数学者の休憩時間
本ブログではお馴染みになりつつある気骨ある数学者・藤原正彦氏によるエッセーです。
2005年に『国家の品格』が大ベストセラーとなる藤原氏ですが、日本人としての誇りや情緒と大切にすべきという考えや独自のユーモアは、早くも1977年に出版された処女作『若き数学者のアメリカ』からも感じることができます。
本書(エッセー)が発表されたのは1993年ですが、やはり本書でも著者の主張は小気味良いほどに一貫しています。
本書ではさまざまなテーマが取り上げられていますが、藤原氏の本職でもある"日本の数学教育"に言及した部分は興味深く読むことが出来ました。
私自身は中学時代に数学への挫折を感じ、高校・大学と数学を避けるかのように文系の道に進んだ経験を持っています。
ただ昔を思い返してより正確に表現するならば、①無機質な公式だらけの数学に興味が無くなる、②興味を持てないから数学を勉強しなくなる、③勉強しないから数学が苦手になる という軌跡を辿った気がします。
つまり"食わず嫌い"のようなもので、"苦手"というレッテルを自らに貼ってしまった側面を否めません。
そこで著者は応用価値がないという理由で追放された平面幾何学を復活させることを提言しています。
平面幾何学は考えるのが楽しく、解けたときの喜びが大きいため感覚をみがくのに適しているとし、数学の他の項目を削ってでも導入すべきと主張しています。
日本が科学など工業技術の分野で成長してゆくならば、理系の学生の数や質は重要になってきますし、もし私が数学を好きになっていたら今と違う職業に就いていたかも知れません。
本書の後半では父(新田次郎)の絶筆となった「孤愁 - サウダーデ」で主人公モラエスの故郷・ポルトガルを取材旅行に訪れた父の足跡を訪ねた旅行日記を描いています。
父は何の前触れもなく突然亡くなってしまっただけに、藤原氏は自らの心の整理を行うために1人でポルトガル旅行を決意するのです。
最初はどこか物悲しさが漂っていた旅行記は、父の訪れた地や人と会う度に著者の心が少しずつ癒やされていくような感覚があり、文学作品のような雰囲気さえ漂ってきます。
数学者でありながら、藤原氏ほど味わい深いエッセーを書ける作家は幾人もいないと感じさせる1冊です。
岸信介―権勢の政治家
戦前の満州や朝鮮半島をはじめとした植民地政策と帝国主義、戦中の国家統制と翼賛体制、戦後間もない混乱と東京裁判、55年体制による戦後政治の安定化と安保改定。。
そんな政権や政治家たちが目まぐるしく代わる昭和史が苦手な人は多いのではないでしょうか。
その昭和史を理解する上で象徴的な政治家が"岸信介"です。
岸は戦前・戦中から権力の中枢で活躍し、戦後はA級戦犯の容疑者として巣鴨プリズンに3年もの間収容され、その後総理大臣にまで上り詰めた経歴を持つ政治家です。
その波乱に富んだ政治家人生とフィクサーとしての実力から「昭和の妖怪」というあだ名でも知られています。
本書は日本を代表する政治学者である原彬久氏によって書かれた岸信介の伝記です。
岸は明治29年(1896年)に山口県で生まれ、彼は親族からの厳しい躾と教育方針により育てられることになります。
それはまるで吉田松陰が幼少期に叔父の玉木文之進によって厳しく教育された風景と重なります。
元々岸に備わっていた才能と努力の成果もあり、東京帝国大学(現・東京大学)に入学し、そこでも一二を争う優秀な成績を収めて商工省の官僚になるところからキャリアがスタートします。
ここまでの秀才となると勝手にガリ勉タイプの世間知らずなイメージを持ってしまいますが、岸は官僚として優秀な成果を上げ、軍人や政治家たちとの太いパイプを築き、そして財界人などを通じて莫大な活動資金をも手に入れて本格的な政治家へと転身してゆきます。
つまり理論に優れているだけでなく、実行力を伴った稀有な"秀才"であったのです。
さらに特筆すべき点として時の権力者に追従するだけでなく、時には反骨精神をも発揮する"胆力"をも備えていました。
戦中には東条英機に、そしてA級戦犯として処刑の恐怖を経て釈放された戦後には吉田茂に対して反旗を翻すといった行動に出ています。
