本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

日本人と日本文化


国民的作家・司馬遼太郎氏と世界的な日本文学研究家であるドナルド・キーン氏の対談本です。

2人の専門分野は異なるものの同年代であり、当時の中央公論社の会長がこの2人の対談を企画して実現したようです。

出版時期から対談は昭和46~47年頃に行われたと予測され、2人とも50歳目前の油の乗り切った時期であったことが分かります。

また対談にあたり司馬氏の方が、キーン氏へ対して自身が苦手意識のある日本文学についての話題を抜いてくれるならば、または自分の小説を読んで来ないことを条件に出したようです。

加えて主催者へ司馬氏らしいお願いをしています。
偶然というものが作為的につくれるものなら、そのような条件をつくってください。
つまり日本人と日本文化について関心をもっている同年配の人間二人が、ふと町角で出くわして、そこはかとなく立ちばなしを交わした。
というふうな体にしてくださるとありがたいです。

対談自体は司馬氏がリードして進めている印象を受けますが、お互いの発言を尊重して終始なごやかな雰囲気で対談が進んでいます。

タイトルにあるように、"日本"そのものをテーマにしていますが、以下目次の引用から分かるとおり、その話題は多岐にわたっています。

  • 第一章 日本文化の誕生
    • 日本人の対外意識
    • 外国文化の受け入れ方
    • 「ますらおぶり」と「たおやめぶり」
  • 第二章 空海と一休
    • 国際的な真言密教
    • 一休の魅力
    • 切支丹
  • 第三章 金の世界・銀の世界
    • 足利義政と東山文化
    • 革命としての応仁の乱
    • 金の復活-鎌倉時代
    • 日本的な美
  • 第四章 日本人の戦争観
    • 忠義と裏切り
    • 捕虜
    • 倭寇
  • 第五章 日本人のモラル
    • 日本人の合理主義
    • 日本人と儒教
    • 「恥」ということ
    • 他力本願
    • 西洋芸術・東洋道徳
  • 第六章 日本にきた外国人
    • 津和野
    • 緒方洪庵塾
    • シーボルト
    • ポンペ先生
    • クラーク、ハーン(小泉八雲)
    • アーネスト・サトー
    • フェノロサ、チェンバレン、サンソム
  • 第七章 続・日本人のモラル
    • 風流ということ
    • 英雄のいない国
    • 再び日本の儒教について
    • 庶民と宗教
    • 原型的な神道
  • 第八章 江戸の文化
    • 上方は武士文化、江戸は町人文化
    • 赤穂浪士
    • 江戸文学を翻訳して
    • 奇人、江漢と源内
    • 本居宣長-むすび

今から50年以上も前に行われた対談ですが、現代において"日本人"、"日本文化"という同じテーマで対談を行ったときに、本書と同じような熱量や深さで論じることのできる知識人が果たして何人いるでしょうか。

すでに2人とも故人になっていますが、本という形で言葉が後世に伝わってゆくことを改めて貴重なことであると感じさせてくれる1冊です。

マンガでわかる バフェットの投資術


2024年から新NISA制度が始まったこともあり、日本人の投資への関心が高まっている雰囲気があります。

世界一有名な投資家といえばウォーレン・バフェットであることは私でも知っていますが、彼の経歴や具体的な活躍については殆ど知らなかったため本書を手にとってみました。

このブログを執筆している時点で彼の資産は1380億ドル(日本円にして20兆円以上)あると言われていますが、この額は日本の国家予算の1/5ほどの金額になります。

こう書いても実感することが難しい金額ですが、その財産は徒手空拳から投資によって築き上げたものであることは確かです。

タイトルに"マンガでわかる"と書かれていますが、実際に掲載されているマンガの分量は全体の半分程度で、のこりは文章や図によって構成されています。

彼は現在94歳という高齢ですが、驚くことにわずか11歳(1941年)から株式投資を始めています。

今のように投資に関する情報が溢れている時代ではなく、彼は恩師(大学時代の先生)からの直接の教えや実際の経験を通じて自分なりの投資スタイルを確立してゆきます。

具体的にはバリュー投資、つまり会社の資産や将来性などを踏まえて数値からその会社の株が割安と判断したときに投資を行う方法です。

そして、さらにフィッシャー理論を取り入れてゆきます。
これは投資判断に周辺情報を活用したもので、その会社の評判や商品の利用状況、さらには経営者の能力を評価の対象に加えたものです。

