レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

三島由紀夫氏による代表的な戯曲「サド侯爵夫人」、「わが友ヒットラー」が収められている1冊です。

簡単に説明すると戯曲は、演劇の脚本そのものを指します。

「サド侯爵夫人」に登場するのは女性のみの6人であり、それと対照的に「わが友ヒットラー」では男性のみ4人という配役です。

その中でもやはり特筆すべきは、日本国外で高い評価を受け、現在に至るまでも公演され続けている「サド侯爵夫人」になるでしょう。

"サド侯爵"は実在の人物ですが、本作で描かれるサド侯爵をひと言で表現すると"変態"という身も蓋もない表現になります。

もう少し深い表現をすれば、あらゆる宗教的、道徳的概念から自由な立場で快楽を追求し続けた"愛の求道者"ということになるでしょうか。

しかしこの作品にとってポイントになるのは、サド侯爵本人が登場人物に含まれていない点です。

あくまでも登場する女性たちの目を通して、サド侯爵の性格、思想、哲学、そしてその行為が語られるのみであり、彼女たちはいずれも観客にとっての代弁者を象徴的に演じているのです。

それを三島氏自身は次のように語っています。

サド夫人は貞淑を、夫人の母親モントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表して、これらが惑星の運行のように、交錯しつつ廻転してゆかねばならぬ。

まさしく本作品はこの意図通りに書かれています。

登場する6人の女性たちは、いずれも個性的でその性格も分かり易く、複雑な内面を持つ小説の主人公とは明らかに違い、観客たちは短い時間で"演劇"の世界へ入ってゆくことができます。

つまり彼女たちによって交わされる会話は、それが社交上のものであろうと本音であろうと、観客たちを演劇に夢中にせずにはいられないのです。

これは彼女たちの立場や信念によって発せられているセリフを精密かつ大胆に計算し尽くした、三島氏の才能がそうさせているのは言うまでもありません。


「わが友ヒットラー」は体育会系であり政治的でもある男性的なストーリーとなっており、世間一般的に考えられている"三島由紀夫の世界観の断片"を感じられる作品に仕上がっています。

私にはむしろ後半の「わが友ヒットラー」があるからこそ、前半の「サド侯爵夫人」がより一層際立っているように思え、そこに三島由紀夫の作家としての幅の広さを感じました。


セリフを中心に展開してゆく戯曲は誰によっても読みやすく、はじめて三島由紀夫の作品に触れるのなら是非本作品から読んでみることをお薦めします。