ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)
40歳にして共和政ローマの表舞台にデビューしたユリウス・カエサル。
以前紹介したようにポンペイウスとは対照的に"大器晩成型"のカエサルでしたが、政界の中心にデビューして以降、常に息をつく間もない忙しさになります。
ポンペイウスを筆頭とした元老院派(スッラ派)が優勢の中にあって、反スッラ派の民衆派としての旗色を鮮明に打ち出し、執政官に就任して以降、政策や法律を次々と打ち出します。
これはスッラによって親族を処刑をされ、自らもスッラのブラックリストに乗りかけた経験があることも関係していると思いますが、何よりも行き詰まった共和政ローマの"政体"そのものを打倒する大きな野望を胸に秘めていたからに他ありません。
カエサルは軍の総指揮官としだけはでなく、その政治的な手法も一流でした。
強力なバックボーンを持たないカエサルは、強い政治的信条を持たず"虚栄心"の強いポンペイウスを自陣に引き込み、莫大な資産を持ったクラッススさえも同志に仕立てます。
これが有名な共和政ローマの「三頭政治」ですが、この体制はもっとも力を持たないが、もっとも創造力のあったカエサルを中心に回ってゆきます。
政治の中心地であるローマで後顧の憂いを断ったカエサルは、ガリア属州総督を経て、いよいよ自身による「ガリア戦記」で有名な、8年にも及ぶガリア戦役に突入してゆきます。
絶え間ない部族ごとの抗争、そしてライン川以東のゲルマン人の脅威により1つにまとまることのなかったガリア(ケルト)人の住む地域は、ローマへの侵攻を防ぐといった国家防衛上の観点からも平定することの望ましい地域でしたが、何よりもカエサルの目には、自らの地盤を確立できる未開のフロンティアに写ったに違いありません。
当時は生きながらにして若い頃の軍功により軍神のように崇められていたポンペイウスがいましたが、カエサルはこのガリア戦役によって、初めて武将としての才能を世の中に知らしめるのです。
ライン河を渡りガリア人の領地のみならず、ゲルマン人の領土にまで攻め入り、またドーバー海峡を渡りブルタニア(イギリス)にまで攻め入ったりと、カエサルとその軍は縦横無尽、神出鬼没であり、またたく間にガリア人の領土をローマの支配下に組み込んでいきます。
またローマ軍が軍事活動を停止する冬営地の間にはイタリア半島へ舞い戻り、精力的に政治工作や公共事業に取り組みます。
本巻で触れられているガリア戦役最初の5年間は、三頭政治が完全に機能して政治的な立場が安定し、ガリア人の平定も順調であったため、軍人としても政治家としてもユリウス・カエサルは日の昇る勢いで躍進してゆくのです。