前者は財務情報から導き出すことができますが、後者は定量的なものではなく、聞き込みや実際に経営者と話す必要が出てきます。

具体的にどのような評価項目があるかについては本書で詳しく触れらており、図解もされているため実践的な知識を得ることができます。

私自身も新NISAは始めており、投資への興味はある程度ありますが、いわゆる専業投資家になるつもりは全くありません。

また注意しなければならないのが、バフェットの投資方法はあくまでも個別株を購入して長期保有を続ける方法であり、投資信託(ファンド)ETFといったNISAの中では一般的な方法ではなく、さらには1日の中で株売買を繰り返すデイトレーダーの手法とも異なります。

結果として私にとっては実用書というより、半分はバフェットの伝記として、残り半分は投資家が良い企業を見抜くための視点を知るといった意味で役に立った部分があります。

私のように投資に関してはほぼ初心者であっても本書を理解することは充分可能であり、これから投資を始めてみたい人にとっても参考になるのではないでしょうか。

また気が向いたら投資に関する本を手にとってみたいと思います。

遅れた時計


星への旅」、「月夜の魚」に続いて3冊連続で吉村昭氏の短編集レビューとなります。

本書には以下の10作品が収録されています。

  • 水の音
  • 駆け落ち
  • 笑窪
  • 蜘蛛の巣
  • オルゴールの音
  • 遺体引取人
  • 遅れた時計
  • 十字架
  • 予備校生
  • 歳末セール


以前レビューした2冊の短編集に収められている作品が昭和36~53年の間に発表されたものであり、本書に収録されているのは昭和53~56年の間に発表された作品となります。

丁度このブログと同じ順番で読み進めてみると、吉村氏の作風がどのように変化してきたのかを分かりやすく感じることができます。

ちなみに吉村氏の代表作は長編小説が多く、これら短編小説を執筆している間に長編小説についてもコンスタントに発表し続けています。

その作風の変化を一言で表すのは難しいですが、あえて表現するならば次第に"シンプル"になっていると個人的には感じました。

それは文章の構成や単語そのものが単純になってゆくという意味ではなく、たとえば文章で自分の考えや想いを読み手へ対して伝える場合には文字数が増えてゆく傾向がありますが、吉村氏はそれを登場人物の何気ないセリフや状況描写の中で伝えてゆく、言い換えれば限られた紙面の中でより多くの情報を効率的に読者へ伝えることが出来ると言えるでしょう。

彼は事実を客観的に描写してゆく記録文学の第一人者と言われるようになりますが、それらは膨大な数の資料や関係者の証言を元にして執筆されています。

一方でそれらすべての情報を盛り込むことは不可能であり、長編小説といえども限られた紙面の中で多くの情報を伝える必要があり、こうした作品を執筆してゆく過程で作風も少しずつ変化していったのではないかと推測しています。

本書に収録されている作品でもっとも多い共通のテーマは「男女の関係」であると言えます。

しかし吉村氏は恋愛小説を書く気は始めからなく、それらはいずれも失恋、駆け落ち、さらには無理心中といったものであり、やはり恋愛成就という結末は文学作品に相応しくないのかも知れません。

一方で「オルゴールの音」、「十字架」、「予備校生」は恋愛とは関係のない作品であり、とくに「十字架」に関しては著者が戦争の取材や情報収集を行う中で長編小説にするには難しいエピソードへ対してフィクションの要素を加えた形跡が見られて個人的には好きな作品です。

吉村昭氏は30歳を過ぎてから本格的な作家活動を始めていますが、本書に収録されている作品を発表した頃(50歳前)にはその作風が完成し、成熟の時期を迎えていたのではないかと思われます。

月夜の魚


前回レビューした「星への旅」に引き続き吉村昭氏の短編集です。

1作品あたり20ページ程度の分量であり、本書には以下11作品が収録されています。

  • 行列
  • 蛍籠
  • 夜の海
  • 黒い蝶
  • 月夜の魚
  • 弱兵
  • 雪の夜
  • 位牌
  • 干潮
  • 指輪
  • 改札口

    • 掲載されている作品は発表された時代順であり、昭和44~53年に発表された短編となります。

      初期の頃の短編集とは異なり、新人作家らしい野心的な雰囲気はなくなり、いずれの作品も吉村昭らしい安定した印象を受けます。

      上記のうち「蛍籠」、「弱兵」、「干潮」は私小説であり、いずれも散発的な自身の経験を元に書かれています。

      「蛍籠」では交通事故で亡くなった甥の葬式を、「弱兵」では戦死した4番目の兄について、「干潮」では父親の臨終に立ち会った経験を描いています。

      いずれも「」と関連する作品であり、著者のライフワークとなる歴史小説や戦史小説以外ではもっとも登場する頻度の多いテーマであるように思えます。

      ただし著者の視点は死にゆく人の心情を代弁するというよりは、冷静な観察者のような視点から描いているのが印象的です。

      それは著者自身が東京空襲で多くの人の死を見てきて、さらに自身も多感な時期に九死に一生を得た大病を患った経験があるだけに、現代に生きる私たちよりも「死」が身近であり、誰もが逃れることのできない生命が終焉するときの現象として客観的に捉えている傾向があると思います。

