本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

鳥居耀蔵 -天保の改革の弾圧者

鳥居耀蔵―天保の改革の弾圧者 (中公文庫)

江戸時代の三大改革の1つである天保の改革

詳しい内容はネットでも調べらるのでここでは割愛しますが、老中の水野忠邦が推進した改革として知られています。

そして本書のタイトル「鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)」は、その忠邦の右腕として活躍した人物です。

時代劇や歴史ファンであればご存知だと思いますが、決して良い意味で活躍した人物ではありません。

甲斐守耀蔵(かいのかみ・ようぞう)を並び替えて"耀甲斐"、つまり"妖怪"とあだ名されるほど恐れられ、そして嫌われた存在であり、本書も「耀蔵=悪人」というスタンスに立って書かれています。

商人の後藤三右衛門、天文方の渋川六蔵と揃って「水野の三羽烏」として恐れられましたが、鳥居耀蔵がその筆頭格でした。

さらには忠邦の改革の旗色が悪いと見るや身を翻して反対派に回るという節操のない豹変ぶりも憎まれる原因であったといえます。

本書では忠邦により目付、そして南町奉行に抜擢されるものの、目障りな人物への罪の捏造、執拗な密偵、賄賂の受け取りなど、自分の出世欲を満たすためなら手段を選ばなかった経緯が細やかに書かれています。

ちなみに当時の北町奉行遠山景元(遠山の金さん)であり、当然のように耀蔵にとっては邪魔な存在でした。

もともと善人が屈折して悪人になったという分かりづらいタイプではなく、時代劇に出てくる悪人像そのもので非常に分かりやすいです。

ただし凡庸な人物では、ここまで悪人として有名にはなれません。

耀蔵の計画性や実行力は人並みのものではなく、また学問もあり度胸もあったように思えます。

つまり有能だったにも関わらず、その才能の用い方を誤ってしまった典型的なタイプです。

そもそも天保の改革は幕府の放漫な財政、揺るぎつつあった統制を引き締めるために行われたのであり、その意味では他の改革と何ら変わりません。

またその過程では改革の主導者となる強力なリーダーシップを持った人物が必要であり、その権力に寄り添って手段を選ばずに昇進を遂げようとした悪人の代表格が"鳥居耀蔵"であったということです。

結果的に天保の改革の失敗は、水野忠邦自身のリーダシーップ不足や鳥居耀蔵の暗躍が最大の原因だったとは思えません。

当時は大塩平八郎の乱蛮社の獄など、幕府権力の衰退を象徴するような事件が立て続けに発生し、天保の改革が頓挫して10数年後には黒船来航から一気に幕府の瓦解に向かってゆくことを知っている後世の視点から見れば、すでに改革に耐えうる体力が徳川幕府には無かったと見るのが正しい気がします。

改革が現状打破の性格を持っている以上、既得権益を持った人びとを排除するというのは仕方ないのかもしれません。

しかし改革自体が新しい権益を生み出すといった構図は、復興予算という名目のもと、バラマキの恩恵に預かる官僚や企業の姿と似ているかもしれません。

忠邦失脚後に鳥居耀蔵は有罪とされ、23年間にも渡って丸亀藩に預けられ幽閉されることになります。

やがて年老いて明治時代に釈放された鳥居耀蔵にとって時間は天保の改革で止まったままであり、力を失った1人の老人が江戸から東京へと変わった時代の流れに取り残される姿には、善悪を超えた悲哀を感じます。

習近平の密約

習近平の密約 (文春新書)

2012年3月に世界最大の人口を擁する中国の国家主席に任命された習近平

同時に独裁政党・共産党の最高位(中国共産党中央委員会総書記)、軍の最高指導者も兼任にしており、今後の日中関係に留まらず、世界の政情においてもキーマンといえる存在です。

