本と戯れる日々


レビュー本が1000冊を突破しました。
引き続きジャンルを問わず読んだ本をマイペースで紹介してゆきます。

さいはての中国



著者の安田峰俊氏は中国事情に詳しいルポライターとして活躍しています。

本書ではいわゆる普通の観光客が行かないような中国のディープスなポットを"さいはて"と位置付け、著者が実際に行ってみるというアプローチを取っています。

中国語が堪能な著者は観光客というより潜入取材という形をとっており、そのため普通の日本人では見られない中国の日常を垣間見ることができます。

まずはじめは「中国のシリコンバレー」と呼ばれる広東省深セン市へ出向きます。

深セン市自体は普通の日本人でも訪れることができますが、著者が訪れたのは格安ネットカフェが軒を連ねる地域です。

ここは昭和時代に短期労働者が集まる「ドヤ街」の現代中国版のような地域であり、ここに集まる中国の若者は金はなくともスマホを持ちPCも使いこなせる人たちです。

昭和であればドヤ街に集まる労働者たちは稼いだ金を酒やギャンブル、風俗といった娯楽に費やすといったアナログなイメージがありますが、ここでの若者たちは日雇いで稼いだ金をスマホのアプリ課金、オンラインカジノといったデジタルな娯楽に費やす点が昭和の風景と大きく異なります。

彼らは格安ネカフェを拠点とし「1日働けば、3日遊べる」といった刹那的な生活を送り続けます。

著者はこの街で暮らすこうした若者たちと接触して取材を続けてゆきます。

日本でいえばネトゲ廃人(インターネットゲーム中毒者)のような人たちですが、彼らは自分の身分証さえも売り払って金を作っており、その多くは貧しい地方の農村出身であり、家庭や経済環境に恵まれずに深センへ流れ着いた人が多いようです。

そこには昭和のドヤ街の風景、そして現代も生活に困窮しネカフェで暮らし続ける日本人の姿とも重なるところがあります。

他にも本書で紹介されているスポットとして中国共産党が政治的宣伝、思想教育のために観光地に仕立てた習近平の聖地、巨大な高層ビルが建設途中のまま放置されて建ち並ぶゴーストタウンなど合計8箇所が掲載されています。

どれも興味深く読むことができますが、圧倒的な人口、そして近年の経済成長を背景にしたマネーパワーを誇る中国は名実ともに大国として国内にとどまらず、海外にも大きな影響を与えていることが分かります。

同時に中国共産党の進める独裁的で強引な政策とは別に、そこで暮らす中国人たちのしたたかな生活力も印象に残りました。

経済、金融、または政治的な視点で中国を解説する書籍は数多く見かけますが、こうした地道な取材から作り上げられたルポタージュから見えてくる中国の姿も知っておくべきであると感じた1冊でした。

働き方5.0



著者の落合陽一氏は、人工知能関連の研究者として活動しており、最新のインターネットの有識者としてメディアに登場したり、またSNSを通じても自ら積極的に情報を発信するなど、多岐に渡る活動をしています。

いわば時代の寵児であり、私も以前から名前を知っていましたが、その著書を読むのは今回が始めてです。

まずタイトルにある「働き方5.0」とは、AIやロボットが幅広い分野で進化し、人間とともに共存してゆく時代を指しており、それ以前の社会を以下のように分類しています。

  • 狩猟社会(1.0)
  • 農耕社会(2.0)
  • 工業社会(3.0)
  • 情報社会社会(4.0)


著者はこの新しい時代が訪れると、「魔法をかける人」、「魔法をかけられる人」という2種類の人間に分かれるといいます。

まず「魔法をかけられる人」というのは、急速にコンピュータテクノロジーが進化してゆく中で、その仕組みを理解しようとせず、知らず知らずのうちに(Aiなどの)システムの指示の元、下請けのように働く人たちを指します。

