本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

悩める日本共産党員のための人生相談


日本共産党員として40年近く活動し、参議院議員も勤めた経歴をもつた筆坂秀世氏の著書です。

筆坂氏が2005年に共産党を離党したあとに出版した「日本共産党」では疲弊しきっている組織の内情を赤裸々に暴露し、指導層への批判的な意見を掲載して話題になり、本ブログでも紹介しています。

本書はその続編に位置付けられる作品であり、現役共産党員からの悩みや訴えを掲載し、それに著者が答えるといった人生相談の形式で書かれています。

著者の筆坂氏自身は現役の共産党員ではなく、党内の権力争いに敗れ今なお現役の指導者たちに疎まれている側の人間であることから、そもそも著者に相談するのは筋違いな気もしますが、40年近くにわたり共産党員として活動してきた揺るぎない経歴があります。

彼らの言葉で表現すれば"百戦錬磨の闘士"といったところでしょうか。

ともかく共産党の良い時代も悪い時代も知っていることは事実です。

本書に掲載されている相談内容は(共産党員ではない)大部分の読者にとっては他人事なのですが、その内容はなかなか切実なものです。

本書では相談内容を以下のように章立てで分類しています。

  • 第一章 「しんぶん赤旗」編
  • 第ニ章 「悩める党支部」編
  • 第三章 「お金の悩み」編
  • 第四章 「議員はつらい」編
  • 第五章 「幹部への不満」編

一方で相談の内容は、政党助成金を受け取らない、また新聞(赤旗)の発行部数低下による財政難、そして党員の高齢化に伴う人材不足という問題に集約することができます。

そしてその根本にあるのは、日本で一番古い政党でありながら実績が上がらない(議席を伸ばせない)、つまり責任ある指導者(中央委員会)が結果を残せていないという現実がすべてなのです。

老舗の大企業が時代の流れに取り残され、大きく業績を下げて苦しんでいる姿に似ていると感じます。

山本五十六 (下)


前回に引き続き、阿川弘之氏の「山本五十六」を紹介します。

文庫本にして900ページにも及ぶ長編ですが、上巻では山本五十六が連合艦隊司令長官に就任して日米開戦の可能性が濃厚になる時期まで、そして下巻では日米開戦直前(昭和16年初頭)からソロモン諸島で戦死するまでを扱っています。

時間軸でいえば下巻で描かれている山本五十六の生涯は2年少々であり、密度の濃い内容になっています。

周知の通り山本は、米内光政井上成美らとともに日米開戦に反対の立場をとり続け、日独伊の三国同盟へ対しても強固な反対を唱え続け、右翼から「天ニ代リテ山本五十六ヲ誅スル」といった調子で命を狙われ続けました。

一方で暗殺の危険性が迫っても本人は気にする素振りも見せず、部下に行き先も告げずに外出するといった有様で、さらに右翼指導者の中にも山本を尊敬する人がいたというのは彼らしいエピソードです。

また開戦前に近衛首相から見通しを問われた際の有名なエピソードに次のようなものがあります。

「それは是非にもやれと言われれば、一年や一年半は存分に暴れて御覧に入れます。しかしそれから先のことは全く保証出来ません」

これを戦略家として日米開戦の結末を冷静に分析し、いざ開戦となれば渾身一滴の博打めいた真珠湾攻撃を成功させた優秀な提督として積極的な評価をすることが出来ます。

一方で連合艦隊司令長官という立場で反対し続けた日米開戦を承知し、ミッドウェー海戦においてすべての空母と多くの戦闘機を失い敗れたという消極的な評価の二通りがあります。

しかし所詮は誰を偉人や英雄として評価するかは主観的な見方に過ぎず、本作品などを通じて1人1人が判断すべきものです。

私自身の評価は、山本五十六は日露戦争にも参加した根っからの優秀な軍人であったということです。

またその出発点は彼の出生に遡ることが出来ます。

彼の郷里・長岡悠久山堅正寺の橋本禅師は山本の師匠でもありますが、彼のことを次のように評しています。

「机をはさんで対座していると、机の上に五臓六腑ずんとさらけ出して、要るなら持っていけというような感じがあった」
と言い、
「しかし、ある意味では、正体のつかめない人間、ふざける時にはいくらでもふざけるし、一方質実剛健、愛想無しで、底の知れないという、長岡人の典型のような男で、突然ひょいとあんな人物は出て来るものではない。長岡藩が、三百年かかって最後に作り出した人間であろう」

