本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

ロスジェネの逆襲


「オレたちバブル入行組」、「オレたち花のバブル組」に続く半沢直樹シリーズ第3弾です。

ちなみに大ヒットしたTVドラマは第2弾までを原作にしており、単行本(最新版)では第4弾まで発売されているようです。

つまり本作品はTVドラマ化されていない半沢直樹シリーズであり、続編(放映されるかは分かりませんが)が待ちきれない人は本書で一足先に新シリーズを楽しむことが出来ます。

当ブログで本シリーズを"劇場型経済小説"、主人公は大組織の不正を許さない反骨心と正義感を持った人物だと表現しましたが、この半沢直樹は敵の弱みを握って情報(証拠)を引き出したり、味方に引き入れるために利で誘ったりとかなりのハードネゴシエーターであり、インテリジェンスな要素も満載です。

作品ごとに舞台は大きく異なるものの、大枠のストーリーは定型化されつつあり、個人的には経済小説というよりむしろスパイ小説に近い印象さえ受けました。

主人公は組織からどんなに冷遇されようと自分からは決して裏切らない(辞めない)点も、どこかスパイ小説の主人公めいた雰囲気があります。

ドラマで話題になった「倍返しだ!」のセリフも「1点取られたら2点取り返す」というスポーツマンシップ溢れたものではなく復讐の宣言であり、実際に半沢を陥れようとした相手は臥薪嘗胆のごとく猛烈な反撃を食らうのです。


前作で七面六臂の大活躍だったにも関わらず、組織の都合で東京中央銀行から子会社の東京セントラル証券へ出向を命じられた半沢直樹は(少なくとも表面上は)平然とそれを受け入れます。

これは事実上の左遷ですが、そこでも相変わらずの半沢は、よりによって(出向元の)親会社、つまり東京中央銀行を相手に壮大な戦いを挑むことになります。

そしてその舞台はITベンチャー企業のM&Aであり、敵対的買収(TOB)ホワイトナイト株の時間外取引などかつて話題になったキーワードが登場します。

主人公の半沢は好景気バブルの就職世代ですが、今回半沢ととも奮戦する部下の森山、IT経営者の瀬名はともに就職氷河期に社会人となったロスジェネ(ロストジェネレーション)であり、彼らの口からは割を食ってしまったという本音が出てきます。

「オレたちって、いつも虐げられてきた世代だろ。オレの周りには、いまだにフリーター、やり続けている大学の友達だっているんだ。理不尽なことばかり押し付けられてきたけど、どこかでそれをやり返したいって、そう思ってきたんだ」

かくいう私もロストジェネレーションの1人ですが、半沢が彼らを叱咤激励しながら引っ張ってゆく場面は読んでいて微笑ましくもあり、本作品の見どころの1つになっています。

オレたち花のバブル組


前回紹介した「オレたちバブル入行組」の続編、つまり半沢直樹シリーズの第2弾です。

今回は半沢の勤める東京中央銀行、そして銀行からの融資で再建を目指す老舗の伊勢志摩ホテル、さらには銀行の適性な融資を巡っての金融庁の検査といった構図が物語の中心となりますが、さらにはタミヤ電機ナルセンといった他の企業も巻き込んで怒涛のように物語が進行してゆきます。

金融業に縁のない人にとって金融庁検査と言われてもピンと来ませんが、池井戸氏がストーリーの流れの中で分かり易く解説してくれるため、先ほどの複雑な構図も自然と読者の頭の中に入ってくるのは前作と同じく本シリーズの優れた点です。

また一見すると、業績不振のホテルが銀行から融資を受けて再建を目指すといった普通にありそうな出来事が、さまざまな陰謀によって銀行の土台を揺るがしかねない状況へ発展してゆくというダイナミックな展開も本シリーズの魅力です。


銀行という大組織の内部では過酷な出世争いが繰り広げられ、幹部にまで昇進できるのは一握りの人間ですが、それは能力だけで決定されるフェアなものではありません。

時には組織内の陰謀によって責任を押しつけられ、また時には派閥争いに敗れて脱落してゆく者も多いはずです。

私のように大企業に勤めた経験がなくとも、そうした企業の内情を耳した経験を持つ人は多いはずです。

そして主人公の半沢直樹は常に理不尽な理由で逆境に立たせられる運命のようであり、しかも今回立ち塞がる敵は、銀行内部のみならず、融資先の伊勢志摩ホテル、さらに金融庁の検査官という敵だらけの状況ですが、同時に半沢の熱意と姿勢に惹かれて協力する人たちも現れるのです。

彼は頭が切れるバンカーであり、何より権力に屈しない反骨心を持ち合わせています。

組織の理不尽な要求に屈せず、自らが正義と信じることを貫き通す

誰もが心の中で憧れるサラリーマンを体現しているのが半沢直樹であり、それが本作品が支持されている大きな要因であることは間違いありません。

オレたちバブル入行組


多少なりとも本屋へ通う習慣のある人であれば、つねに最新作が大々的に宣伝される池井戸潤氏が飛ぶ鳥を落とす勢いの作家であることは容易に分かります。

そして滅多にTVドラマを見ない私でも「倍返しだ!」のセリフで有名な「半沢直樹」が大ヒットになったことも知っています。

普段から最新作やベストセラーを意識せず気の向くまま読書をしているため、今までたまたま池井戸氏の作品を読む機会がありませんでしたが、はじめて手にとった同氏の作品がドラマ「半沢直樹」の原作にもなった本書です。

主人公の半沢直樹は、銀行という巨大で旧態依然とした組織のサラリーマンですが、やられたらやり返す気骨のある銀行員という設定です。

銀行のような大組織が持つ独自の文化は、その組織が生き抜いてきた経験や知識が遺伝子として織り込まれ反映されているという長所がある一方、時には時代の流れに取り残され停滞を招く危険性を持ち合わせています。