しかしそれは、中国において習近平がすべての権力を握っていることを意味しません。

13億人の人口を抱える中国において共産党員は約9千万人であり、人口の10分の1以下です。

また共産党には元老院ともいえる存在があり、最長老の江沢民、表舞台から去ったばかりの胡錦濤たちが隠然たる力を持っています。

むしろ現時点では共産党内部における習近平の地位が盤石であるとは言いがたく、現在進行形で共産党指導部たちの面子、そして権力闘争が継続している状況であることを本書は生々しく伝えています。

例えば、最近も報道されている元共産党幹部・薄熙来(はくきらい)の裁判報道などは、たまたま共産党内部の権力闘争やイデオロギーの対立が一部表面化したものであるといえます。

本書は薄熙来の台頭、そして失脚についてはかなりの紙面を割いて言及しており、今の中国の姿を伝える本として参考になります。

それでも国家の核心的問題、分り易くいえば共産党の一党独裁の基盤を揺るがしかねない問題については団結して一切の妥協を許さないという姿勢を崩しません。

例えば尖閣諸島における領土主張、そしてチベット自治区における独立運動への徹底した弾圧などにその例を見ることができます。

中国四千年の歴史といわれますが、数々の群雄割拠の戦乱時代、他民族による支配など多くの遍歴を経て今に至っています。

一方で中国共産党の歴史は100年に満たず、革命家であり、政治家、思想家でもあった毛沢東の影響が今も色濃く残っているのが現在の中国であり、その矛盾が少しづつ表面化しつつあります。

ニュースや新聞で報道される情報は、国内で徹底的な報道規制を布いている中国共産党の一方的な内容が中心であり、それは中国が本来持っている多面性の1つでしかないともいえます。

過去、そして現在の習近平は独断専行型ではなく、調整能力に優れたバランス型の指導者であるといえます。

しかしひょっとすると、それは権力の中枢に上り詰め、地盤を固めるための仮の姿であり、彼が将来、強力な影響力を持ったときに同じような性格であることを保証していません。

それくらい中国共産党の内部は奥深く、そしてタイトルにあるように様々な密約によって運営されている国家であることを本書は伝えています。

京都見廻組史録

京都見廻組史録

幕末の京都で新撰組と並ぶ代表的な存在だった見廻組

清河八郎を暗殺した凄腕の剣士・佐々木只三郎、近江屋事件で坂本龍馬の暗殺に関わったと告白した今井信郎が有名ですが、全体的な知名度では新撰組に劣り、幕末ファンから見ても"脇役"という存在ではないでしょうか。

実際、(書籍、映像問わず)新撰組を題材にした作品が多数あるのに対し、京都見廻組を題材にした作品は皆無といってもいい状態です。

しかし新撰組が百姓を中心とした最盛期でも百数十人の集団であったのと比較して、見廻組は旗本や御家人を中心に最盛期には500人以上の人数で構成されていました。
つまり人数数で考えると、戦闘集団としての見廻組の武力は新撰組を凌駕していたという見方ができます。

本書はタイトル通り、残された歴史文献を丁寧に調べて京都見廻組の結成から解消までを丁寧に紹介してゆく解説書です。

内容は原文が多く引用されており、専門書もしくは参考書に近く、一般読書向けではないかもしれませんが、本書ではじめて知った見廻組の知識を簡単に書いてみます。


  • 京都見廻組の責任者(京都見廻役)は、小大名ないしは大身の旗本といった高い身分の者が幕府より直接任命された。
  • 京都見廻役は2名からなり、それぞれ200名(合計で400名)を定員とした組士が割り振られた。
  • はじめは蒔田相模守松平因幡守(のちに出雲守)が見廻役であったが、人事異動や罷免などで何度か入れ替わっている。
  • とはいえ、見廻役自らが現場に出向ことは皆無であり、日常の任務は現場の指揮官に一任されていた。
  • 新撰組が積極的な探索を行ったのと比べ、見廻組士は武士階級で構成されていたこともあり、公家や大名などの要人、そして重要施設の警備を担当する機会が多かった。
  • 見廻組には新撰組の局中法度のような厳しい隊規は存在せず、粛清なども殆ど行われなかった。