表からの正攻法、時には闇討ちという形で時代の中で政治闘争で勝利してきた姿は、まさに「昭和の妖怪」に相応しい執念と力を持った政治家です。
満州の植民地経営、戦中の資源統制、そして戦後は55年体制の確立、安保改正など政治家として多くの実績を残してきた一方で、政界の黒幕といわれた児玉誉士夫との強い結びつき、CIAからの資金提供など、秀才らしい用心深さで尻尾を出すことはありませんでしたが、常に黒い噂がつきまとっていました。
そんな岸信介を著者の鎌田氏は次のように評しています。
戦後政治において、岸信介という人物ほど毀誉褒貶の渦に巻き込まれた政治家はいない。いま少しありていにいえば、岸信介ほど悪徳と保守反動の烙印を押された政治家はいないし、岸信介ほどカミソリの如き頭脳と剛毅の辣腕家としてその大物ぶりを評価された人物もいない。
良くも悪くも日本の政治史を知る上で欠かせない人物であることは確かなのです。
ドキュメント 屠場
人は無意識のうちに、そして大人になればなるほど多くの偏見を身につけてゆきます。
周りの人々の意見、マスコミの発言、政府の発表の中にさえ偏見を助長するような内容が含まれているのが現実です。
「ドキュメント 屠場」というストレートな題名を目にして本書を手にとった私も牛や豚を屠殺する"屠場"という言葉に好奇心を抱くと共に無意識の偏見を抱いていたことを否定することは出来ません。
現在は「食肉市場」などの名称が使われ、「屠場」という言葉が使われることはほとんどありませんが、あえてこの題名を名付けたところに著者の強い意志を感じることができます。
なぜ屠殺を生業にする人々が差別視されるに至ったのか?
そこには日本人の宗教観、その延長線上にある被差別部落の問題などが複雑に関係していますが、それを詳細に解き明かしてゆくのは本書の役目ではありません。
まず本書を読むことによって、生きている牛や豚が運ばれどのような過程で枝肉、内臓(ホルモン)、そして革へ加工されてゆくのか、その詳細な流れを知ることができます。
もちろん現場を見学するに越したことはありませんが、本書には写真や工程図も掲載されており、紙面で擬似的な工場見学を体験することが出来ます。
また加工の各過程が職人(仕事師)たちの高度な技術によって支えられていることも紹介されています。
例えば"牛の皮剥ぎ"1つとっても、1人前になるまでには3年はかかると言われています。
職人たちの高度な技術はそのまま彼らの高い職業意識、つまりプライドとモラルへと直結してゆきます。
"屠場"で働く職人たちは高い団結力と意欲に溢れており、それは著者のインタビューからも伝わってきます。
一方で彼らが"屠場"で働いているということだけを理由に不当に差別された経験も語っています。
私たちがスーパーや焼肉屋で美味しい肉を購入したり食べることができるのは職人たちの熟練の技術と大変な労力のおかげであり、感謝することはあれど偏見などもってのほかという単純な事に気付かせてくれます。
本書は普段あまりスポットを浴びることのない"屠場"を扱った秀逸なドキュメンタリーであり、私のように漠然としたイメージしか抱いていなかった読者にぜひ手にとって読んで欲しい本です。
最後に私たちが無知なために差別的な発言をしてしまいがちな点を、本書の中で職人が次のようにインタビューに答えていますので引用してみます。
~中略~
さいきんでは、Kという出版社から『沖縄決戦』という劇画本が出されて、「日本軍はまるで屠殺される為にやってきたようなものだった」とか。屠場はひどい所という偏見が当たり前のように煽られてしまうんですよ。まだけっこうありますよ、そんなことが。死体が転がっているのが、まるで"屠殺場"のようだとか。うちの職場に人間の死体が落っこっているわけないのに。
~中略~
暗夜行路
4回連続となる志賀直哉氏の作品レビューです。
いわゆる"文豪"や"文学の大家"と評される志賀直哉ですが、本作は彼にとって唯一の長編小説であると同時に代表作に位置付けられています。
本作が完成するまでに17年間を要しており、自身が最も苦労した作品であることを認めています。
物語の主人公は時任謙作という小説家です。
そんな謙作は母親を早くに亡くし、父親の元ではなく祖母の手によって育てられました。
