一瞬の夏 (下)
沢木耕太郎氏によるボクサー"カシアス内藤"を題材としたノンフィクション作品「一瞬の夏」の下巻をレビューします。
"カシアス内藤"というボクサーを客観的に評価すると、1度は東洋ミドル級チャンピオンになるものの、その後の戦績はパッとせず引退し、4年ものブランクを経て現役復帰するボクサーということで話題性の少ない選手でした。
名伯楽として何人もの世界チャンピオンを育て上げたエディ・タウンゼントは、自らが手がけた選手の中で"もっとも素質があったボクサー"だとカシアス内藤を評価しています。
にも関わらず彼が世界チャンピオンになれなかったのはトレーニング嫌いであり、さらに優しい性格が災いしたためといわれています。
「用心棒なら、いつでもできるから。でもボクシングは今しかできない」
1度は引退したもののボクシングに置き忘れてきたものを再び取り戻すためにカムバックする1人の男の姿は、当時作家としての方向性を模索する沢木氏自身の姿と重なる部分があったのだと思います。
ボクサーはリングで拳で殴りあう原始的な競技であり、それがゆえに多くの人を惹きつける魅力に溢れているといえます。
それでもボクシングは1人で行うことは出来ません。
家族、ジムの会長やトレーナー、マネージャーなど多くの人たちを巻き込みながらボクサーはリングに立つことになるのです。
しかもボクシングは一部の例外を除いて世界チャンピオンにならない限り、ファイトマネーだけで充分な収入を得ることが困難なスポーツだと言われます。
確固たる信念で29歳で返り咲きをしたボクサーが、時には弱音を吐きながらも再び夢に向かって突き進んでゆく。。
そこには決して綺麗ごとばかりでなく、人間の心の弱さ、欲望などが生々しく交差し、様々な障壁がカシアス内藤たちの前に立ちはだかります。
強い決意、才能や優秀なトレーナーに恵まれていたとしても、必ずしもそのボクサーが"あしたのジョー"のようなストーリーを辿れるわけではありません。
それでも1人のボクサーの残した足跡は、30年以上を経過した今でも読者の心を打つのです。
ノンフィクションの本質を考えさせられる名作です。