戊辰戦争において長岡藩は朝敵として薩長藩に敗れ、養祖父、祖父はその時に殺され、父、長兄、次兄は負傷します。

その時味わった苦労を山本五十六自身も背負い続け、海軍を志した後も軍人として活躍することで郷里の人々の無念を晴らそうという気概があったはずです。

現に山本は朝敵として討伐された長岡藩の家老・河井継之助を尊敬していました。

また彼自身はひょうきんな一面を持っていたものの、基本的には寡黙な性格で自らを軍人として定義付け、政治家を志そうとは1度も思いませんでした。

よっていったん聖断(つまり陸海軍を統帥する天皇の判断)が下れば、内心はどうあれ批判を口に出すことは避け、軍人として最善を尽くしたのです。

本作品は色々な側面から山本五十六を眺め、そこから等身大の山本五十六を浮かび上がらせた上質な伝記なのです。

山本五十六 (上)


第二次世界大戦における山本五十六は、当時の首相である東条英機と並んで有名な軍人ではないでしょうか。

明治27年に連合艦隊司令長官の地位が創設されて以来、長くとも2年程度で交代するのが日本海軍の伝統でしたが、国運を賭けた海戦時にその地位にいたのは、日露戦争時の東郷平八郎と太平洋戦争時の山本五十六の2人しかいません。

とくに山本五十六は有名なだけでなく、今なお人気がある点が東条英機と決定的に違う点です。
その理由を考えると、大きく3つの要因が考えられます。

まず最初に真珠湾攻撃、つまりアメリカへの緒戦の奇襲攻撃によって大きな戦果を挙げたことに裏付けられる実績(能力)が評価されている点です。

次に山本が連合艦隊司令長官という軍人として考えうる最高の地位にあったにも関わらず、冷静にアメリカとの圧倒的な国力の差を分析して開戦に反対し続け、のちにソロモン諸島で戦死を遂げるという、悲劇のヒーローとしての側面が考えられます。

最後に多くの部下から尊敬され、同僚からも慕われていた、その人間的な魅力によるものです。

これだけの要素を挙げると日本人好みの「判官びいき」にぴったり当てはまる人物であり、事実、戦後においてさえ山本五十六を軍神として神聖化する風潮があったようです。

しかし誰よりも神として祀られることを嫌ったのが山本自身であり、その人物像に迫った伝記として決定版ともいえるのが、阿川弘之氏による本書「山本五十六」です。

阿川氏は本書を執筆するにあたり多くの証言や記録を元にして、文庫本にして900ページにも及ぶ大作に仕上げています。

本作品の特徴は、当時の軍人だけでなく、故郷(新潟県長岡市)の親戚や知人、家族や愛人に至るまで多方面に渡る取材を行っている点です。

そこからは山本の強い信念や考え方はもちろん、時には複雑な心境や迷いなどが垣間見れ、山本への批判的な意見さえも取り入れています。

ともかく多くの関係者の証言や書簡が紹介されており、本書を執筆するために膨大な労力を費やした著者の思い入れが伝わってきます。

それも著者の阿川氏自身が戦時中に海軍に所属していた経歴を持っていることもあり、自身の青春を捧げた日本海軍へ対して郷愁と愛着を持ち続けたことは、氏のその後の作品にもはっきりと現れています。

天才たちのプロ野球


ペナントレースが終わり、10月に入ると各チームからは続々と戦力外の発表と引退のニュースが流れます。

結果だけがすべての厳しいプロの世界において、長年に渡り1軍で活躍し、かつ自らの意志でユニホームを脱ぐことのできる選手は一握りしかいません。1軍で満足に活躍することもなく、引退してゆく選手の方が圧倒的に多いのが現実です。

