人もの隊員が在籍しており、仕事以外では私たちと変わらない生活を送っている一市民であることは当たり前なのです。
一方で私たちの大部分が経験している会社員とは明らかに異なる部分も確実に存在します。
それは外国から軍事的な攻撃が発生したときに私たちは安全な場所へ逃げることが出来ますが、彼らにはそれが許されないという点です。
その中でも本書に登場する西普連はもっとも危険な最前線へと赴く可能性が高いのです。
今でも日本で戦争は起こらないと考えている人が大部分ですが、ウクライナや中東情勢だけでなく、東アジアの情勢だけを見ていても安全保障上のりクスは年々高まっているように感じられます。
社員研修の一環で自衛隊を見学にし来た新入社員の1人が自衛隊員へ次のような質問をしたエピソードが本書で紹介されています。
「自衛隊に入ったということは戦争が好きなんですか?」
一見すると失礼な質問のように思われますが、好きなことを仕事にする価値観が広まりつつある昨今の風潮を考えると、必ずしも新入社員に悪気があったわけではないと思います。
それへ対して自衛隊員は次のように答えたといいます。
「私たちを動かしているのは、使命感と責任感です。頼もしいと思うと同時に、やはりそんな機会が訪れて来てほしくないと考えてしまいます。
国民を守るという覚悟を持った者の集まりが、自衛隊なんです。
ですから、戦争が好きという表現は合っていないと思います。」
杉山氏の兵士シリーズは、どれを読んでも自衛隊、もっと大きな視点で言えば平和や戦争が紙一重という現実を考えさせてくれる内容であり、これからもシリーズを読み続けたいと思わせてくれます。
しかし残念なことに著者は2023年に亡くなっており、ご冥福を祈るとともに新しい兵士シリーズが読めないことが残念でなりません。
日本沈没 下
累計500万部のベストセラー、そして日本のSFを代表する「日本沈没」の下巻レビューです。
日本近郊の海底異変、やがて日本各地で次々と起きる地震と噴火という現象は人びとを不安に陥れますが、決定的となったのが200万人以上の犠牲者を出した第二次関東大震災です。
ただしこの近代的過密都市を襲った未曾有の大災害さえも、これから起きる悲劇の序章に過ぎなかったのです。
やがて不眠不休でその原因を研究してきた田所博士らによって、日本列島が2年で海中へ沈没してしまうことが明らかになります。
つまり2年以内で1億人以上の人口を有する日本国民たちを海外へ避難させる必要が出てきたのです。
しかも列島はプレートに巻き込まれる形で人口が密集している太平洋側から傾いて沈没してゆき、さらには中央構造線沿いに列島が折れる形で海水が侵入してきている状態で、各地の主要道路、鉄道、空港、海港が使用不可の状態となり、脱出も容易ではなく日本中がパニック状態に陥ります。
そして1億人にのぼる大量の移民が発生する状況は世界にとっても始めての出来事であり、分散して日本国民を受け入れる世界各国も混乱に陥ります。
日本列島が沈没するという天変地異が起きたとしたらどのような悲劇が起こるのか?、避難にあたりどのような問題が発生するのか?、そして故郷、国土そのものが文字通り地上から消滅してしまう国民たちの心理的喪失がどのようなものなのか?、こうした事象が迫真の文章で綴られており、実際このような経緯を辿るのだろうなと思わず納得してしまうようなリアリティがあります。
また見逃せないのが物語の序盤から登場する深海潜水艇の操縦士である小野寺たちを始めとした個人のストーリーです。
やはり人間の感情として自分の命だけでなく、家族や恋人の命を何とか救いたいというのは自然なことであり、来たるべき災害へ備えて第一線で活躍してきた使命感との狭間で揺れ動く登場人物たちの心情を追ってゆくというのも本作品を見どころの1つです。
自然災害に備えることの重要性がメディアや自治体などによって呼びかけられていますが、人間の力では避けようのない天変地異を現実感を伴いながら追体験できる唯一無二の作品であり、これがSF小説という枠を超えて長年読み継がれてきた理由ではないでしょうか。
上下巻合わせて800ページに及ぶ大作でありながら、最初から最後まで手に汗握る展開で読者を引き込んでゆく作品です。