その他にも組士たちの給料(役料)から鳥羽・伏見の戦いにおける見廻組の損害、江戸へ退却したあとの組士たちの運命までの軌跡を個人単位で追っています。

太平の世が突如破られて、招集された侍たちの集団・京都見廻組。

彼らが残した歴史の足あとを知りたいという方には貴重な本であるといえます。

高橋是清と井上準之助 - インフレか、デフレか

高橋是清と井上準之助―インフレか、デフレか (文春新書)

明治後半から昭和初期を代表する財政家であり、政治家でもある高橋是清井上準之助の軌跡を描いたノンフィクションです。

まずは分り易く2人の経歴をごく簡単に紹介してみます。


高橋是清

(1854 - 1936)
日銀副総裁、日銀総裁、6度の大蔵大臣、そして内閣総理大臣を経験。
インフレ政策の推進者財政の拡大方針をとったことで知られる。

井上準之助

(1869 - 1932)
2度の日銀総裁、そして2度の大蔵大臣を経験。
金解禁政策(=金本位体制)を提唱緊縮財政で知らられるデフレ政策の推進者として知られる。


経歴が似ているにも関わらず、政策の中身が対照的です。

もちろん財政政策は国際情勢や経済状況によって柔軟に行われるべきもので、一方の政策を賛美して、一方を貶めるものではありません。

日露戦争第一次世界大戦関東大震災、そして世界恐慌太平洋戦争へと続く満州事変という激動の中で日本財政の中枢部にいた2人は、まるで互いを補完し合うかのように歴史の表舞台に交互に登場して活躍します。

しかし芯の部分では、2人には共通している部分があります。
それは日本を世界の列強国へ押上げるため、政治家としての責任を果たそうとする姿勢です。

本質的には2人とも戦争行為は国力を著しく消耗するものであることを承知しており、軍部の政治介入や軍備拡大には反対の立場をとっていました。

そして2人とも命を狙われていることを承知しながらも自らの信念に従い政策を実行し続け、残念なことに右翼勢力の暗殺によって命を失うことまでも共通しています。

是清は「身を鴻毛の軽きに致す」、つまり国家のために一身を捧げて命を落とすのは少しも惜しくはないと生前語ったようですが、今の日本にもそれだけの覚悟を持った政治家が活躍してくれることを願いたいものです。

清水次郎長 幕末維新と博徒の世界

清水次郎長――幕末維新と博徒の世界 (岩波新書)

日本でもっとも有名な侠客・清水次郎長

幕末から明治前半にかけて活躍した山岡鉄舟を知っている人であれば、鉄舟を師と仰いだ侠客としても有名です。

本書はそんな清水次郎長の生い立ちから波乱に満ちた人生を終える74歳までを丁寧に網羅しています。とくに壮年期の活躍については、主に次郎長の養子である天田愚庵の著書「東海遊侠伝」を引用して紹介しています。

侠客の世界は幕府の法が及ばないアウトローな世界を中心に繰り広げられるため、歴史の表舞台で活躍した人と比べて記録自体が少ないのも事実です。

一方で、次郎長の生きた時代は幕末の動乱期とも重なり、侠客の世界に生きた次郎長も無縁ではいられませんでした。

次郎長の半生を語る上で、こうした時代背景を欠かせない要素として丁寧に解説してゆきます。

恐らく明治維新が無ければ"清水次郎長"の名前が歴史に刻まれることもなく、江戸時代に活躍した侠客の大親分の1人として記録されるに留まったでしょう。

講談での清水次郎長は義侠の代名詞であるかのように語られますが、実際に保下田久六黒駒勝蔵たちとの抗争は血を血で洗う凄惨なものであり、殺伐としたものであったことが本書から伝わってきます。

しかし次郎長が侠客としての腕っ節、度胸、そして生き残るための知恵に優れていたことは事実です。

本書は次郎長の生涯を史学的な視点で書いているため、それほど講談めいた逸話が収められているわけではありませんが、それだけに等身大の"清水次郎長"を感じられる1冊です。

海のサムライたち

海のサムライたち (文春文庫)