一見残酷な世界のように見えますが、それはコンピュータと人間の得意とする領域が違うだけであり、最適な仕事の棲み分けの結果であると指摘します。

彼らもテクノロジーのもたらす「便利さ」や「効率化」の恩恵を充分に享受することがでるため、決して不幸せになるわけではないのです。

一方、「魔法をかける人」というのは、新しいテクノロジーやサービスを創り出す側の人を指し、新しい時代を牽引してゆく人たちです。

本書では新しい時代を「魔法をかける人」として生きるために、どのような考え、取り組みが必要なのかについて解説している本でもあるのです。

詳しくは本書を読んでもらうとして、少なくとも昭和以来続いてきたブルーカラーよりもホワイトカラーの方がエリートという概念も無くなってゆき、「創造的専門性を持った知的労働者」という新しい階層が登場するといいます。

これを大上段で語ればインターネットを劇的に便利にしたGAFA(Google、Apple、facebook、Amazon)のようなサービスを創り出すことですが、現実的には小さな領域であっても「オンリーワン」で「ナンバーワン」になろうということです。

たとえば今やGoogleの提供するサービスの数は膨大であり、とても1人の人間で作り出すことは不可能です。

しかしまだコンピュータで解決されていない小さな問題を見つけ出し、解決することなら充分可能だと著者はいいます。

大事なのはそうした課題を自ら見つけ出し、自分のやりたこと(興味のあること)と方向を一致させ実行してゆくことなのです。

一方で本書に書かれていることは、中年以降の人たちにとって本業との兼ね合いもあり、著者の言う新しい技術を身に付けるのは現実的ではありませんし、それはリタイアした高齢者たちにとっても同様です。

つまり本書は10代から20代前半、その中でもとくに社会人として世の中で出てゆく前の若者たちに向けて書かれた本であるということです。

ただ本書を通じて、Web界隈で注目されている人物がこれからの世の中をどのように予測しているのかを興味深く知ることができる1冊です。

背中の勲章



日米が真っ向から衝突した太平洋戦争においてアメリカに囚われた日本人捕虜1号として、真珠湾攻撃時に特殊潜航艇の搭乗員であった酒巻和男が知られています。

そして本作品の主人公である中村末吉は、酒巻につづく日本人捕虜第2号になります。

中村は一水(一等兵)として特設監視艇隊に配属され、「長渡丸(ちょうとまる)」の搭乗員となります。
長渡丸」といってもその実体は徴用された漁船に過ぎず、そこに無線機と最低限の武器だけを載せて太平洋上で敵艦隊や飛行隊を監視するという任務に就いていたのです。

しかも無線は敵発見時にしか使用を許されず、それを使用すれば直ちに敵に発信源を突き止められるという運命が待っていました。

当時は陸海軍に限らず、「生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」という考えが徹底されており、中村らも敵に発見された際には敵の軍艦へ向かって玉砕することが暗黙の任務とされていました。

漁船で敵の軍艦へ体当たりしたところで大した損害を与えられるとは思えませんが、当時は米軍に捕まれば残酷な拷問の末に殺されるというウソが兵士たちへ教え込まれており、何より生きて敵に捕まるのは恥であるという価値観が徹底して刷り込まれていたため、誰も疑問を抱くことはありませんでした。

日本軍の上層部としては助かる兵士の命を救うという考えなど微塵もなく、捕虜として作戦機密を敵に漏らされる方が都合が悪いと考えていたことは明らかです。

その中で主人公の中村は、特攻しようとした漁船を沈められ海上で気絶しているところを捕らえられたのです。

当然のように彼は生きて捕虜になったことを恥じ、まともに尋問に答えることもなく「早く殺せ」の一点張りで押し通し、護送中の船から海へ飛び降りて自殺を図ることさえ試みます。

それでも時間の経過とともに態度を軟化させ、捕虜収容所の中でいつか日本軍がアメリカ本土に上陸して自分たちを解放してくれることに希望を抱くようになります。

しかし月日が流れミッドウェー海戦、、アッツ島、ガダルカナル、硫黄島、沖縄などの生き残り日本兵が収容所へ送られてくると、日本がアメリカ相手に苦戦していることが分かってきます。

加えて捕虜たちはドイツが降伏したという衝撃的なニュースを耳してさえ誰もが最後まで「日本が破れるわけはない。神州不滅だ。必ず日本は勝つのだ。」と信じていたといいます。