裕福な家庭だったため成人したのちも受け継いだ資産のおかげで金銭的に困ることもなく日々を過ごす日常を送っています。
一応設定上は"小説家"となっていますが、あまり仕事熱心な方ではなく、どちからというと"書生"に近い印象を受けます。
ともかく細かい設定に違いがあるものの、この主人公は著者自身をモデルにしていることは明らかであり、私小説と創作小説の中間にあたる作品といえます。
前編と後編に分かれており、前篇は芸者の登喜子、従兄弟にあたる愛子をはじめとした女性へ恋する主人公(謙作)といった構図で物語が進行してゆきます。
やがてさまざまな障壁により自らの恋愛が成就しないこと、そのため心身ともに疲れ果てしまい仕事が手につかないことから、単身で尾道に滞在することを思いつき、即座に実行に移します。
美しい風景と静かな環境で何もかも忘れてしまおうとした謙作は、そこでも悩みから解放されないばかりか女中として子どもの頃から家に仕えているお栄へ対しても新たな恋心を抱いてしまうのです。
ストーリーのすべてを紹介することは避けますが、とにかく後編に入っても京都、大山(鳥取県)と舞台を移し、やがて謙作は直子という女性と結婚することになりますが、子どもが生まれても彼の心の迷いが消えることはありませんでした。
文芸評論の立場からはさまざまな角度で評価されている作品ですが、私自身は"恋愛小説"に近い印象を受けました。
"恋愛"は他人へ対する感情である以上、自己完結する性質のものではなく、何らかの影響を受けずにはいられません。
とくに謙作が若いこともあり、その影響は彼の日常の感情や態度といったすべての局面に及ぶのです。
その細やかな心情を場面ごとに細やかに表現しており、ある時は彼の兄である信行との手紙のやりとりの中でも表現されています。
揺れ動く謙作の若い心は、自信の無い、確固たる夢や目標を持つことの出来ない"弱い心"であり、その中でも父親との確執、妻や友人との狭間で必死にもがき続ける心は少しずつ変化してゆくのです。
常に謙作を中心とした地理的な描写の正確さ、周りの風景や人物の行動の緻密な描写であり、まるで映像作品のように読者へ視覚的に訴えてくるあたりは"文学作品らしさ"を感じさせます。
作品を読み進めるに従い、当時(大正時代後半)の時代風景が目に浮かぶようであり、おそらく本作品を原作に映像作品を製作したとしても、この小説を超えることは困難と思わせるほどです。
この描写の"正確さ"は他の作家がお手本とした部分でもあると同時に、真似出来ないと認めざるをえない"志賀直哉"の真骨頂といえるものです。
文庫本で600ページ近い長編ですが、急がずゆっくりと読んで欲しい作品です。
灰色の月/万暦赤絵
今回で3作品続けての志賀直哉氏の作品レビューです。
前回紹介した「小僧の神様―他十篇」は前期を代表した短篇集ですが、今回紹介する短篇集は昭和3年~38年の間に発表された後期の短編が収録されています。
本書には23編もの作品が収録されています。
- 豊年虫
- 鳥取
- 池の縁
- 万暦赤絵
- 日曜日
- 朝昼晩
- 菰野
- 早春の旅
- 灰色の月
- 兎
- 実母の手紙
- 秋風
- 山鳩
- 目白と鵯と蝙蝠
- 妙な夢
- 朝の試写会
- 自転車
- 朝顔
- いたずら
- 夫婦
- 白い線
- 八手の花
- 盲亀浮木
後期の作品ということもあり、私小説に関しては明らかな変化が見られます。
それは鋭い心理描写や起伏が影を潜め、安定した視点で物事を観察するようになっている点です。
内容も私小説というより旅行エッセーに近い内容のものが多く占められており、全体的に落ち着いた雰囲気で書かれています。
これは作風の変化によるものではなく、作者自身が年齢を追うごとに自然に生じた"心境の変化"というべきものでしょう。
たとえば本書に収められている74歳のときの作品「八手の花」に次のような一節があります。
私は前から画家は死ぬまで描く事が出来るが、小説家は死ぬまで小説を書くというわけには行かないものだと決めていた。
