ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中)
ローマと比べて経済力では上回っていても、兵士の質そして指導者の戦略によってカルタゴが一敗地にまみれた第一次ポエニ戦争。
やがて23年の月日が流れて、カルタゴに1人の天才が現れます。
その人物こそ世界史でもその名が必ず出てくる"ハンニバル"であり、古代最高の戦術家として敵として向かい合ったローマ人からも認めらている将軍なのです。
著者の塩野氏は、"天才"を次のように定義しています。
天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。
誰もが見えていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人である。
ハンニバルは強大なローマを打ち破るため、戦いの序盤から早くも常識(と思われてきたこと)を打ち破るのです。
それは険しいアルプスを大軍で越えるのは不可能という常識であり、またローマの内部(イタリア半島)へ飛び込んで戦いを繰り広げるという発想でした。
さらにそこに待ち受けていたのは、兵の数でも質でもカルタゴ軍を上回っていた名高いローマ軍です。
それでもハンニバルは、ティチーノ、トレッビア、トラメジーノ、そして歴史に名高いカンネの会戦でローマ軍を徹底的に撃破することに成功します。
数万の兵士からなるカルタゴ軍が1人の天才の出現にによってここまで変わるのかと思われるくらい、ハンニバルの戦いは完璧なものでした。
たった1人の人間によって地中海を制圧した大国ローマが存亡の危機を迎えるに至って、当時のローマ人が第二次ポエニ戦争を「ハンニバル戦記」と呼んだのも当然といえます。
ローマの重装歩兵の突進力はカルタゴのそれを上回っていましたが、ハンニバルは騎兵を巧みに操り、包囲戦によってローマ軍を殲滅し、カンネの会戦では実に7万人にも及ぶローマ兵が戦死したと言われています。
この16年間にも及んだハンニバル戦記において10人以上ものローマ軍司令官が戦死したというのは衝撃ですが、10人以上もの司令官が戦死したにも関わらず戦争を遂行できた事実にローマの底力を感じます。
それどころか積極果敢な「イタリアの剣」と称されたマルケルス、我慢強い持久戦を得意とした「イタリアの盾」と称されたマクシムス、奴隷を訓練して率いるという困難な任務を遂行したグラックスをはじめ、ローマ軍にも優れた指揮官が次々と登場します。
これは希代の戦略家であるハンニバルの目の前にローマの秀才たちが次々と立ちはだかり、勝利は難しくとも少しづつカルタゴ軍を消耗させることになるのです。
つまり1人1人の能力はハンニバルに敵わずとも"人材の層"についてはローマが勝っていたのです。
しかしやがてローマにも若き天才・スキピオが登場します。
これはハンニバルと正面から戦うことのできる人材が初めて現れたことを意味しますが、それは次巻のお楽しみになります。
本書では戦いの段階ごとに図解されており、著者の解説とともに読むことで読者が一目でその経過を知ることができるのは優れている点です。
「ハンニバル戦記」を余すこと無く堪能できる本書は、そのスケールの大きさと臨場感を味わえる1冊であり、ローマ史に興味のない人でも間違いなく楽しめると思います。