これは国を挙げて総力戦を闘い抜くために作り出された法や制度、思想、教育といったものが、日本人へ対しいかに集団的狂気をもたらしたかという歴史的事実を描いた作品でもあるのです。

著者の吉村昭氏は、昭和40年後半に主人公となる中村末吉氏に直接取材をして本作品を完成させています。

終戦後、生きて故郷へ帰り年老いた母と抱き合い泣いた人間と、捕虜収容所のベッドに拘束されたままアメリカ兵へ「殺せー、殺せー」と迫り暴れた人間が同一人物であったことを忘れてはならないのです。

愛国商売



古谷経衡氏は、文筆家としておもに若者をターゲットにした言論活動をしています。
よってその著作も社会を色々な角度から分析したものや、自らの主義主張を書籍としてまとめたものが殆どです。

本作品は自らの実体験を元にした小説という形をとっており、今までの著作の中では異色といえます。

古谷氏はかつて保守思想に傾倒し、その中でもネット右翼と呼ばれる人たちに共感していたといい、本書に登場する主人公はかつての古谷氏自身を投影した人物として登場します。

作品の主人公(南部照一)は保守系言論人の勉強会に参加したことをきっかけに、あっという間に保守論壇期待の新人という地位へと昇ってゆくのです。

この作品は2つの楽しみ方があります。

1つ目は右派論壇の人たち、そしてそれを取り巻くネット右翼(通称:ネトウヨ)の実態がよく分かるという点です。

もちろん普通にそうした内容を解説することも可能ですが、小説という形をとることで物語に没入する読者に身近に感じられるといった効果があります。

たとえば作品に登場するネトウヨは男性比率が圧倒的に高く、しかも平均年齢も高めです。
そこにはコミンテルン陰謀論、彼らの称す反日メディアと言われる媒体、在日特権と言われるもの、また在留韓国・朝鮮人への批判などに溢れており、その大半は学術的な根拠のない「とんでも論」なのです。

著者自身がかつて身を置いていた世界だけに、こうしたネトウヨと呼ばれる人たちの描写にはリアリティと迫力に溢れています。

2つ目は青春小説としても読める点です。

大学を卒業して就職もせず個人所業主として私設私書箱サービスを営む主人公は、別にやりたいこともない、何者にもなれていない若者の1人です。

そんな主人公が興味本位で保守界隈の世界に片足を突っ込むやいなやあっという間に期待の新星として祭り上げられ、やがてその狭い世界で複雑な人間界や利権争いに巻き込まれてゆく過程は、若者にとっての劇的な環境の変化であり、読者は純粋に青春小説としてストーリーを楽しむことができるという点です。

本作品ではかなりのページが狭い右翼界隈内における権力争いのシーンに割かれていますが、その描写はドロドロとしたものではなく、登場人物はどれもどこか抜けた(=脇の甘い)人たちであり、皮肉とユーモラスを交えて書かれています。

タイトルにある「愛国商売」は皮肉以外の何ものでもなく、右派界隈に溢れている陰謀論はある意味でネトウヨをはじめとした支持者たちを惹き付けておくための保守言論者たちの撒き餌なのです。

そして彼らはそうした発信を続けなければ支持者を失い、あっという間に失職してしまうという儚さと悲哀を表してるのです。

サイコパスの真実



2017年、神奈川県座間市にあるアパートの一室で、9人の頭部と骨などが見つかるという衝撃的な事件が起きました。
最近では現実とは思えないほどの事件を起こす凶悪犯罪者に共通する特徴として「サイコパス」が注目されています。

そして犯罪者の脳の機能や構造に関する研究が進み、少しずつサイコパスに関する新たな事実も分かりつつあり、従来のサイコパスへの常識が大きく変わろうとしています。

本書では犯罪心理学を研究している原田隆之氏が、興味本位ではなく、最新の科学的知見に基づきサイコパスを解説している入門書です。

まずサイコパスという特性をもつ人すべてが犯罪者ではなく、むしろその大多数が犯罪とは無関係であると前置きしています。
一方で統計では100人に1人はサイコパスである可能性があることも判明しており、その原因(遺伝なのか生活環境によるものなのか)の解説、またその治療法についても言及しています。