体力から言っても年をとって小説を書くのはつらい事である。その上、私自身の場合でいえば人事の煩瑣な事柄が段々厭になって来た。そういう事を総て避けていては所謂小説は書けない。その点、画家の仕事は遥かにいい。
自分が厭だと思うものまで描かなくてもいい。自然を対手に美しいと感じたものを描いていればいいのだから、画家は幸福だ。
もちろん若い頃の鋭い視点で描かれた作品を好むファンが多いかも知れませんが、静かに老小説家の作品を味わう機会があっても良いかも知れません。
小僧の神様―他十篇
岩波文庫から発売されている志賀直哉の短篇集です。
前回は「和解」という中編小説を紹介しましたが、志賀氏の作品は圧倒的に短編が多く、本書はその中でも代表的な作品が収録されています。
つまり志賀直哉の作品をはじめて読む人にとって最適な1冊であり、以下の11篇が収録されています。
- 小僧の神様
- 正義派
- 赤西蠣太
- 母の死と新しい母
- 清兵衛と瓢箪
- 范の犯罪
- 城の崎にて
- 好人物の夫婦
- 流行感冒
- 焚火
- 真鶴
どれも短編という限られた紙面の中で無駄を削ぎ落した洗練された作品に仕上がっています。
場面や心理がどれも鮮やかに描写されており、読者がすぐに小説の世界へ入り込むことの出来る点は、創作小説であっても私小説でも共通しています。
描写される小説の背景がはっきりと輪郭を持っているため、たとえば志賀直哉の私小説を数編読むだけで、作者の育った環境などをかなり正確に把握することができます。
そこには当然のように微妙な心の屈折をも鮮やかに描写されていますが、たとえば太宰治のように人への好悪、作家としての苦悩といった混沌とした生々しい心理描写が登場する頻度は圧倒的に少ないようです。
こうした"アクの少なさ"が小説作品としての純度を高めていると評価することも、実体験を着色した"綺麗事"と批判することもできる、つまり読者の好みによって異なる部分ではないでしょうか。
それでも夏目漱石、芥川龍之介から評価された志賀直哉の文才が本物であることは本書から伝わってきますし、私個人は本書を充分に楽しむことができました。
ストーリーの濃度が高い分、作者が適当と思われる場面で淡白にあっさりと幕引きする部分も共通しており、あえて結末をはっきり書かず、読者へ余韻を残す作者の意図をはっきりと感じます。
そうした意味では「小僧の神様」、「赤西蠣太」、「城崎にて、「焚火」あたりが私個人の好みに合う作品です。
和解
明治後半から昭和にかけて活躍した文豪・志賀直哉の代表作です。
白樺派を代表する小説家として夏目漱石や芥川龍之介からも評価され、"小説の神様"と呼ばれたこともあるようですが、(個人的に)文学的な評価が不得意なため、自我流のレビューで本作品を紹介してゆきます。
まず本作品は文庫本で100ページ程度の分量であるため、2~3時間もあれば読み終えてしまいます。
これでも志賀直哉氏の作品としては長い部類であり、生涯に渡って長編小説をほとんど書かなかったこと、そして主に短編小説で評価されたことを考えると納得できる分量です。
本作品は父親との不和と和解を描いた完全な私小説です。
物語は幼くして亡くなった主人公(志賀氏自身)の娘の一周忌で墓参りに出かけるところから始まります。
完全に父親と不和な状態からストーリーが始まりますが、新たに娘を授かり無事に出産する過程で父親との心境や関係に変化が生じてゆくといったあらすじです。
作品全体のストーリーにはそれほどダイナミックな変化はありませんが、作品中で描かれる場面描写と、それに伴う主人公の心境についてはかなり詳細に描かれており、自身を主人公とした私小説ならでは繊細さであるといえます。
また実際の出来事以上に主人公が父親へ抱いていた憎悪、怒り、悲しみといったマイナス感情が理解、共感、愛情といった心境へ変化してゆく過程は起伏に富んでおり、それを読者をまったく退屈させることなく伝えています。
作品の中で父親との確執が長年に渡るものであることはストーリーの合間から読み取ることが出来るのですが、実際この不仲の根本は少年時代にまで遡るようであり、この「和解」で描かれている内容は、志賀氏自身の人生にとって大きな転換となった出来事なのです。
ちなみに本書の他にも多くの作品で父親との関係を描いた作品を発表しています。
