鳥居耀蔵 -天保の改革の弾圧者
江戸時代の三大改革の1つである天保の改革。
詳しい内容はネットでも調べらるのでここでは割愛しますが、老中の水野忠邦が推進した改革として知られています。
そして本書のタイトル「鳥居耀蔵(とりい・ようぞう)」は、その忠邦の右腕として活躍した人物です。
時代劇や歴史ファンであればご存知だと思いますが、決して良い意味で活躍した人物ではありません。
甲斐守耀蔵(かいのかみ・ようぞう)を並び替えて"耀甲斐"、つまり"妖怪"とあだ名されるほど恐れられ、そして嫌われた存在であり、本書も「耀蔵=悪人」というスタンスに立って書かれています。
商人の後藤三右衛門、天文方の渋川六蔵と揃って「水野の三羽烏」として恐れられましたが、鳥居耀蔵がその筆頭格でした。
さらには忠邦の改革の旗色が悪いと見るや身を翻して反対派に回るという節操のない豹変ぶりも憎まれる原因であったといえます。
本書では忠邦により目付、そして南町奉行に抜擢されるものの、目障りな人物への罪の捏造、執拗な密偵、賄賂の受け取りなど、自分の出世欲を満たすためなら手段を選ばなかった経緯が細やかに書かれています。
ちなみに当時の北町奉行が遠山景元(遠山の金さん)であり、当然のように耀蔵にとっては邪魔な存在でした。
もともと善人が屈折して悪人になったという分かりづらいタイプではなく、時代劇に出てくる悪人像そのもので非常に分かりやすいです。
ただし凡庸な人物では、ここまで悪人として有名にはなれません。
耀蔵の計画性や実行力は人並みのものではなく、また学問もあり度胸もあったように思えます。
つまり有能だったにも関わらず、その才能の用い方を誤ってしまった典型的なタイプです。
そもそも天保の改革は幕府の放漫な財政、揺るぎつつあった統制を引き締めるために行われたのであり、その意味では他の改革と何ら変わりません。
またその過程では改革の主導者となる強力なリーダーシップを持った人物が必要であり、その権力に寄り添って手段を選ばずに昇進を遂げようとした悪人の代表格が"鳥居耀蔵"であったということです。
結果的に天保の改革の失敗は、水野忠邦自身のリーダシーップ不足や鳥居耀蔵の暗躍が最大の原因だったとは思えません。
当時は大塩平八郎の乱や蛮社の獄など、幕府権力の衰退を象徴するような事件が立て続けに発生し、天保の改革が頓挫して10数年後には黒船来航から一気に幕府の瓦解に向かってゆくことを知っている後世の視点から見れば、すでに改革に耐えうる体力が徳川幕府には無かったと見るのが正しい気がします。
改革が現状打破の性格を持っている以上、既得権益を持った人びとを排除するというのは仕方ないのかもしれません。
しかし改革自体が新しい権益を生み出すといった構図は、復興予算という名目のもと、バラマキの恩恵に預かる官僚や企業の姿と似ているかもしれません。
忠邦失脚後に鳥居耀蔵は有罪とされ、23年間にも渡って丸亀藩に預けられ幽閉されることになります。
やがて年老いて明治時代に釈放された鳥居耀蔵にとって時間は天保の改革で止まったままであり、力を失った1人の老人が江戸から東京へと変わった時代の流れに取り残される姿には、善悪を超えた悲哀を感じます。