サイコパスにはさまざまな形態をとり、相当の多様性があるため、どの特徴が強調されるのかは人それぞれなのですが、サイコパスの特徴として挙げられているものを本書より抜粋してみたいと思います。


第一因子:対人因子

表面的な魅力
一見人当たりがよく、魅力的である。
相手を惹きつけるだけの魅力と、卓越したコミュニケーション能力を持つが、そこに感情はなく、それは偽の優しさである。

他者操作性
心に弱みや不安を抱えている人を見抜くのが得意で、巧みのその心の隙間に取り入ろうとする。
そしてその相手は自分の欲求を充足するための対象でしかなく、経済的な搾取や暴力等を利用して自らの支配下へ置こうとする。

病的な虚言癖
息を吐くように嘘をつき、しかも嘘がばれてもまったく動揺の気配を見せない。
あまりにも平気な態度であるため、相手は狐につままれたような気分になり、こちらの方が間違っていたのではないかと思うほどである。

性的な放縦さ
不特定多数の相手と性的な関係を結ぶ。
もちろんそこに愛情はなく、自分の性的欲求を充足させるための単なる道具としか見ていない。

自己中心性と傲慢さ
自分が世界の中心であると信じて疑わず、自分自身がルールであり、ほかに従うべきルールはないと思っている。
自らの行為が周囲から責められることがあっても、悪いのは社会であり、そのルールが間違っているとすら考える。

第二因子:感情因子

良心の欠如
他者への思いやりや配慮を欠き、相手がどうなろうがまったく気にかけない。
つまり悪事をはたらいても良心の呵責から後悔することもない。

共感性や罪悪感の欠如
知能に問題ななく善悪の区別はついているが、共感性という歯止めがないため平気で悪事をはたらく。
被害者へ遺族の感情に思いを馳せることができないため、愛情や反省を口にすることはできても心はまったく動いていない。

冷淡さ、残虐性
他人にはとことん冷たく、冷酷になることができ、残忍なことも平気で行う。
暴力への抵抗感がないため、歯止めが利かないのである。

浅薄な情緒性
一見人当たりがよいが、よくよく付き合うと言葉だけが上滑りして感情自体はとても薄っぺらい。
情緒を表す語彙が乏しく。「言葉を知っているが、響きを知らない」状態。

不安の欠如
不安や恐怖心が欠如している。
そのため相手を傷つけ、社会のルールに反する行動であっても大胆に行動を起こすことができ、そこにためらいや動揺は見られない。

第三因子:生活様式因子

現実的かつ長期的目標の欠如
彼らは現在にしか根を張っていないので、過去のことにはこだわらず、将来のことも考えない。
そのため貯金や健康維持に関心がなく、その日暮らしのような浮き草的生活となりやすい。

衝動性と刺激希求性
目先の楽しみの心を奪われて、後先のことを考えない。
違法薬物や危険運転、頻繁な引っ越し、ふらっとあてもなく旅に出ることも多い。

無責任性
生活のあらゆる面で無責任は行動を取る。
借金を平気で踏み倒す、仕事でも遅刻や欠勤の常習犯であり、結婚しても配偶者を顧みることなく、育児や親としての責任を放棄する。

第四因子:反社会性因子

これまでの良心や共感性を欠き、衝動的で無責任な彼らの行動パターンは、当然のことながら犯罪という形を取ることが多い。 なかには巧みに法の網をかいくぐったり、法律違反すれすれのところでうまく立ち回っていたりする者もいるが、反社会性という点に関しては変わらない。
最後に忘れてならないのは、安易にサイコパスというレッテルを貼るのは、その人が社会的に相当な不利益を受けることになるため慎まなければなりません。

また一般人がサイコパスを正確に見抜くのは不可能であり、適切な資格や学位を有した者が、さらに定められた研修と訓練を受けてはじめて診断可能になるそうです。

つまりここに記載されたサイコパスの特徴は専門家の解説として参考程度にすべきでしょう。