ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下)
ローマの創成期は王政によるトップダウンによって急速に都市国家として成長してきました。
しかし王政が個人の資質に左右されてしまい、安定的、かつ長期的な成長に適していないと判断するとさっさと共和制へ移行してしまうあたりは状況に応じて抜群の適応能力を持っていたローマ人らしさが表れています。
任期が1年という短い2名の執政官、非常時には任期が半年という独裁官を頂点とした体制となり、とにかく安定した成長を見せ始めます。
周辺の同盟都市とローマ連合を結成し、イタリア内陸部の山岳地帯に住むサムニウム族とはなんと40年以上に渡って戦いを繰り広げた末に勝利を収めます。
たとえば軍事能力に優れた王であれば、この戦争を10年で終結できたかも知れません。
しかし無能な王であれば、逆にローマは10年以内に滅亡したかも知れません。
それこそ何人もの執政官が軍隊を率い、ずば抜けた実績をあげられずとも、何十年にも渡って全体的に見れば有利に戦いを進めてきた結果といえます。
また時にはケルト人の襲来によりローマを一時的に占領される危機が訪れるものの、地道に都市を復興させ、やはり以前よりも少しずつ着実に成長してゆきます。
これをプロ野球で例えると、当時のローマの指導者たちはエース級の実力はないものの、毎年安定して10勝7敗くらいの成績を残す3、4番手くらいの先発ピッチャーのような印象を抱いてしまいます。
こうして着実に貯金を蓄えたローマの前に、南イタリア最大のギリシア植民都市"ターラント"が立ちふさがります。
このターラントは海運により発達した商業都市であり、財力はあっても(特に歩兵の)軍事力は不足しています。
そこでターラント首脳陣たちは、北部ギリシアから"戦術の天才"といわれるピュロス王をスカウトしてローマ軍と戦わせることを選択します。
軍隊や指揮官さえも財力にモノを言わせて買ってしまうターラントの発想は面白いところです。
ピュロス王は噂に違わぬ実力者であり、執政官率いるローマ人は急造ターラント軍によって撃破されてしまいます。
"泥臭い田舎育ちのローマ軍"と"スマートな都会育ちのターラント軍"といった感じの対照的な両軍ですが、ここでもローマは「らしさ」を発揮します。
自国の運命を傭兵に委ねたターラント、市民たち自らが血を流し続けた戦い続けたローマ。
ローマ軍の消耗はターラント軍よりも激しいものの、その高い士気が徐々にターラント軍を追い詰めてゆき、ピュロス王を戦意消失に追い込んで勝利を得ることになります。
さらにこの勝利によって、ついにローマはイタリア半島を統一することに成功するのです。
とはいえイタリア半島の面積は日本の本州と同じ程度しかありません。
しかもイタリア半島を統一した時点でローマは建国から500年が経とうとしていました。。
一方で地道に領土を広げてきたからこそ、のちの広大なローマ帝国の礎となる密度の高い骨肉をこの時点で身につけていたのであり、まさに「 ローマは一日にして成らず」なのです。