日本沈没 上
今年はハヤカワ文庫をはじめとした海外SF作品を読んできましたが、日本人SF作家による作品も読んでみようと本書を手にとってみました。
本書「日本沈没」は小松左京氏が1973年に発表した作品であり、発売から50年を経て累積約500万部を記録している日本SFの金字塔といえる1冊です。
何度か映画やTVドラマ化されていることもあり、タイトルだけでも知っている人は多いと思いますが、私もその1人でした。
物語は日本近郊の海底で異変が起きており、それを深海潜水艇で調査するところから始まります。
序盤は深海潜水艇パイロットの小野寺、海洋地質学者の幸長助教授、地球物理学の田所博士といった登場人物を中心に、日本に迫りつつある深刻な異変の正体が少しずつ明らかになってゆきます。
そして海底に起きている異変はやがて日本各地で立て続けに発生する地震、噴火という災害へと発展してゆきます。
もちろん大規模な災害が続く状況の中で政府も本格的に原因調査を進めてゆくことになります。
何と言っても本作品の特徴は、リアリティと迫力のある描写といえます。
日本列島が沈没するという出来事が突拍子のない非現実的な出来事に思えますが、著者は作品を執筆するにあたり専門家へ相談して科学的考証と理論構築を行っています。
それは太平洋プレート下のマントル層における対流層急変により列島が海中へ引き込まれるというもので、作品中でも何度となく専門的な解説がされています。
さらに未曾有の災害、そして危機が訪れた際の政治的な動きについても首相をはじめとした政府の働きかけを外交含めて詳細に描写しており、その緊張や切迫する状況が充分に伝わってきます。
そして近代都市を直下型地震を襲った際の惨劇についても具体的かつ迫力ある描写が行われており、かつて神戸を襲った阪神淡路大震災の光景が頭によぎってしまいますが、この作品が1970年代に書かれた作品であり、まるで未来でその光景を見てきたかのような著者の想像力に驚かされます。
2025年時点で読んでみても、まったく色褪せることなく楽しめる作品であり、まさしく名作に相応しい1冊です。
サスペンス的な要素も多く取り入れたれており、SFという分野に馴染みがない読者でも充分に満足できる作品だと思います。
その復讐、お預かりします
本ブログでおなじみになりつつある原田ひ香氏の作品です。
本作品はセレブたちを相手に復讐を代行するための会社「成海事務所」を構える成海慶介、そして秘書の神戸美菜代とそこを訪れる依頼者たちを中心に展開してゆきます。
原田氏といえば過去に事故物件に住むことでロンダリング(洗浄)するという、架空の仕事にまつわる作品を発表していますが、それに比べて「復讐屋」はかなりストレートな構想だなと感じました。
ただし作品を読み進めてゆくと、すぐに原田氏らしいカラーが出てきます。
プロの「復讐屋」というと物騒なイメージを持ちますが、成海のモットーは「復讐するは我にあり」という聖書に登場する言葉です。
知っている人は多いと思いますが、もちろん復讐の権利を主張する言葉ではなく、これは神自身の言葉であり、"復讐は神へ委ねよ"という意味になります。
復讐のためには手付金100万円、さらに必要経費+成功報酬100万という、セレブ相手の商売だけに決して安くはありませんが、依頼を受けた成海は基本的に何もせずに、復讐相手が勝手に自滅するのを待つというスタイルなのです。
言わば人の恨みを買うような所業をしている人は、いずれ天罰が下るということです。
本書に登場する復讐の理由をネタバレしない程度に紹介すると次のような感じになります。
- 婚約を断った男性への復讐
- 仕事上のライバルへの復讐
- 相続問題の中で生じた復讐
実際の復讐を依頼するまでの過程はもうすこし複雑ですが、理由自体は特別なものではなく、誰にでも起こり得るものばかりであることが分かります。
そしてもう1つ大事なのは、復讐は一方的な見方であって、復讐される側にもそれ相応の事情があるケースもあるという点です。
幸運にも私自身には復讐したいほどの相手はいませんが、「人を呪わば穴二つ」という言葉がある通り、よほどの龍がない限り、復讐を思いつくべきではありません。
