ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下)
ローマ軍に10万人以上の犠牲者を出し、約10人にも及ぶローマ軍司令官を戦死に追いやったカルタゴの将軍ハンニバル。
後世の我々から見ればハンニバルは天才ですが、当時のローマ人にとってハンニバルは天才どころか"正真正銘の悪夢"であり、16年間にも渡って彼とイタリアを恐怖に陥れた張本人でした。
そんなハンニバルと正面切って挑戦できる"もう1人の若き天才"がローマに彗星のごとく現れます。
その名はスキピオであり、彼はハンニバルがローマ(イタリア)へ対しておこなった作戦をそのままカルタゴへやり返すという戦略を立てます。
つまりカルタゴ領であるスペイン、そしてアフリカへ攻め込み、イタリアへ居座り続けたハンニバルをアフリカへ引っ張りだすことに成功するのです。
それがザマの戦いとして実現し、著者はそれを次のように表現します。
ハンニバルとスキピオは、古代の名将五人をあげるとすれば、必ず入る二人である。
現代に至るまでのすべての歴史で、優れた武将を十人あげよと言われても、二人とも確実に入るにちがいない。歴史は数々の優れた武将を産んできたが、同じ格の才能をもつ者同士が会戦で対決するのは、実にまれな例になる。そのまれな例が、ザマの戦場で実現しようとしていた。
後世の私たちはザマの戦いの結果を知っていますが、それでも読者としてこれから本書で触れられるザマの戦いを期待せずにはいられなくなります。
やはりカンネの会戦の時と同じく、歴史小説にも関わらず戦闘の模様を図で解説してくれる手法は秀逸であり、読者が戦闘の経過を理解しやすくなることで臨場感が増し、さらにそこからは二人の戦術や考えをも読み取ることが出来るのです。
結果的に第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦記)の勝者となった共和政ローマは、絶頂期を迎えることになります。
共和政ローマとは、300人の定員からなる元老院によって実質的に運営される政治システムであり、たとえばローマの最高権力者である執政官は市民投票によって決定しますが、そもそも元老院からの承認が無ければ立候補することすら出来ませんでした。
つまり共和政ローマは少数寡頭政治であり、独裁君主制とはまったく異なるものでした。
それは絶対的な英雄となったスキピオが元老院の大カトーらにより起訴され、表舞台から消えるという結末になって現れます。
それでも絶頂期を迎えていた共和政ローマは、向かう所敵なしの勢いで快進撃を続けます。
アレクサンダー大王で有名なマケドニアを滅亡させ、ギリシアをも事実上の支配下に置きます。
さらに第三次ポエニ戦争でカルタゴを滅ぼし、地中海を制覇することになります。
しかし人間に寿命があるように、共和政ローマもその例外ではありません。
つまり"絶頂期"を迎えるということは、以降は下降線を辿ってゆくことを意味しており、次巻ではそんな共和政ローマの黄昏が書かれることになるのです。