たとえ将来を期待されドラフト1位で入団してきた選手でさえも、過去の実績がプロ野球の将来を保証するものにはなりません。

先輩、あるいはコーチのアドバイスを受ける場面は数多くあると思いますが、その中のあるひと言がきっかけになり、大きく成長する選手は幸運かも知れません。

本書で紹介されているのは、いずれもそんな数少ないチャンスを掴み、それを引き寄せることのできた選手たちのエピソードです。

エースの作法

  • 田中将大
  • 前田健太
  • 石川雅規
  • 唐川侑己
  • 岸 孝之

主砲の矜持

  • 中村剛也
  • T-岡田
  • 中田 翔
  • 畠山和洋
  • 村田修一
  • 内川聖一

いぶし銀の微笑

  • 荒木雅博
  • 田中浩康
  • 森福允彦

ベテランの思考

  • 松中信彦
  • 谷繁元信
  • 山本 昌
  • 宮本慎也

多くの有名選手が紹介されていますが、167cmという小柄な体格ながらもヤクルトのエースとして君臨し続けた石川雅規投手の言葉が本書の中で印象に残ります。

「プロで活躍する人、活躍できない人の差って本当に紙一重だと思うんですよ。実際、僕より球の速い人なんでゴロゴロいるわけです。その人たち以上に速いボールを投げようと努力しても僕には難しい。努力してもできなそうなことはやらない。できることは継続してやる。ただ、いつどんな知識が役に立つかわからないので引き出しはひとつでも多く持っておいた方がいい。"オレは聞かねぇ"という人もいるけど、あれはもったいないですね」

プロ選手として活躍できる秘訣や法則など存在しないのかも知れませんが、本書で紹介されているエピソードの中には多くのヒントが隠されているような気がします。

自動車絶望工場


「日本を代表する企業といえば?」

アンケート結果は間違いなく2位以下に圧倒的な差をつけて「トヨタ自動車」が選ばれるに違いありません。

2015年には約28兆円の売り上げ2.8兆円の営業利益を計上している、日本だけでなく世界中で知られた企業です。

トヨタの経営戦略、生産管理(+品質管理)をテーマにしたビジネス書は数多く存在し、私自身もそうした本から感銘を受けた経験があります。

世界を席巻するトヨタの存在は日本の経済政策を左右し、また大スポンサーとしての地位を考えれば称賛する意見は多くとも、批判的な声は決して大きくはありません。

しかしおよそ国家にしろ企業にしろ、大きな力をもった組織が光り輝けば輝くほど、またその闇も深いものになるという点では歴史上例外はありません。

今から40年以上も前に、その大組織の闇へ迫ったルポルタージュが本書「自動車絶望工場」です。

著者の鎌田慧氏は今や日本を代表するルポライターの1人ですが、著者自身が1972年に季節工員(期間工)として半年間トヨタの自動車工場で実際に働きながら体験取材するという、当時としては画期的な方法を用いました。

もちろん自らのルポライターという身分は隠し、自身の故郷・弘前の職安を経由するという正規のルートで採用されます。

大量の季節労働者によって工場が運営されている事実から分かる通り、自動車という精密機械を製造するにも関わらず、その組立工程においては専門の知識や技術は必要ありません。

高度に機械化され、細分化された自動車製造の過程は、コンベアから流れてくる部品のスピードに合わせて、ひたすら合理化された手順で作業を繰り返すだけです。

しかもそのコンベアの速度は、作業員が無駄なく作業を終わらせた場合のギリギリの時間に設定されており、単調な作業をひたすら反復することだけが人間に求められます。

つまり人間が機械を操るのではなく、機械が人間を操るのが自動車工場の現実なのです。

一方職場に置かれた「トヨタ新聞」には、同社の国際進出、生産台数や営業利益の新記録樹立、公害安全対策といった綺羅びやかな記事のみが並び、現場の労働者との対比をいっそう際立たせます。

世間に殆ど届くことのない、疲れ切って希望を見い出せない労働者の姿を自ら体験取材することで伝えた本書は、40年以上が経過した今でも間違いなくルポルタージュの名作であり続けるのです。

日本の地価が3分の1になる!


2010年には1億2806万人だった日本の人口は、2040年までに16.2%減少すると推計されています。

人口が減少すれば土地の値段が下がるのは当然だと思われますが、本書ではそれが"3分の1"つまり約70%も下落すると主張しています。

この人口減少率をはるかに上回る地価の下落率は、15~64歳の生産年齢人口(現役世代)が減る一方、高齢者の人口が大幅に増加する、つまり日本全体の年齢構成が原因で引き起こされるとあります。

高齢化社会が加速している日本では、現在3人の現役世代が1人の高齢者を支えている計算になりますが、なんと2040年には4人の現役世代が3人の高齢者を支えることになるのです。