ちなみに本書の主人公は成瀬よりも秘書である美菜代であり、基本的には彼女の視点からストーリーが展開してゆきます。
それは美菜代自身が交際相手に裏切りを受けた過去を持っており、その復讐の資金稼ぎをするために成瀬の秘書になっているという経歴を持つからであり、彼女の目に依頼者たちがどう映り変化してゆくのかも本作品の楽しみの1つです。
"復讐"をテーマにしているだけに物語は多少ドロドロすることがありますが、作品全体の印象は暗いというよりむしろ明るく、読了後は前向きになれる作品ではないでしょうか。
ホームレス消滅
村田らむ氏の著書を読むのは今回がはじめてですが、著者が出演するYoutubeチャンネルをたびたび見ていたこともあり、著者のルポライターとしての活動内容は以前から知っていました。
また住んでいるエリアが比較的近いのか、ラーメン屋で並んでいる著者を見かけたこともあるため(もちろん声は掛けませんでしたが)、本を手に取る前から勝手な親近感を抱いていました。
著者は昔から自殺の名所として有名な青木ヶ原樹海、かつて凄惨な事件が起きた現場を訪れては取材を続けており、ホームレスへの取材も彼のライフワークと呼べるものの1つです。
本書は2020年に出版された本であり、令和における最新のホームレスの実態をルポした作品です。
私がかつて東京を訪れたときに驚いた光景の1つが、ホームレスの人たちの多さです。
新宿西口地下道に並んだ段ボールハウスや新宿中央公園や宮下公園に並ぶ本格的な小屋、さらには街中にもホームレスを多く見かけました。
そして実際に見かけるだけではなく、お金のない学生時代は彼らが100円で販売しているマンガ週刊誌をたびたび購入し、社会人になってからも彼らが販売するストリートペーパー「ビッグイシュー」を定期的に購入していた時期がありました。
一方でここ数年でかつて見かけた段ボールハウスや小屋は姿を消し、時たまガード下で寝ているホームレスを見る程度で、街中で彼らを見かける頻度が極端に減少した実感があります。
一見するとホームレスが減ったことは町の景観や治安、衛生面で良いことのように思えますが、そこへ至るまでの過程、そしてそうした政策に問題はなかったという視点についても本書は言及しています。
かつて多くのホームレスの輩出する供給元となっていたのが、東京の山谷、横浜の寿町、そして大阪の西成に代表されるドヤ街であり、ここはおもに建設業に従事する日雇い労働者たちが暮らしている町でした。
こうした町へも定期的に訪れて取材を続けてきた著者だけに、最新の情報含めてその遍歴についても具体的に言及しています。
ホームレスへの取材を20年以上続けてきた著者だけに、彼らの暮らしへ起きた変化が具体的で分かりやすく描写されており、社会的な問題提起の内容も適切であるように思えました。
本書を読んで、私の中のホームレスたちへの印象、そして暮らしについての情報がかなりアップデートできました。
新書としてはすこし長めの300ページ近い分量でホームレスに関する統計情報が豊富に掲載されていることもあり、かなり読み応えのある社会派な1冊になっています。
箱男
かつて映画化もされた安部公房氏の話題作です。
タイトルにある「箱男」とは、段ボールを頭から腰まですっぽりと被り、雑踏の中や歩道橋の下、または公衆便所とガードレールの間など佇んでいる、つまり外見上は段ボールそのもので町の風景に溶け込んで暮らしている人たちのことを指します。
作品の世界で箱男たちは珍しい存在ではなく、全国各地に存在しているというかなり面白い設定が取り入れられています。
そうした作者の設定に現実味を持たせるために作品の冒頭では箱男が使用する"箱"の作成方法が詳細に解説されています。
箱から外界を観察するための"覗き窓"の位置や大きさ、生活のための最低限の持ち物を収納するスペースの作り方などが解説されていますが、いずれにせよ1時間ほどで作成できてしまうシロモノです。
肝心のストーリーは、"ある箱男"の手記という形で始まります。
ただし読み進めてゆくと、手記は別の箱男Aの手記、さらには箱男になろうとしている"贋(にせ)箱男"の手記(供述書)、さらには一見箱男と関係のない少年Dの手記などへ移ったり、再び戻ってきたりを繰り返します。
