ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上)
上中下に分かれる第2巻では、序盤のハイライトである「ポエニ戦争」に突入してゆきます。
本書ではハンニバルやスキピオが登場する以前の「第一次ポエニ戦争」に触れられています。
イタリア半島を統一したローマとフェニキア人の建国した通商国家カルタゴが地中海の覇権をめぐって激突することになる戦争です。
地中海の南北両岸そして地中海の島々に領土を持つカルタゴは、地中海周辺において最大の経済力を誇っており、強大な海軍を備えていました。
一方ローマでは、南イタリアの一部の都市が地中海交易をしていたくらいで、海軍のノウハウさえ持っていませんでした。
当時のカルタゴでは「カルタゴの許可なくしては、ローマ人は海で手も洗えない」と皮肉られたほどの実力差が存在していたのです。
海軍を短期間で準備するため、ローマ人はカルタゴの軍船を拿捕・解体して見よう見まねで五段層軍船を製造し、兵士たちを急いで訓練したのです。
それでも経験値がモノを言う熟練度は、カルタゴの方がはるかに高いのは当たり前でした。
そこで操船技術に劣るローマ海軍は、敵船の甲鈑に打ち下ろす通路「カラス」を発明し、海戦をローマの得意とする歩兵戦へ持ち込む発想をするのです。
船の外観を損ねる「カラス」をあざ笑っていたカルタゴ兵たちですが、やがてその威力を経験した彼らの顔が恐怖に歪んでゆきます。
「素人考え」と表現すると悪い意味に取られがちですが、これは素人の発想が玄人たちの常識を覆した好例になります。
さらに2巻で触れたターラントがピュロス王を雇ったのと同じく、カルタゴはスパルの傭兵隊長クサンティッポと傭兵からなる軍勢でローマ軍と対峙しますが、やはり結果は同じことになります。
選挙権を持ち経済的にも独立しているローマ市民が中心となって構成されるローマ軍は、自らが血を流して祖国を防衛することに誇りにしており、一丸となってカルタゴと戦い続けます。
その士気はカルタゴに金で雇われた傭兵たちとは比べ物にならず、さらに貴族間の派閥争いが絶えないがために団結することの出来ないカルタゴは、経済的に優位だったにも関わらず、20年以上も続く"第一次ポエニ戦争"の中で徐々に劣勢に立たされ、シチリア島をはじめとした領土を失ってゆくのです。
最終的にローマの圧倒的有利な講和条件によりこの戦争が終結したのは、カルタゴ側の戦意喪失によるものだったのです。
本書の後半では、ポエニ戦争の第一次と第二次の間の23年間についても言及しています。
そこではローマの税制や統治体制、そして軍制に詳しく触れらており、2200年以上も前にローマ人の知恵によって創りだされた優れたシステムを知ることができます。
特に興味深かったのは、ローマ軍の中核をなす重装歩兵のもっとも基本的な単位である小隊を率いる百人隊長(ケントゥリオ)へ言及している部分です。
百人隊長と聞くと"百人の兵士を率いる小隊長"、つまり数万規模のローマ軍における下士官といった役割を想像していましたが、実態はまったく異なるというものです。
軍を率いる最高司令官は執政官、そして中隊長クラスまでの人選は市民集会によって決まる一方で、百人隊長は兵士たちによって選出される戦いのプロ中のプロといった存在でした。
そんな百人隊長の重要性を著者は次のように表現しています。
最高司令官の武将としての能力は、百人隊長をどれだけ駆使できるかで決まったという。カエサルを頂点とするローマの名将たちはいずれも、百人隊長の心を完全に手中にし、彼らを手足のごとく使いこなせた男たちであった。
当時ローマ軍の将軍は、1年間(前執政官を入れれば2年間)という短い任期の執政官が務めていました。
執政官は内政・軍事の最高責任者であったため、中には戦争を得意としない執政官もいたはずですし、そもそも長い期間に渡って軍を掌握すること自体が無理だったのです。
それにも関わらずローマが常勝軍だったのは、戦場では常に百人隊長が陣頭指揮を執っていたからであり、そこからは彼らが「ローマ軍の背骨」として賞賛されていた真の意味が分かる気がします。