廃疾かかえて
私小説家として知られる西村賢太氏による作品です。
私小説というと自らの経験を元に書いてゆくスタイルですが、その中でもとりわけ西村氏は臆面もなく自らの体験を赤裸々に描くタイプの作家ではないでしょうか。
著者の父親は強盗強姦事件を起こして逮捕され、その影響もあり自らは最終学歴が中学校であり、その後様々な日雇いやアルバイトを経験しながら生計を立てていたという、経歴だけを見れば大変な苦労人です。
ただし実際には、その日暮らしの衝動的・退廃的な生活を抜け出すことが出来ず、職を転々としつつ付き合っている女性のヒモとなり過ごした鬱屈した経験が書かれています。
本作品には3編が収められていますが、いずれも著者の分身である主人公"貫多"と、同棲している"秋恵"との間の日々の生活を描いています。
決して仲睦ましい恋人同士の生活を描いたものではなく、貫多は生活のあらゆる面において、パートとして働く秋恵に全面的に依存しており、時には暴力を振るい、罵倒を浴びせる典型的な"ダメ人間"であるのに対し、秋恵はおとなしい性格で、貫多へ対して従順な姿が目立ちます。
それだけに一層、貫多の言動は激しいものとなり、殺伐とした雰囲気が作品中に漂っています。
暴力、女、酒、金銭への欲望は多かれ少なかれ誰しもが持っているものであり、貫多はこうした衝動の象徴的な存在であるといえます。
読み始めた時には、大正、もしくは昭和初期の小説かと思わせるような少々古い表現方法を用いていますが、自らの経験を俯瞰して作品を書き上げようとする姿勢が感じられ、こうした表現の方が馴染むのかも知れません。
反省はしながらも懲りない性格である貫多が秋恵に愛想を尽かされる場面も必然的な結果であり、教訓というほどのものではありませんが、どこか自分の別の姿、もしくは自身の一部分と重ねてしまうような感覚が残ります。