      もっともそれは著者に限らず、戦争を経験した世代には共通する傾向なのかも知れません。

      そして「黒い蝶」、「雪の夜」、「指輪」、「改札口」は離婚を素材とした短編小説になっていますが、立て続けに起きた知人たちの離婚に触発されて書いたと著者自身が説明しています。

      一方で「夜の海」、「位牌」では複雑な事情があるものの、円満な家庭を描いた対照的な作品であり、バリエーションに富んだ物語で読者を飽きさせません。

      1作品あたり10~15分程度で読めるため、本書を枕元に置いて寝る前にスマホを見るよりも、作品を1つ読み終わってから就寝してみるのは如何でしょう?

星への旅


吉村昭氏の初期作品を集めた1冊であり、以下の作品が収録されています。

  • 鉄橋
  • 少女架刑
  • 透明標本
  • 石の微笑
  • 星への旅
  • 白い道

表題にもなっている「星への旅」は吉村氏にとって始めて受賞した(太宰治賞)記念すべき作品です。

のちに歴史小説作家として広く知られることになる著者の作品ですが、その特徴は過度な演出や表現を抑え、まるでその場面が動画や音声で記録されていたかのような錯覚を起こすほど綿密な描写にあります。

私もこうした吉村氏の作品に触れてファンになった経緯があります。

一方で本書に収められているのは歴史小説を手掛ける以前の作品ということもあり、かなり文学的な演出が意識されています。

つまり中期・後期以降の作品とはかなり雰囲気やアプローチが異なっており、良い意味で作家としての若さや野心を感じさせる内容です。

本書の作品はいずれも「」をテーマにしたものであり、後年の作品にもたびたび登場するテーマではあるものの、本書の作品はいずれも「死」を直接的、かつ真正面から描いているイメージがあります。

個人的に気になった作品を幾つか紹介してみたいと思います。

「少女架刑」は16歳という若さで亡くなった少女の意識が主人公であり、いわば幽体離脱のような形で両親によって自分の身体が病院へ献体され、そこで少しずつ切り刻まれてゆく過程を観察してゆくという、かなり冒険的な試みが取り入れられている作品です。

一方で「透明献体」は、人の死体から肉や脂肪、内蔵を除いて骨だけを取り出し、標本を作り病院や研究機関へ提供する老技師を主人公とした物語であり、先ほどの「少女架刑」とは対を成す作品であるといえます。

星への旅」は、何不自由なく暮らしている若者たちが将来の目的、言い換えれば生きてゆく意味を見いだせずに「死んじゃおうか」というノリで集団自殺の旅へ出かける物語です。

いわゆる若者たちの衝動的な行動や暴走を描いた作品はほかの同世代の作家にもよく見られる傾向であり、のちに唯一無二の作風を確立してゆく著者が、駆け出しの頃とはいえ時代の流れを意識した野心的な作品を発表していたのが意外でした。

白い道」は本書の中では唯一の私小説といえる作品であり、著者が戦中に体験した出来事を元にしています。

後年になり、こうした私小説風の短編を数多く発表するようになりますが、本作品はその先駆けとなる記念すべきものとなります。

どれも暗い雰囲気ではあるものの、純文学的な要素の多い作品であり、作家・吉村昭の原点を知る上で本書は欠かせない1冊であることは間違いありません。

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱


中公新書では日本の歴史上に起きた""を扱った本を刊行しており、過去に「壬申の乱」、「承久の乱」を扱ったものを本ブログで紹介してきました。

今回はタイトルから分かる通り、歴史学者である呉座勇一氏による「応仁の乱」を扱った1冊です。

歴史上の大抵の乱は「誰が誰へ対して起こした反乱なのか?」、「誰が勝者なのか?」といったことが明確ですが、この応仁の乱ではそのいずれもが曖昧であり、しかも10年以上に渡って続くことになります。

分かりやすく整理すると、お互いに室町幕府の有力守護であった細川勝元(西軍)山名宗全(東軍)が対立した戦いということになります。

また8代将軍・足利義政は西軍を支持していたため、東軍が反乱側という見方ができます(しかし東軍ものちに義政の弟・義視を将軍として擁立)。

事件の発端は、室町幕府管領である畠山氏、さらには斯波氏の家督争いであり、両家それぞれの後継者候補の後ろ盾として細川家と山名家が名乗りを上げたという構図で、元々、細川家と山名家の仲が悪かったわけではないようです。

