歴史を紀行する
司馬遼太郎氏による紀行本。
本作品が発表されたのが昭和44年ということもあり、のちの「街道をゆく」シリーズの原型ともいえる1冊です。
目次を見ると分かりますが、登場するのは司馬氏の小説の舞台としてお馴染みの町が殆どです。
- 竜馬と酒と黒潮と<高知>
- 会津人の維新の傷あと<会津若松>
- 近江商人を創った血の秘密<滋賀>
- 体制の中の反骨精神<佐賀>
- 加賀百万石の長いねむり<金沢>
- ”好いても惚れぬ”権力の貸座敷<京都>
- 独立国薩摩の外交感覚<鹿児島>
- 桃太郎の末裔たちの国<岡山>
- 郷土閥を創らぬ南部気質<盛岡>
- 忘れられた徳川のふるさ<三河>
- 維新の起爆力・長州の遺恨<萩>
- 政権を滅ぼす宿命の都<大阪>
著者は歴史小説を執筆するにあたり、地道な現地取材と丹念な資料の下調べを行うことで有名ですが、それは作品の中でも物語の空間的な奥行きを感じさせる作風に大いに生かされていると思います。
いわば本書は著者の現地取材を歴史小説とは違った形で本にした1冊です。
一方で著者はあとがきで「風土はあてにならない」述べており、土地・風土が歴史的偉人に作用する要素として決め手になる訳ではないと偏った見方を否定しています。
違った解釈をすると司馬遼太郎氏が持つ世論への影響力の大きさを物語るものであり、著者の慎重さ故の言い回しであると言えます。
本書を読めば、著者が土地や風土が歴史に及ぼす力が決して小さくないと考えていることは明白です。
幕末の時代だけを考えても東北の地に坂本竜馬が生まれていれば海援隊は存在しようもなく、近藤勇が鹿児島の地に生まれていれば新撰組は誕生しなかったでしょう。
他にも高杉晋作は?勝海舟は?と挙げてゆけばキリがありません。
日本は狭いという言葉を聞きますが、著者の視点を通すと日本人は単純に1つに括れるものではなく、例えば隣の町と比較してさえ方言や風習、そして歴史的背景が異なることは珍しいことではなく、その多様性に気付くことで歴史に色彩が宿るかのような新鮮さを持って楽しむことができます。
世界史、日本史を学ぶことも大切ですが、むしろその前提として生まれ育った風土に根ざした歴史や民俗を学ぶことが大切ではないかと感じます。
著者の歴史への評価は"司馬史観"といわれ、どちらかというと批判的な言葉として用いられますが、歴史は所詮、主観でしか評価できません。
主観をもって史観としなければ歴史小説は書けず、たとえ書けたとしても薄っぺらいものになるでしょう。
司馬遼太郎氏が他界して15年以上が経過しますが、その時代の空気を感じさせる技量は、未だに他の追随を許さない凄みを感じます。
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