橋の上の「殺意」
ニュースやワイドショーでは連日のように殺人事件を報道していますが、私のように散発的にしかテレビを見ない人間にとっては、殆ど断片的にしか記憶に残りません。
仮にニュースやワイドショーをじっくり見たとしても、取材の様子、専門家やコメンテーターたちの発言が限られた時間の中で放送されるだけであり、事件の本質を理解することはできないのではないでしょうか。
本書はルポライターとして活躍する鎌田慧氏が、約3年に渡って1つの事件を追い続け、1冊の本にまとめたものです。
手にとった文庫本は400ページ以上の分量があり、多くの人たちへの取材、裁判の様子、そして著者自身が被告やその家族のプライバシーに踏みこみすぎたかも知れないと振り返るほど、生い立ちから判決が出るまでの過程を詳細に追っています。
著者が取材したのは2006年、秋田県藤里町で二人の男女児童の遺体が相次いで発見されたことに端を発する事件です。
最終的に逮捕されたのは、亡くなった女児のシングルマザーである畠山鈴香容疑者(当時)ということもあり、ショッキングなニュースとして報じられました。
加えて彼女は、逮捕以前から重要参考人としてマスコミから注目され、その独特の立ち振舞いもあって連日テレビで報道されていました。
覚えている人も多いと思いますが、私にとっては記憶の片隅で容疑者の印象をかろうじて覚えている程度で、細かい事件の経過はまったく覚えていませんでした。
世界遺産となった白神山地のふもとにある小さな町で起こった悲惨な事件ということもあり、容疑者が逮捕されるまでの間、住民たちに恐怖に怯え、逮捕されて以降もPTSD(心的外傷後ストレス障害)といった後遺症をもたらしました。
鎌田氏は本書を通じて事件の詳細な事実を伝えたかったことはもちろんですが、その先にさらに大きなテーマを投げかけています。
それをあからさまに表現してしまえば、畠山被告へ対する裁判の過程、そして結果としての判決へ対する疑問であり、ひいては死刑制度そのものに疑問を投げかけているということです。
そのキーワードは、タイトルにある「殺意」に表されています。
警察や検察官による取り調べの過程が問題に取り上げれることが多く、佐藤優氏の著書「国家の罠」にあるように、筋書きの決まったストーリーに沿って調書が作成されていゆく過程は交渉のプロである佐藤氏でさえ苦しめるものだったのですから、精神科へ通院し生活保護を受けていた鈴木容疑者にとっては、取調中に倒れこむほどのショックを受けることになります。
「統合失調症質人格障害」と鑑定された鈴木容疑者は、娘の死へ繋がった自らの動機、行動を健忘しており、その真相が明らかにされないまま判決で"殺意"を認定されます。その背景には、マスコミをはじめとした世論に判決そのもが後押しされてしまった可能性があることを著者は危惧しています。
(考えたくもないことですが)私自身が取り調べを受ける立場になった時、事実に基づいた内容で調書が作成され、正義の名の元に裁判を受けることができるか甚だ不安になります。
本裁判で検察が主張した死刑求刑についてもやはり考えさせられます。
被害者遺族が受けた深い悲しみ、そして怒りを想像すると簡単な問題ではありませんが、それでも真相究明が不十分なまま死刑によって犯罪者をあの世に送ることが、遺族たちの心の傷を癒やし、犯罪者を後悔させる方法となり得るのかは疑問を持ちます。
かつて遠藤周作氏が、日本人は命の尊さに重きをおく人道的な立場で反戦主義を貫くのであれば、死刑制度は矛盾していると批判していますが、最近の日本がこうした考えに逆行しているようで不安を覚えるのは私だけではないはずです。