多くの海を舞台とした歴史小説を手がけている白石一郎氏のエッセーです。

突然ですが日本は四方を海に囲まれているにも関わらず、誰もが挙げるような海戦の名将は少ないのではないでしょうか。

もちろん例外はあるものの、私なりに考えただけでも以下の理由が挙げられます。

  • 四方を海に囲まれているからこそ、権力の推移が外部の影響を受けない国内で行われ続けた。
  • 海を超えた隣国からの武力的な脅威に晒され続けた状態ではなかった。
  • 国内に充分な土地があり自給自足可能な状態であったため、海外へ進出する積極的な理由が見当たらなかった。
  • 江戸時代初期に始まった鎖国制度によって、政策的に海外との通商を制限された時期が長く続いた

しかし実際には、海で活躍したサムライが皆無だった訳ではありませんし、日本と海外との交易は常に行われ続けました。

そんなサムライたちにスポットを当て続けた白石氏の歴史小説は、新しい視点を読者に与えてくれる貴重な作品です。

本作は長年に渡って海洋歴史小説を書き続けた豊富な知識と知見で書かれた歴史エッセーであり、その内容も実に興味深いものです。

実際に本書に収録されている章を紹介します。

  • 藤原純友~古代の海賊王
  • 村上武吉~海上王国を築いた男
  • 松浦党と蒙古襲来
  • 九鬼嘉隆~織田水軍の総大将
  • 小西行長~海の司令官
  • 三浦按針~旗本になったイギリス人
  • 山田長政~タイ日本人町の風雲児
  • 荒木宗太郎~王女を嫁にした朱印船主
  • 鄭成功~日中混血の海上王
  • 徳川水軍と鎖国制度

どの章も期待を裏切らないレベルの高いエッセーです。

もちろん歴史学者としてではなく、作家・白石一郎氏の独自の視点で書かれていますが、著者の考えがよくまとめられており、その軽快な筆運びと説得力は、司馬遼太郎のエッセーを彷彿とさせるものがあります。

歴史ファンには必読の書といえるほど、お薦めしたい1冊です。

孤舟

孤舟

渡辺淳一氏が定年を迎えた1人の男をテーマに描いた小説です。

大手の広告関係会社の役員にまで出世し、定年を迎えた威一郎。

輝かしい第二の人生の幕開けのつもりだったが、家にいる時間が長くなるにつれ妻との関係は険悪になり、打ち込むほどの趣味も持たない威一郎はやがて時間を持て余すようになり、少しずつ社会と疎遠になってゆきます。

何とも気の滅入るような設定です。

40年近く勤めた会社を定年し、子どもは数年前に独立している、まさしく団塊世代へ向けて書かれた作品ではないでしょうか。

威一郎のように大手企業の役員にまで昇り詰めた人物であれば、その半生を仕事一筋に捧げたといってもよいような日々を送り、会社での実績に裏打ちされたプライドを持っているであろうことは容易に想像できます。

私の周りの団塊世代と比べると、少し一般的ではないかも知れませんが、モデルケースとしては比較的リアリティを感じさせる内容になっています。

作品自体は最初から最後まで1本の線でつながっているため、読みやすい作品です。

しかし私自身に置き換えてみると、少し感情移入(=実感)はしずらいかも知れません。

それは順調であれば約40年にも及びサラリーマン人生の半分にも到達していないこともありますが、やはり経済成長と終身雇用制度が当たり前だった時代の企業戦士"がモデルであり、私が生きている時代とのギャップが大きいのです。

サラリーマンという鎧を脱ぎ捨てた後に何か残るのか?