また手記の内容は実際に起こった事実とこれから起こるであろう事柄を妄想として書いてある部分があり、また登場する複数の手記同士のつながりが不明瞭な部分もあり、頭の中でストーリーを1本の線で結ぼうとすると混乱する箇所が出てくると思います。
上記のほかにも作品中に挿入される新聞記事、カメラ好きの著者が自分で撮影したスナップと抽象的な解説などがあり、小説としてかなり実験的な試みが取り入れられています。
たとえば登場する手記に物語的な一貫性がなくとも、作品が扱うテーマへ対して因果的な関係があることが分かります。
それを分かりやすく表現すれば、他人との接触を避けて(文字通り)自分の箱の中に閉じこもって世間をひたすら観察しながら暮らすとは本質的にどういうことなのか、また(箱男に代表される)人から自分が見られるとは本質的に何を意味するのかを考えさせてくれる作品になっています。
たとえば何もかもが面倒になったり、煩わしい現実に疲れて部屋に1人きりで閉じこもりたい気分になったことがある人は多いはずであり、そうした心理的象徴の1つが箱男かも知れないと思ったりしました。
すると箱の中は狭いながらも安心できる自分だけのスペースであり、そこから他人に干渉されずに一方的に他人を観察しながら暮らし続ける箱男の心理が何となく理解できる気もします。
ストーリー全体は決して抽象的なものに終始するわけではなく、サスペンスドラマのような要素がかなり取り入れられて、決して読者を退屈させることはありません。
本作品を巡っては多くの評論家や文学者によってさまざまな視点から書評されていますが、まずは難しく考えず単純に小説を楽しむことを目的に読んでみることをお勧めします。
他人の顔
本ブログではじめて登場する安部公房氏の作品です。
はじめてといいつつ安部公房といえば昭和を代表する作家の1人であり、彼の作品は今でも多くの人に読まれ続けています。
主人公は研究所に勤める40台の男性で、かつて実験中の事故により顔に大火傷を負い、それ以来、醜くなった自分の顔を包帯で覆った状態で日常を過ごしています。
主人公は自らの顔を"蛭の巣"と評し、結婚している妻にもその素顔を滅多に見せることはなく、また夫婦関係の絆までもが冷めてゆくことを感じていました。
そこで彼はかねてより綿密に計画していた、精密に作り込まれた仮面を製作し、まったくの別人になりきって行動することにします。
本書はその過程がリアルタイムに描かれているのではなく、すべての計画が実行され、その実行のために一時的に借りていたアパートに妻が訪れ、そこへ置かれていた表紙が黒、白、灰色のノートを読むことによってすべての真相が明らかになるという形式を取っています。
この作品を読み進めてゆくと、普段私たちがいかに(自分以外の人間という意味での)他人を顔によって識別しているかを改めて実感することになります。
中身はそのままでも、ある日自分の顔がまったくの別人のものになってしまったとしたら、他人の反応はもちろんですが、その違和感は自分自身にも及ぶはずです。
まして主人公のように不幸な事故によるものとはいえ、顔に包帯を巻いたミイラ男のような外見からは表情が読み取れず、初対面の人はもちろん彼を昔から知っている知人であっても不気味な感じを完全に払拭するのは難しいのではないでしょうか。
ただし主人公の計画は、(無意識を含めて)他人を顔で判断しようとする世間や妻へ対して復習を果たすといった単純な動機ではなく、そこにはさまざまな思惑や妄想が入り混じった複雑なものであることが分かってきます。
他人の顔を手に入れた主人公は果たしてまったく別の人間に生まれ変わるのか、また彼の屈折した心理状況がどんな行動を引き起こすのか、その結末を怖いもの見たさにどんどん読み進めてしまう作品であり、しかもそれを主人公が残した手記を読むという形で物語が進行してゆくため、ある種の緊張感が作品全体に漂っています。
物語の終盤には主人公の手記を読み終わった妻が残した手記が掲載されており、ミステリー小説のように怒涛の結末に向かってゆく部分も見ものです。
登録:
コメント
(
Atom
)






