ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下)
共和政ローマのシステムが行き詰まりを見せる中、マリウスとスッラという優れたリーダーが現れます。
仮にリーダーが1人であれば、そのリーダーの元に混乱が収拾してゆきますが、2人のリーダーが同時に現れる時に衝突を避けられないのが人間社会の性なのかも知れません。
しかも民衆派のマリウスとは違い、スッラは元老院派と考えられていた人物でした。
結果的にローマへ平和は訪れず、マリウスとスッラの争いにより元老議員や執政官までもが殺害されるという事態にまで発展します。
ポエニ戦争最大の英雄であるスキピオ・アフリカヌスでさえ、元老院に矛先を向けるという行為は考えられず、むしろ元老院によってスキピオが失脚させられた事実を考えると、確実に時代が変わろうとしているのです。
マウリスを中心をした活躍で外敵の脅威を追い払い、またポントス王ミトリダテスを屈服させたスッラにより共和政ローマの覇権はさらなる広がりを見せるのです。
高齢のマリウスが亡くなり、やがて「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」と墓碑に刻ませたほどの勢力を持ったスッラが亡くなると、スッラ配下の若き武将たちが後を継いで活躍を始めます。
それがポンペイウスとクラッススです。
ポンペイウスはスペインで起こったスッラ体制への反乱「セルトリウス戦役」の鎮圧を、クラッススは奴隷や剣闘士たちの反乱「スパルタクスの反乱」の鎮圧によって共和政ローマの危機を救うのです。
理想国家の実現という崇高な理念を持たなかったスッラと同じく、やはり彼らも自らの野望に忠実であり、引き続き共和政ローマ末期には"個人の台頭"が続くのです。
優れた軍事的才能と市民から絶大な人気を得たポンペイウスと、ローマ一の大金持ちであるクラッスス。
この2人が図抜けた形で共和政ローマを牽引することになりますが、マリウスとスッラの時代と決定的に違うのは以下の2点です。
- ポンペイウスとクラッススはいずれもスッラ幕下の出身であり、敵対する関係ではなかった。
- 2人を比べた時、明らかにポンペイウスの実力がクラッススを上回っていた。
地中海の海賊討伐、そしてスッラの死後に再び反乱を起こしたポントス王ミトリダテスを完膚なきまでに粉砕したポンペイウスは、ローマ市民から絶対的な支持を得ることになります。
クラッスス自身もNo2の地位を受け入れている以上、ポンペイウスを中心に時代が動き続けることが確実と思われていましたが、結果的にはそうはならなかったのです。
なぜなら同時代に「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と評されたユリウス・カエサルが同時代にいたからです。