現役世代の人口減少と連動してGDPが減少するのはもちろん、高額の社会保障費の負担も足を引っ張ることによって賃金上昇が難しくなり、結果として土地への需要が減り、地価が大幅に下落するという理論です。
もちろん地価の下落率も高齢者の割合が多い地域ほど大きくなります。

本書の副題に"2020年 東京オリンピック後の危機"とあり、個人的にも東京オリンピックが一時的な景気底上げになっても、超高齢化社会を解決する糸口にはなりそうもなく、むしろオリンピック後の設備維持費を考えるとマイナス要因になりかねない危機感はあります。

一方で現在私自身が土地を持っておらず、不動産投資信託にも手を出していないことから、今から25年後に起こる地価下落については差し迫った危機感を持っていないのも事実です。

しかし街中が空き家だらけになり、経済的にも停滞することで日本の未来が暗くなることについては不安を抱いています。

本書ではそれを指し示す多くの統計データが掲載されており、一定の説得力を持って読者に迫ってきます。

この未来を回避するために著者は、高齢者を減らす日本の人口を増やすという提言をしています。

まず高齢者を減らすというと物騒に聞こえますが、75歳以上を高齢者として定義し直すことで2040年時点での現役世代負担率を2013年当時と同じ水準に維持することが出来るとしています。

65歳以上を高齢者と定義したのは今から50年以上も前であり、その当時の平均寿命が65歳だったことに起因するようです。

たしかに80歳という現代の平均寿命を考えれば現実的な提言のようにも聞こえますが、75歳を定年としてそれまで働き続けることに不安や不満を感じる人は私を含めて多いはずですが、実際に定年延長に動く企業が増えていることからも、この流れは遅かれ早かれ進んでゆくものと思われます。

日本の人口を増やすという点においては、もちろん出生率を伸ばす努力や政策は必要と認めますが、急激な増加という点ではやはり現実的ではありません。

そこで著者は1980年から2013年までに2倍以上に増加した日本に住む外国人の人口をさらに伸ばし続けるという提言を行っています。

つまり移民を積極的に受け入れることで生産年齢人口の減少を食い止めるということです。

ここ数年だけ見ても明らかに外国人が増えたことは実感できますが、ブルーカラー、ホワイトカラー問わずに移民を受け入れる必要があるとう点がポイントです。

日本の高齢化社会を考える上で示唆に富んだ提言と、それを裏付ける豊富なデータが掲載されており、これからの日本を考える上で参考になる本であることは間違いありません。

ただし本書では「経済の停滞=日本の衰退」という図式が前提にあることを注意して読む必要があります。

私自身は世界に先駆けて超高齢化社会に突入する日本が、経済大国としての地位を守り続ける必要があるのかという点に疑問を持っていますが、その辺りは別の機会にでもじっくり触れてみたいと思います。

新選組物語


新選組始末記」、「新選組遺聞」に続く、子母澤寛氏による新選組三部作の完結編「新選組物語」です。

著者はシリーズ1作目の新選組始末記で冒頭を次のように書き出しています。

歴史を書くつもりなどはない。
ただ新選組に就いての巷説漫談或いは史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない。従って記録文書のわずらわしいものは成るべく避けた。

これは半分本音、半分謙遜といったところで、実際には多くの旧幕臣の古老や隊士の子孫へ取材を行い多くの文献を丹念に調べてゆき、なるべく創作や誇張を排除して新選組の真実へ迫るという真摯な態度で一貫されており、新選組を知る上で金字塔という評価を得ることになります。

しかしのちに子母澤氏の本業は小説家となり、実際に歴史を物語として書くことになるのです。

そして彼は同じ年に生まれた吉川英治氏らとともに日本の歴史小説というジャンルの黎明期を切り開き、大衆文学へと成長させる功績に寄与しました。

本書に収められているのは取材によって語られた回顧録ではなく、小説家として変貌を遂げた子母澤氏による完全な歴史小説です。

しかも前述したように長年の取材や研究に裏打ちされた歴史小説だけに、どの短編作品も完成度の高い、同じように新選組の短編小説を集めた司馬遼太郎氏の「新選組血風録」に勝るとも劣らない名作揃いです。