さらに言えば、両軍の総大将(細川勝元・山名宗全)は、いずれも乱が終わるのを見届けることなく病没しています。

この争いの焦点が畠山家と斯波家の家督争いだけに終始していれば、教科書に載るような歴史上の出来事にはなりませんでした。

しかし結果から見ると、この争い(応仁の乱)がつづく戦国時代の幕開けを引き起こし、さらには後世の研究から近代歴史の転換期とまで評価される大事件になるとは、当事者たちも想像していなかったはずです。

有力な守護大名だった細川・山名家の元に、利害関係で敵対するほかの守護や守護代たちが次々に集まってきてしまい、元々の家督争いを大きく超えた規模の争いへと發展してゆき、さらにその両軍の力が拮抗していたため、戦いが長引き、また犠牲も大きくなっていったのでした。

著者はこの様子を次のように解説しています。
彼らはそれなりに、"出口戦略"を考えており、終戦に向けて様々な努力や工夫をしている。
にもかかわらず、コミュニケーション不足やタイミングのずれによって、終戦工作は失敗を重ね、戦争は無意味に続いた。
"損切り"に踏み切れなかった彼らの姿勢は、現代の私たちにとっても教訓になるだろう。

今も行われている世界各地の紛争はもちろん、身近な例として個人間のいざこざがグループや派閥を形成しての大きな対立に発展するということは起こりうることです。

本書は時系列に沿って解説されていますが、大和の興福寺で当時別当を務めていた経覚、尋尊によって詳細な日記が残されており、貴重な史料として各所で引用されています。

また興福寺自体が、応仁の乱自体に深い関わりを持っていることが本書から分かります。

とても一言で解説することが難しい「応仁の乱」ですが、乱が起きるまでの時代背景や経緯、また10年以上に及ぶ乱の経過に至るまでが丁寧に解説されているため、整理された情報が頭の中に入ってきます。

専門家が執筆する新書の中には難解な内容のものが少なくない中で、本書は複雑な出来事が分かりやすく書かれている印象を受け、歴史の教養書としてお勧めできる1冊になっています。

集金旅行


本書には井伏鱒二氏の作品が7編収められています。

  • 集金旅行
  • 追剥の話
  • 因ノ島
  • 白毛
  • 丑寅爺さん
  • 開墾村の与作
  • 釣り場

最初の「集金旅行」は中編程度の長さがありますが、その他は短編小説になっています。

集金旅行」では、望岳荘という荻窪にあるアパートの大家が亡くなり、小学生の息子が1人取り残された状態で、彼の生活を成り立たせるために大家と昵懇の仲であった主人公が部屋代を踏み倒して逃げた住人の元へ取り立ての旅へ向かうというものです。

さらにこの旅には同じ望岳荘の住人で中年独身の美人婦人が同道することになります。

彼女はかつての恋人から慰謝料を取り立てるといった別の目的を持っており、変わった組み合わせの2人による集金旅行といったストーリーです。

荻窪は著者の暮らしてた街として有名ですが、彼らが訪れる旅先は広島県、山口県、福岡県の町々であり、彼の出身地(広島県福山市)周辺に集中しています。

そこで2人が出会う人たちはさまざまな事情を持っていますが、訪れる町々の描写についても著者にとって馴染のある風景として、どこか旅情を誘う描写になっており、ストーリー以外にも楽しめる要素になっています。

そのほかの作品についても備忘録的に簡単に触れておきたいと思います。

追剥の話」では当村大字霞ヶ森周辺に戦後の混乱期に出没した追剥への対策について、自治会の中で話し合いをする様子が描かれています。

この"当村"というのは山に囲まれた集落であり、具体的な名前のない他の作品にも登場する村ですが、著者が戦時中に自主的に疎開を行った山梨県の村がモデルになっていると言われています。

因ノ島」は知人の招きに応じて訪れた因島での釣り旅行とそこで起こった事件を記しています。

白毛」では初老を迎え白髪の増えた自身を顧みながら、その白髪と釣りにまつわる苦い思い出をテーマにしています。

丑寅爺さん」は再び"当村"を舞台にした牛飼い老人の身の上を扱った作品です。

開墾村の与作」は元禄時代を舞台としており、古文書を元に備後の開墾村での出来事を小説化しています。

釣り場」では荻窪を舞台にした作品で、日課の釣りをする中で偶然に知り合い出席することになった若いカップルの結婚パーティーでのスピーチを題材にした作品になっています。

井伏鱒二氏といえば短編小説の名手として知られていますが、久しぶりに作品に触れてみて改めて思ったことがあります。

それはどの作品も日常の何気ない出来事を描いているように見えて、ある場面を鮮やかに鋭く切り取ったものが多く、本職の作家であっても簡単には真似できない作品であるという点です。