中華思想と現代中国
日本の領海に限らず中国の領海侵犯がニュースとして報じられる機会が多くなりましたが、経済成長を遂げた巨大な隣国に脅威、恐怖、そして怒りを覚える日本人は多いはずです。
ニュースやワイドショーを見ても、そこに出演しているコメンテーターが「中国は身勝手」、「なぜこんな嫌がらせをするのか?」、「反日国家だから」といった表面的な発言をしていることも日本人の心理へ大きく影響していると思います。
中国は社会主義国家であり、中国共産党による一党独裁によって支配されているのは紛れもない事実ですが、それは中国の本質ではなく、その根底には今なお厳として生き続ける伝統思想を理解する必要があるとしたのが本書であり、中国を専門とした政治学者である横山宏章氏が執筆しています。
本書の初版は2002年のため、時事的な話題がやや古いのは致し方ありませんが、本質的な論点が中国の歴史的な背景における伝統思想となっているため2016年現在でも充分に読む価値があります。
まず最初に中国には人治・徳治主義の政治理念、つまり徳を備えた賢人が政治を執り行うことが理想という伝統が色濃く残っており、近代的な法治主義のための構造改革が追いついていないと指摘しています。
言うまでもなく孔子・孟子の儒教的価値観が中華思想へ与えた影響は大きく、孫文や毛沢東も例外でなかったことをその発言から、また彼らが民衆から英雄、聖人君主として個人崇拝されることを否定しなかった背景から説明しています。
つまり賄賂や横領といった中国政治家たちの汚職には政治的・構造的腐敗という認識が弱く、堕落した個人の責任に帰する傾向が強いのです。
たしかに毛沢東、鄧小平に代表される指導者たちから感じるのは、強烈なリーダーシップとそれを発揮できるだけの権力を有している印象があります。
胡錦濤、習近平といった世代からは絶対的な権力者というイメージがやや薄れてきましたが、それは中国共産党が改革に成功したからではなく、党内で世代間の権力闘争が続いているためと理解する方が正しいでしょう。
続いて中国における人権・自由について言及していますが、著者は天安門事件に代表される民主化運動弾圧の背景は、中華世界の伝統的な観点から理解しなければならないと主張しています。
中国で人権を語る場合、生存権、つまり経済的な豊かさが強調され、近年の社会主義と相反する資本主義経済の導入もその延長線上にあるのです。
また中国の人権とは「共産党支配のもとにおける中国の国民としての権利」であり、普遍的な人間の自由、つまり個人主義を徹底的に批判し、嫌悪しているところに特徴があります。
中国の指導者たちは、個人の自由を許せば国家、民族としての自由が阻害され、団結力を失った「一握りのバラバラな砂」になってしまうと考えています。
「個人の自由を尊重 = 個人のワガママ・身勝手を許す」の図式で例えると分かり易いかも知れません。
一方でこうした人権政策が国際的な摩擦を生み出し、ひいては経済的な損失に繋がりかねないのも事実であり、中国がもっとも慎重な舵取りを迫られている問題であると著者は指摘しています。
2016年現在、中国ではインターネット普及率が50%を越えていますが、そこにはグレートファイアウォール(金盾)と呼ばれる巨大な検閲システムが存在し、本書が出版されて10年以上経過した今も本質的な状況は変わっていないことがわかります。
次に本書では大中華世界、つまり「中華」と周辺の「夷狄」によって構成される世界観に基いて、「以夷制夷(狄をもって狄を攻める)」という伝統的な戦略が現代も生きていることを指摘しています。
それは鄧小平の有名な「黒猫であろうが白猫であろうが、鼠を捕まえさえすれば良い猫である」という言葉にも現れています。
つまりアメリカ、ロシア、日本、そして北朝鮮であっても中国にとって有用でさえあれば、同盟や提携をためらわないのです。
近代に入ってからもソ連と険悪な関係に陥れば日米と友好関係を築き、経済的成長を遂げて台湾を巡っての問題でアメリカと対立するとロシア、北朝鮮に近づき、歴史問題で日本と衝突すれば韓国と連携するなど、実に目まぐるしく立場を変えています。
中国が核実験を行った北朝鮮へ対して継続的に経済援助を行ってきた真意は、間違っても社会主義国家同士としての友好的な感情からではなく、日米韓に代表される西側陣営を牽制し、軍事的バランスを取るための戦略であることは明白です。
続いて漢族を中心した「大統一」思想から見る彼らの少民族政策、日中の歴史認識問題などと続いてゆきますが、ここから先は本書を読んでのお楽しみです。
中国の近代は、西洋列強による干渉や侵略、続いて旧日本帝国軍の侵略による国土の荒廃といった不幸な幕開けによってスタートしたこと、そこから起きた中国革命の延長線上に現政権があることを忘れてはならず、さらにその背景に伝統的な中華帝国の思想が横たわっていることを認識すべきだと感じさせてくれます。
そして隣人としてお互いを理解するように努め、何よりも双方が2度と全面対決を繰り返すといった歴史を繰り返してはなりません。