最近では生涯現役という団塊世代の人たちも増えていますが、一方で定年を迎えたとたんに老けこんでしまう人もいるようです。

もちろん老後も含めて人生は人それぞれですが、本作品はそうした人びとへ向けて書かれた応援歌のような気がします。

終わらざる夏 (下)

終わらざる夏 下 (集英社文庫 あ 36-20)

"戦争"は理不尽に人の命を奪いますが、国家間で行われるものである以上、特定の個人にすべての責任を帰すことはできません。

それだけに銃や戦闘機、戦車・・・そして最前線で死んでゆく兵士たちのみに焦点を当てても"戦争"の正体は捉えがたい、つまり小説という洗練された表現手法を介しても描ききることは不可能なもかも知れません。

実際の戦争体験談を基にしたノンフィクション、もしくは史実にベースとしながらストーリーを組み立てるフィクション小説といった読者へ伝わりやすい作品と比べると、本作品は多少分かりづらい側面があります。

それは戦火をくぐり抜けてきた歴戦の兵士をはじめ、突然赤紙で招集された新米兵士といった軍隊側から見た人たちの視点、そして残された家族たちや、空襲によって被害を受けた市民たちの視点、疎開した子どもたちや、それを引率する教師、さらには占守(シュムシュ)島を侵攻するソ連兵側からの視点といった、あらゆる角度で戦争を見つめているからです。

ひょっとすると、特定の人物(=主人公)の視点で物語が固定されていないため、ストーリーの中で次々と感情移入する対象が変わってゆくため、読んでいて疲れてしまう部類の作品なのかもしれません。

やがて1人1人の物語を支流として、占守島を舞台とした本流で合流してゆき、彼らの人生を決定付ける出来事へ繋がってゆきます。

まるで浅田次郎氏が1つ1つの物語を楽器のように巧みに指揮してゆく、オーケストラような組み立てであり、著者の意欲が伝わってきます。


戦争は悲惨だ。よって二度と引き起こしてはいけない」という言葉を鵜呑みにするだけでは充分ではありません。

同時に「戦争を引き起こすのは人間しかいない」のであり、その戦争に携わった人びとの大多数が、現代の我々と同じ感性と持った"普通の人たち"であったことを本書は諭しているのかもしれません。

読み終わって、はじめて物語のスケールの大きさに気付かされる作品であり、人によってさまざまな余韻が残る作品です。

終わらざる夏 (中)

終わらざる夏 中 (集英社文庫 あ 36-19)

引き続き、太平洋戦争末期を舞台にした浅田次郎氏の「終わらざる夏」をレビューしてゆきます。

本書を読み始めてしばらくすると、典型的な浅田氏の作品とは違った手法で書かれていることに気付きます。

つまり人情小説歴史小説、そしてエッジの効いたフィクション小説の作品のいずれにも属さないタイプの作品です。

どちらかといえば純文学、さらに細分化すれば「戦争文学」といえるかもしれません。

本書では一流のストーリーテラーといわれる浅田氏の顔は影を潜め、「国家と戦争」という形の無い巨大な化け物に翻弄される人びとの心理描写にひたすら徹してゆきます。

その中の一部ですが、登場人物を並べてみます。

  • 本来ならば徴兵の対象に入るはずの無かった40代半ばの会社員・片岡直哉
  • 軍医として招集された若き医師・菊池忠彦。
  • 金鵄勲章を授与されるほどの軍功を立て退役していたが、再招集された鬼熊軍曹。
  • 第一次大戦以来、叩き上げの大日本帝国陸軍の下士官である大屋准尉。
  • 戦車隊を志願した少年兵・中村兵長。
  • 参謀本部より密命を承けて占守(シュムシュ)島に派遣された若き将校・吉江少佐。

その他にも軍人・民間人に関わらず、多くの人物が登場します。

小説を読み慣れていないと、混乱してしまう程の人数ではないでしょうか。

もちろん長編小説であるため登場人物が多いのは当然ですが、ストーリーそのものは彼ら(彼女ら)の歩んできた道や心理描写を通じて、少しづつ進行してゆきます。

当然のように立場の違う人びとの戦争へ対する想いは人それぞれです。

戦争を自分の運命として受け入れる人もいれば、戦争の勝敗などどうでもよく一刻も早い終戦を望んでいる人もいます。

それでも共通するのは戦争に巻き込まれながらも家族や仲間を大切にし、決して絶望せずに生き抜こうとする姿なのです。