それもそのはずで司馬氏は新選組の作品を執筆するにあたり、子母澤氏へ作品を引用する許可や新選組に関する教えを請うたというエピソードがあるくらいです。

新選組ファンであれば本書も間違いなく外せない1冊です。

新選組遺聞


子母澤寛氏の新選組に関する著書は新選組三部作と呼ばれ、その1作目が前回紹介した「新選組始末記」であり、2作目にあたるのが今回紹介する「新選組遺聞」です。

本書の前半には著者が昭和3年に取材した八木為三郎翁を中心とした回顧録が掲載されています。

おもに幕末の京都において多くの伝説を残した新選組ですが、彼らが新選組を結成してから約2年間にわたり屯所を構えたのが壬生の郷士である八木家です。

当時は八木源之丞が当主であり、為三郎は少年時代に新選組と共に同じ屋根の下で過ごしたことになります。

八木家は郷士だけあって裕福で大きな屋敷を持っていましたが、それでもある日突然やって来た強面の新選組隊士たちに困惑したはずです。

奥座敷では芹沢鴨が近藤や土方らによって斬殺され、また山南敬助をはじめとした隊士たちが切腹、斬首されるような出来事が日常茶飯事であったのですから、内心恐れを抱き、かつ迷惑だったに違いありません。

一方で父・源之丞へ武士らしからぬ軽口で冗談を言う沖田総司、それと反対に堂々とした佇まいで無口な近藤勇、短気で騒々しい原田左之助、また道場の活気のある様子など、新選組隊士たちとの日常の交流を語ることができるのは八木為三郎翁ならではです。

また新選組を一躍有名にした池田屋事件においても八木邸が拠点として使われており、貴重な歴史上の証人でもあるのです。

明治になってからも永倉新八斎藤一島田魁といった生き残りの隊士たちが懐かしさのためか、ぶらりと八木家を訪れるというエピソードは微笑ましい場面です。


後半では伊東甲子太郎鈴木三樹三郎兄弟、そして近藤勇の最期のエピソードが収められています。

とくに近藤勇の甥で後に養子となる勇五郎が語る斬首のときの様子、そして深夜に親族や道場関係者とともに首のない胴体を刑場から掘り出して運び出す生々しいエピソードは、新撰組局長として名を馳せた近藤勇の最期にしてはあまりにも哀れです。

前作「新選組始末記」が時系列に整理されたエピソードである一方、本作は著者が関係者へじっくりと取材を行い厳選されたエピソードが紹介されており、前作同様に新選組の歴史を知る上で欠かせない名作に仕上がっています。

新選組始末記

新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)

幕末をテーマにした本の中で新選組は、坂本龍馬と双璧をなすほど数多く取り上げられています。

新選組が活躍した寺田屋事件は明治維新を1年遅らせたと評されることがありますが、結果的に彼らが歴史の帰趨を握ることはありませんでした。

にも関わらず新選組が絶大な人気を博する背景は、もちろん"判官びいき"も要因に挙げられますが、何と言っても個性豊かで魅力的なキャラクターが数多く登場するという理由が大きいと思います。

本ブログでも歴史小説、伝記、検証本など新選組を扱った本をおそらく10冊は紹介しているはずです。

ただし新選組の本を執筆するにあたり、すべての作者たちが参考にしたであろう本が今回紹介する子母澤寛氏の「新選組始末記」です。

本書は昭和3年に初刊行されています。

当時から新選組はよく知られていた存在でしたが、剣豪や忍術といった講談のように多くの創作が付け加えられた状態であり、それを嘆いた著者が旧幕臣や新選組隊員の子孫たちを直接取材し、また文献を整理、調査して本書の発行にこぎ着けたのです。

この昭和初期という時代は、高齢ながらも新選組隊員たちを直接知る人たちが存命していたほとんど最後の時期であり、彼らの回顧録がいかに貴重であったかを窺い知ることが出来ます。

本書では新選組の結成から完全崩壊まで、つまり試衛館時代の近藤勇にはじまって函館で土方歳三が戦死するまでを時系列に、多くの関係者の回顧録とともに紹介しています。

その内容も非常に分かり易く整理され、1つ1つの出来事にその出典が示されている上、諸説ある場合には著者が一番有力と思われるものを指摘してくれる丁寧さです。

また驚くべきことに、本書に掲載さているエピソードは、私自身がほとんど過去に読んだ記憶のあるもので占められている点です。

それだけ多くの作家、あるいは作品が子母澤氏の作品を参考にした証であり、彼の業績が無ければ後の時代にこれだけ新選組が注目されることも無かったと断言できます。