少なくとも父親と不仲な息子といった構図自体は現実世界でも決して珍しくありません。
ただしそれを"文学"の地位にまで高めたところに本作品の意義があるのかも知れません。
一外交官の見た明治維新〈下〉
前回に引き続きアーネスト・サトウの回想録である「一外交官の見た明治維新」の下巻レビューです。
本書は日本に通訳官として日本に赴任していた当時の日記を元に書き起こされているため、会合の内容や事件などが日付と共にかなり詳細に記録されています。
サトウはイギリス大使と行動を共にする機会が多いこともあり、幕府側や薩長をはじめとした各藩の要人たちと頻繁に会っており、明治維新のほとんどの主要人物たちと面識があったと言っても過言ではありません。
伊藤俊輔(のちの博文)や後藤象二郎のように陽気ですぐに友人になった人物もいれば、桂小五郎(木戸孝允)や西郷隆盛のように言葉少なく重々しい雰囲気を漂わせる人物、聡明な君主である徳川慶喜、伊達宗城など、会う人によってサトウの目から見る日本人の印象はさまざまであるところが興味深いところです。
さらにサトウは斬首や切腹といった場面にも何度か立ち会った経験を持っています。
"切腹"を残忍な自殺行為とは見なさず、名誉に基づいた意味のある儀式と評価するところは彼の日本への深い見識を伺わせます。
もちろん日本食や日本酒にもすっかり適用し、芸者遊びにさえ興じる余裕があります。
さらに面白いことに、サトウの回想録には上司への不満、そしてライベルとなるフランス大使たちへの敵対心さえもが素直に綴られています。
これは本書が明治維新から時間の経った1921年(大正10年)に出版されたこともあり、誰へ対しても遠慮なく当時の回想を書ける立場にあったからでしょう。
結果的にイギリスはフランスのように積極的な軍事介入を控え、幕府(将軍)の持つ権力の弱体化を見抜き、薩長の持つポテンシャルをいち早く評価して明治維新において中立を保ち続けました、そして結果的に日本へ対する彼らの外交戦略はフランスを出し抜き成功を収めることになります。
つまりアーネスト・サトウは敏腕の通訳官としてだけでなく、優秀な諜報員としても活躍したことが本書から伝わってくるのです。
一外交官の見た明治維新〈上〉
本書は英文によって発表されたアーネスト・サトウ(1843年~1929年)の著書を日本語訳して岩波文庫から出版したものです。
幕末の歴史に興味のある人にとってはお馴染みのイギリスの外交官(通訳官)ではないでしょうか。
ちなみに"サトウ"という姓は本名(Satow)であり、"佐藤"ではありません。
生粋のイギリス人であり、日本語を理解するのみならず文化や歴史に渡るまで幅広い知識を持った人物として知られています
幕末の維新史については、倒幕派や佐幕派に関わらず当時に活躍した人々によって多くの記録が残っています。
一方で外国人の立場から記録された明治維新の通史の数はそれほど多くはなく、本書がその代表的な存在であるといえます。
その価値は何と言ってもイギリス人という特殊な立場で書かれた本ということです。
当時のイギリスは"太陽の沈まない国"と評されるほど世界中に植民地を有しており、異文化へ対する価値観の違いについて当時世界でもっとも客観的に判断できる能力を持っていました。
また徳川将軍や大名、天皇に至るまで当時の日本人にとって権威的な存在へ対して(少なくともイギリス人同士では)自由な立場で論じることが出来たという点です。
たとえば尊王派に属する旧体制に批判的な立場の人物であっても、藩主へ対して辛辣な批判を書き残すことは殆どなく、やはり自らの立場に縛られざるをえない部分がありました。
その点、本書のようにサトウが日記を元もに書き起こした回想録(本書)は自由な立場で忌憚なく書かれています。
そのせいもあって明治維新の回想録にも関わらず、約50年が経過した大正時代の終わりから終戦まで25年間に渡って本書は日本政府によって禁書として扱われてきたという経緯を持っています。
明治維新史の奥行きを深めてくれる歴史的に貴重な1冊です。
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