つまり半沢は、その独自の文化が持つ悪い面(悪習)へ対して正面から立ち向かってゆくのです。

彼はバブル時代の完全な売り手市場の時に入行したものの、その恩恵を充分に受けることなくバブルの崩壊に直面してしまった世代であり、その敵の正体を具体的に言えば、大組織の悪習に染まりきり、自らの権力を背景に陰謀を巡らす団塊世代の銀行幹部たちということになります。

大組織の中で信念を貫き通す半沢の姿は、城山三郎氏の「官僚たちの夏」の主人公であるミスター・通産省こと風越信吾に通じるところがありますが、城山氏の作品が実在の人物をモチーフにしている一方、本作品は完全なフィクションです。

ただしフィクションである利点を充分に活かし、ストーリーに起伏を持たせ、クライマックスが盛り上がる内容になっています。

あえてこの作風を名前を付けるならば"劇場型経済小説"という言葉がしっくりときます。

それでいて一定のリアリティを失わない作品の高い質は、著者が元々銀行員だったという経験が間違いなく役に立っています。

また入念に練りこまれたストーリーのほかに見逃せないのが、銀行という組織の仕組みが作品を通じて自然と学べるという点です。

私のように金融業界に高い関心のない読者でもジェットコースターのようにストーリーに引きずり込まれ、思わず半沢を応援せずにはいられないエンターテイメント性の高さは、累計250万部という数字にも納得できる大ベストセラー作品です。

半パン・デイズ


小学校入学を前に、東京から瀬戸内の小さな町に引っ越してきたヒロシ少年。

本書はそんなヒロシ少年の小学校6年間を描いた青春小説です。

このヒロシ少年は、著者である重松清氏自身の小学生時代を部分的にモチーフにして組み立てられています。

重松氏は私よりも一回りは上の世代ですが、それでも"昭和"に小学生時代を過ごしてきた私にとって、作品中で描かれる景色はどこか懐かしく、読み進めてゆくと何度もヒロシ少年の姿を自分自身に重ね合わせてしまう場面が何度もあります。

この作品には、いじめ、ケンカ、勉強や遊び、初恋、大人に褒めら、叱られ、友達や親族との出会いや別れといった多くの経験を通して、少年が少しずつ成長してゆく軌跡がぎっしりと詰まっています。

小学生は"世間"を知りません。
この"世間"とは"大人の世界"と言い換えてもよく、大人が何気なく過ごしている日常が感受性豊かな小学生にとっては新鮮な日々なのです。

ヒロシ少年の体験を繊細に描いてゆく"大人の重松氏"の力量に驚きつつも、どんどん物語に引きこまれてゆきます。

またヤスおじさん、チンコばばあ、親友の吉野、シュンペイさん、タッちんなどなど、、多くの個性豊かなキャラクターが登場し、彼らを通じてヒロシが内面的に成長してゆき、いつの間にか広島弁もすっかり板についてゆく過程は時に涙やほろ苦さもありながら、最後には清々しい気持ちにさせてくれます。


仕事で疲れたら、瞑想しよう。


本ブログで「スタンフォードの自分を変える教室」を紹介しましたが、その中で意志力を強化(注意力と自制心を向上)する手段の1つとして、前頭前皮質への血流を増やす効果のある"瞑想"が科学的にも効果があると紹介されていました。

実際、グーグルやインテルなど名だたる企業が社員へ対して瞑想プログラムを導入して効果を上げており、日本よりアメリカの方が瞑想へ対する理解が深まっているという印象があります。

一方、日本では""という言葉が定着しているものの、座禅を実践する日本人はごくごく少数というのが実感です。

私もかなり前に"禅"に興味を持ち、「只管打坐」で有名な曹洞宗の開祖である道元の伝記や永平寺に関する書籍を読んだ経験がありますが、教義の内容は理解できても、その禁欲的で厳格な規律には敷居の高さを感じざるを得ませんでした。

そもそも座禅の基本的な姿勢である"かかと"を交差させる結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢でさえも体の固い私にとっては苦痛であり、とても続きそうにありませんでした。

大企業が取り入れている瞑想であれば、制約も少なく気軽に始められると思い立ち、さっそく図書館から3冊の瞑想に関する本を取り寄せました。

しかし結果として、うち2冊はあえなく半ばで読むのをやめてしまいました。

理由は簡単で、あまりにもスピリチュアルな側面が目立ちすぎていたからです。

「悟り」を目指すために瞑想する、または著者自身がヒマラヤの山奥で修行(瞑想)を重ね真理を会得したと主張する内容はどう考えても瞑想上級者(?)向けであり、基本を理解したい私にとって唐突すぎる内容だったのです。

その中で本書は"仕事で疲れたら、瞑想しよう。"というタイトル、また副題にある"1日20分・自分を浄化する習慣"という適度なゆるさ、実際の内容も忙しいビジネスマンを読者に想定して書かれているため、もっとも取っ付き易い1冊になりました。

ただし本書を読み終えて瞑想を習慣的に実践できた訳ではなく(これから実践できるかも分からないため)、本書の詳しい内容を紹介するのは差し控えます。

本書で触れられているのは世界的に有名なTM瞑想(超越瞑想)であり、内容も非常に初歩的な部分から解説してくれます。

つまり瞑想にも空手と同じように"流派"が存在するようですが、著者自身がビジネスマンとして活躍する傍らで瞑想を習慣的に行ってきた経験があるだけに、一般人にとって大聖者からのアドバイスよりも身近なため、理解と共感しやすいのは間違いありません。

瞑想の入門書を読んでみたい人は、まずは本書を手にとってみてはいかがでしょうか?