ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上)
ローマがイタリア半島を統一するのに実に500年もの年月を費やしました。
一方でローマがスペインからギリシア、マケドニア、小アジア、アフリカの北海岸と地中海の島々、つまり地中海世界を制圧するまでに130年しか要していません。
その要因はローマ人たちがはじめて外界に出て戦った相手が、当時の地中海最強の国"カルタゴ"だったということに尽きます。
規模はまったく違いますが、たとえば織田信長が"海道一の弓取り"と言われた今川義元を討ち取って以降、急激に勢力を広げた例に似ています。
共和政ローマは元老院を中心とした少数指導制によって国家を運営してきましたが、領土拡大と共に経済成長を遂げた結果、元老議員以外に経済力をもった騎士階級(エクイタス)が生まれ、何よりも大きな経済的な格差によって多くの国民が失業する事態が発生したのです。
ローマ軍を支えてきた重装歩兵はローマ市民ですが、ローマ市民と認められるためには一定の資産を有している必要があり、その条件を満たさない人は無産階級(プロレターリ)となり、兵役の免除と免税が定められていました。
その結果として社会不安とローマ軍団の弱体化を招き、それは共和制ローマを構成する同盟都市国家にまで波及することになるのです。
改革の必要性を心の底で認めることと、それを実行に移すこととはまったく次元が違います。
何故ならシステムの変革は既得権益を得ている人々がそれを手放すことを意味している以上、例外なく彼らが激しい拒絶と抵抗を示すからです。
それは2000年以上を経た現在日本の政治や企業においても、まったく変わることはありません、
高い志と固い意志を持って改革を実行しようとしたグラックス兄弟は、元老院の抵抗によって非業の最期を迎えることなります。
彼らの打ち出した政策は当時のローマにとって間違いなく"正しいこと"でしたが、それが既得権益層(元老院)に認められることはなかったのです。
改革を先送りにし時代の流れ取り残されたローマ。
普通の国であれば、そのまま衰退期に向かっていくはずでした。
しかし共和政ローマには、マリウスとスッラといった実力を持ったリーダーが出現します。
彼らはグラックス兄弟ほど純粋な動機も改革への意欲も持っていませんでしたが、軍隊を私兵化し有無を言わせぬ実力で元老院を黙らせ、本人たちは意図せずとも共和政ローマのシステムを壊してゆくことになるのです。
また彼らが登場しなければ、外敵から身を守ることも内乱でさえも鎮める指導力を元老院は失っていたのでした。
「勝者の混迷」というタイトルが付けられていますが、私には"混迷"というよりも"実力ある個人の台頭"の時代が到来したという印象を受けたました。